8.奪還

「アリシアが……攫われた……!」



 確かに、部屋を見渡す限りではアイリスの姿はありません。

 お父様には大きな怪我はないようで、近くにいたメイドの方に処置を任せ、私はアイリスを追うべく駆け出す。

 玄関へ向かうと、そこには見覚えのある顔が。



「あなたは――! 先ほど騎士団ギルドに引き渡したはず!」

「忘れたのか? 俺たちの能力は《変幻自在》。小さいものに姿を変えて、牢から出るなんざ簡単なんだよ」

「くっ……、その可能性を考えていなかった……!」



 その肩には、気絶したアイリスが抱えられているのが窺えます。

 相手が一人とはいえ、彼女が至近距離にいる以上、下手に動けばなにをされるかわからない。

 動いてもダメ、動かなくともダメ。完全に詰んだ状態にあるわけです。

 使用したことのない《言霊》のため、《変幻自在》による変身までの時間にラグがあるのか、発動と同時に変身可能なのか。それに、自分以外も変身させられるのか。性能が把握できていない現状。

 ここで逃げられれば、追跡はほぼ不可能。

 思案している間に、相手の手にはガチャのカプセル大の玉が握られている。

 それを床に向けて叩きつけると、白い煙が辺りに広がる。



「これは煙幕ですか……! 見失うのはマズい!」



 煙の中をくぐる頃にはもう遅い。

 そこには男の姿はなく、玄関の扉が開かれている。

 逃げられた……!



     ◇



「待ちなさい! 彼女を置いて降伏を勧めます!」

「ここまで来てそうはいくかよ!」



 相手は暗殺を生業としているため、《言霊》がなくとも足が速いというのは厄介ですね。

 相手の《言霊》を封じられれば勝機は一二分にあるのですが……

 こんなときに『言霊全書』を持ってくるのを忘れてしまったのは痛いですね。

 とりあえず、記憶からなにかしら掘り起こしてみましょうか。要するに、役に立たなくさせればいいわけです。



「最近調べたものがあるのに……! ええと確か……」



 あと少しなんですよ。喉までは出かかっているのに。

 ――そうだ、思い出しました!



「《言霊》を封じよ、――《夏炉冬扇》!」



 《夏炉冬扇》、夏に火鉢を、冬に扇を使用しても無駄であること。役に立たないことをたとえた言葉。

 意味のとおり、ものの機能を役に立たない、つまりは停止させる能力。

 《変幻自在》を封じたことで、変身は不可能に。

 封じたとは言っても一定時間。早期解決が望まれるのですが、慎重に動かねばならないのもまた事実。

 私が追いつくのと、アイリスが殺されるのはどちらが早いかという話になります。

 一つ方法はあるのですが、可能なのかがわからないのです。試したことのない方法なので。

 ……いえ、四の五の言ってられませんね。やってやりますよ!



「――《電光石火》、《疾風迅雷》、《韋駄天走》!」



 すべて、非常に素早いものを表す言葉。

 先ほど言った方法とは、同じ効力の《言霊》の重ねがけ。

 《電光石火》は踏み出した瞬間のスピードを上げるもの。そうなると、残り二つによる単純計算で二倍程度にはなるはずです。



「行きます!」



 少し踏み出すだけで、もう追いつくほどのスピード。

 なんとかコントロールをして、前方へと躍り出る。



「追いつきました。――《一騎当千》!」



 蹴りを入れると、存外あっさりと後方へ吹き飛ぶ。

 その際に力が抜けたのか、アイリスが男の手から離れる。

 落下するアイリスをなんとか受け止めると、自然と息が漏れる。



「ふう……。怪我はないようですね」



 しかし、どうして忍び込んだタイミングで彼女を仕留めるなどしなかったのでしょうか。こちらとしてはありがたいですが。

 いろいろと疑問は残りますが、ひとまず、次は牢から逃げられないように処理をしておきましょう。



「これからは能なしとして生きてください。――《未来永劫》、《夏炉冬扇》」



 《未来永劫》、果てしなく長い年月。永遠を指す言葉。

 なにかしらの処置を永遠に施す能力。施すものは、言葉でも、《言霊》でも問題ありません。

 これで彼は永遠に《言霊》の使用ができなくなりました。アイリスに手を出した罰だと思ってあきらめてください。

 仏の顔も三度までとは言いますが、アイリスが危険な目に遭う場合は、三度と言わず一度目でアウトです。

 確保との形で一度目の処理を済ませたはずですが、懲りずに二度目も来てしまいました。

 そうなれば、《ラングエイジ》の住人たらしめている《言霊》を、永遠に消し去るくらいのことはしますよ。

 恐らく、残りの三人も逃げ出しているのでしょう。

 来るなら来なさい。徹底的に相手します潰します



     ◇



 アイリス宅へ戻り、彼女の無事を報告。



「ありがとう。セリア君には感謝してもしきれない」

「いえ、その感謝は、アイリスが無事であったことでいただきました」

「そうか……。今日はいろいろと疲れたろう。ゆっくりとお休み」



 明日は《ワーディリア学院》の合否が学院のほうであるため、休んでおかねばなりませんね。

 しかし、こちらにまで襲撃があったとすれば、油断できないというのが正直なところ。

 とはいえ、休んでおかないと、いざというときに戦えなくなりますからね。

 うーん、なかなか寝つけませんね……。作業興奮というものでしょうか。動いたあとはどうしても眠りに就きづらいんですよね。

 こんなときは、少し夜風にでも当たってきましょうか。ある程度落ち着くかもですからね。



     ◇



 ベランダへ出ると、強くなく、弱すぎない、心地よい風が私の肌を撫でる。これだけでも眠たくなりそうです。

 夜の空を見ていると、呑み込まれそうな気分に陥る。

 まるで夜空に、『お前は彼女を護れるのか』と問いかけられているよう。

 確かに、今までの出来事は、私がしっかりとしていれば起こらなかった。

 裏路地に行きたがるアイリスを止めていれば、あの場で襲われることはなかった。

 トイレだからと気を抜かなければ、襲撃を最小限の被害で止められた。

 すべては私の不手際。アイリスが助かっているのは奇跡。次も必ず護ることができるとは限らない。

 きっと、高を括っていたのでしょう。『私には最強の《言霊》があるから大丈夫だ』と。

 本当の最強なら、未然に防ぐことだってできるはず。私には、アイリスを守ることなど無理なのでしょうか……?

 あまりネガティブなことを考えているのもあれですし、休むことにしま――



「う、ぐっ……なん、ですか……」



 寝室へ戻ろうと振り返った瞬間。

 突然、身体全体を襲う痛み。筋肉痛を何倍にも痛めたような激しい痛み。

 もしや、先ほど身体強化系の《言霊》を重ねがけしたことによる反動でしょうか。このタイミングで……!

 腕は一切動かせず、足はなんとか立っている状態のため、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えている。

 なんとか戻らねば……! 頭ではわかっていても、身体が言うことを聞かない。まるで、私の身体ではなくなったように。

 だんだん意識も――くっ、耐えなさい、セリア・リーフ!

 ダメだ……もう立っていることすら……



「せめて……アイリスの近くにいなければ……」



 そうでなければ護れない。私が近くにいないと――

 遂に私は、切れかけていた意識の糸を切ってしまった。



     ◇



「――! ――さん!」



 んん……っ。誰かに呼ばれる声がする。

 呼びかけられる声で起きるとそこはベッドの上。寝室まで運ばれたのでしょうか。



「アイリス……。私、どうしてました?」

「寝室から出たら、ベランダで倒れているセリアさんを見つけて、ここまで運んだんです」

「そう、ですか……。すみません、お手数かけて」



 なんとか起き上がると、アイリスが泣きそうな顔でこちらを見つめてくる。



「セリアさん、もしかしてわたしを護るために……」

「いえ、少し眠たかったので、夜風に当たっているうちにベランダで寝落ちしてしまったのでしょう」



 アイリスの表情はどこか訝しげですが、ここで心配をかけるわけにはいきません。



「アイリスは心配しなくていいですよ」



 それだけ言い、アイリスの頭にポンと手を乗せ、寝室から出る。

 まだ痛みはありますが、動けないほどではありませんね。

 学院での合否発表もあることですし、急がなければ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る