第2話 君を調査中
帰宅したアトルは鞄を机の上に置くとすぐさま、ごろんとベッドに寝転んだ。
天井に目をやるとリヴァ・オデット嬢の姿を思い出す。あんな清潔感のある美少女を見たのは初めてのことかもしれない。この学院にあんな美少女がいただろうか。いや、実は周りにいるのかもしれないけど自分の目に入ってきたのは初めてのことだ。
それとアトルが気になっていたのがリヴァの学力のことだ。完全に学院の学習ペースについて来られていた。自宅のタイタニア家で家庭教師をつけてもらっているのだろう。ちなみにアトルには家庭教師がついていない。たまにミロアに質問して教えてもらえれば良いだけで、それで十分に学校の学習ペースに遅れずに済んでいるからである。それどころかアトルの成績は常に上位で、大学も推薦で第一志望の王立第二大学法学部に合格しそう、というところなのである。王立第二大学はウィルフレスカ家の邸宅から最寄りの大学なので今の邸宅から通えるのである。
目を閉じてリヴァのことを思い出していると誰かが部屋のドアをノックした。恐らくカーマインだろうと思ったが、アトルは一応返事をした。
「はい、誰ですか?」
「俺だよ、ミロア」
予想が外れた上にたまにしかアトルの部屋に来ないミロアであったことで驚いたアトルは勢いよく起き上がった。
「ミ、ミロア兄様?!」
「そう、ちょっといいか?」
「え、いや…いいよ、どうぞ」
アトルはミロアとは性格の質に距離があるため、普段からあまり話すことがない。勉強の質問をするくらいでそれ以外のことを話すことがないのだ。日常の愚痴や疑問ならカーマインに話すようにしていた。
ミロアがアトルの部屋のドアを開けて入って来る。ミロアはサラサラの亜麻色の髪の襟足をベロアのリボンで結んでいて、日頃から服装にも気を使っている。中肉中背だが何を着ても様になるような均整のとれた体をしている。そんなミロアと比べると少し華奢なアトルは、ミロアは気が付いていないがそこにも劣等感を抱いていて、それもあってミロアには近づき難いと思っていた。
しかしカーマインから言わせると「アトル様は周りの人と自分を比較しては落ち込み過ぎだと思います」とのことだった。
それを言われるとアトル自身も「どうしてこんなに自分に自信がないんだろう」と思うのだが、それでもどうしても自分に自信を持つことができずにいた。
「何だ、まだ制服のままじゃないか。ブレザーを脱いだだけでベッドに寝転んでいたなんて」
ミロアがアトルの行動をずぼらだと笑う。アトルは気まずそうに金茶の髪を掻いて見せる。
「カーマインとビアンキが話しているところを聞いたんだ。お前の様子がおかしいって」
「あ、あの二人…」
ビアンキというのはミロア付きの執事である、エルマー・ビアンキのことである。カーマインとは同い年の24歳で、卒業した執事学校は違うらしいのだがたまたまこの屋敷で出会って意気投合、二人は仲が良い。そのため、アトルの情報がカーマインからビアンキに漏らされることもたまにあった。しかしビアンキに入ったアトル情報にミロアが目敏く気付いて、アトルに近づいてくる…ということはごくごく稀なことであった。
「何かあったのか?学校で」
「…うーんと…」
「前から思っていたんだけど、カーマインに言えることを俺には言わないよな、アトル」
「そ、それは…カーマインはとりあえず立場上、僕のイエスマンのはずだから」
「『はずだから』ってお前…ビアンキに言ったら笑うな」
実際のところ、カーマインはアトルに意見することが多かった。執事なのでアトルの身の回りの世話をしていれば良いと言えばそうなのだが、彼はそれ以上にどこか教育係のような役目も負っていた。アトルもそのようなカーマインの立場を理解しており、その上でカーマインには大概何でも話すようにしていた。
「それで話を元に戻すが、学校で何かあったのか?」
「何もないよ………」
「本当か?」
ミロアがアトルの顔を覗き込んでくる。
「…………転校生が来た」
「え、この時期に転校生?誰だそれ、その生徒のことが気にかかっているのか?」
「うん…その子が何とあのタイタニア家のお嬢様なんだ」
「え!?」
タイタニアの名にさすがのミロアもそこで愕然とした表情を見せた。リヴァを紹介されたときのクラスの生徒達と同じ反応である。
「何でタイタニア家のお嬢様がこんな時期に来るんだよ。と言うか誰なんだ、タイタニア家のお嬢様って。そんなお嬢様が隠れていたのか」
「うん…何か今日の話だと、かなり訳ありみたいだよ。元々はリヴァ・レイヴンという名前だったらしいし」
「名前すら違うのか、それは最早何が何だか分からないな」
「でしょう?あのー…そ、それで考えていたんだよ」
「そうなのか…」
訳ありに加えて美少女だから気にしているだなんて、口が裂けても言えない。
アトルは自分なりに他人から評価される自分のキャラクターに気を使っているのだった。
今日はレオンが夕食の時間に間に合うように帰って来られる日であった。
先ほどヴィジョナリーテレポート(この世界にある、魔法により開発された通信機器で通信相手の画像が浮かんで来て話すことができる)で連絡があった。
このところ、難しい案件が立て込んでいて衛生省の執務室に泊まることすらあるほど忙しかったのだが、それらが一段落したのだ。そこでレオンは夕食を是非3人で摂ろう、と早めに連絡してきたのだった。
レオンは社交的で自分のこともオープンに話すミロアより、内向的でどこか自信なさげに振舞ってしまうアトルの方を気にかけていた。またアトルは10代と多感な時期の少年であるため、レオンは尚更アトルのことが気になっていた。成長期を親代わりの自分がもっと見守っていてあげるべきなのだが、うまく時間が取れないことをもどかしく思っていた。
父親のバーナビーがアトルと共に過ごさない理由をレオンは父親本人から聞いていた。やはり親離れさせないといけない、ということからだったらしい。バーナビーが病で倒れるまで、アトルは本当に父親にべったりだった。自分の専属の執事ではなく何でも父親に話して、どうして良いか分からないことは父親の許可を得てから何でも行うような性格だった。バーナビーは息子3人を分け隔てなく育てたつもりなのに、どうしてアトルだけこれほどまでに自分に執着してしまうのか、不思議に思うほどだった。
カーマインはアトルが14歳のときからアトル付きの執事として着任した。よく気が利いて仕事を卒なくこなせるということと、兄のような年齢ということからアトル付きに適任だとされ選ばれたのだった。それまでは40代のベテラン執事であるイーサン・トレックが10年ほどアトル付きの執事を務めていたのだが、結局アトルはトレックには懐くことはなく、今トレックはジェファーソン執事長の補佐の一人として屋敷で働いている。
カーマインはレオンが選んだアトルの執事だった。レオンはカーマインの仕事の仕方を評価していた。また、カーマインの知的でクールでありつつもさりげない優しさが見られるところが、アトルのような性格の少年には合うのではないだろうか、と踏んでいた。というのも、レオンはアトルには「適切な人との距離」が重要なのではないか、と考えていたからであった。内向的なので、ガツガツと迫って来るような性格の人間だと逆に難しいのではないか。その辺、カーマインはうまくやってくれると考えたのである。
レオンの読みは当たった。アトルはカーマインには心を開き、色々と話すようになったのである。もちろん、それはアトル自身の年齢に伴う成長もあってのことではあった。カーマインは細かい点に気が付くも、相手に入り込み過ぎない奥ゆかしさがあった。アトルはカーマインのそういうところを気に入っていた。
久しぶりに、レオン、ミロア、アトルの3人が揃った夕食になった。
食事がある程度まで進むと、レオンはパンをちぎりながらアトルに話しかけた。
「アトル、学校で特に変わったことはあったのかい?」
この質問から入ったのは、予めカーマインから話のネタを収集していたからである。先ほどのミロアとの会話からビアンキを経てカーマインの元へ転校生の話が伝わったのである。
アトルは少しの間黙っていたが、レオンならばリヴァ・オデット嬢のことを何か知っていると思い、勇気を出してこう切り返した。
「タイタニア家から転校生が来たんです。でも訳ありらしくて…レオン兄様は何か知ってますか?名を、リヴァ・オデット・タイタニアというのです。元々はリヴァ・レイヴンという名で、オデットは大公爵様から授かったものだとのことでした」
「うん…」
レオンはパンを皿の上に置いて、指を組んだ。
「リヴァ・オデット・タイタニア嬢には、タイタニア家の食事会に招かれたときに一度会っている」
「え、やっぱり!彼女は一体どなたの血を引く方なのですか??」
「それは……」
レオンはやや間をとった後、リヴァに言った。
「自分で、リヴァ・オデット・タイタニア嬢から話してもらえるように、親交を深めて行けば良いのではないかな?」
「ええッ!?!?」
まさか教えてくれないとは…アトルは慌ててレオンに訊ねた。
「で、でも兄上は知っているんでしょう??リヴァがどういう経緯でタイタニア家にやって来たかも、ご両親はどなたなのかも」
「知っているよ、さすがに食事会のお呼ばれしたからね、そこで教えて頂いたよ」
「それなら、僕に教えて下さいよ!!」
「ダメだ。自分で相手の懐に入って行きなさい。アトル、いつまでもそんな内向的な性格で良いと思っているのか?」
「~~~~~~~~~~~~!!!」
アトルは悄然として目を伏せた。レオンの態度は厳しいと感じてしまった。しかし、言っていることは尤もな部分もある。自分で聞き出せればそれに越したことはない。
更に、この流れにミロアが追撃する。
「大体、同じ公爵家の者として交友関係を持とうと、普通にすれば良いじゃないか。何でズルしてレオン兄様から事情を聞き出そうとしてるんだよ、まるでそれが裏事情かのように」
「ギクッ」
レオンが小さく溜息をつく。
「どうして自分から話しかけることができないのか分からないが、ミロアの言うように公爵家の令息令嬢として同等の立場なんだ。寧ろお前から率先して色々エスコートしてあげるくらいの優しさと気遣いがないといけないぞ」
「あ、ああ…そっか…」
アトルはレオンの言葉に少し反省した。しかしアトルからしたらリヴァが何だか偉大な女の子に見えてしまって、近づき難いと思えていたのだ。だが、客観的事実として言えば同じ公爵家の人間同士。普通に話をすることができる身分なのだ。逆に避けていてはおかしい状況なのである。
「わ、分かった…明日話しかけてみます…」
アトルは目を伏せたまま、レオンとミロアに約束した。その表情は自信の無さからだった。
翌日。
いつもなら何てことのない第一火曜日であるはずの今日が、昨日の兄達との約束で尋常じゃない日になってしまいそうであることに、アトルは溜息をついていた。
冷静に考えれば兄達が言ったこと―――リヴァに同じ公爵家の人間として話しかけること―――は簡単なことなはずなのだが、いや簡単というより社交辞令としてもやらなければならないことなのに、どうしてもやるとなると勇気が要る。
学院に着くまでカーマインと車の中で話をしていた。
「今日はリヴァ・オデット嬢に話しかけなければならなくなったんだよ」
「存じております、昨晩の夕餉の際にお兄様達とお約束なさったのですよね」
「その場にいたから知ってるよね、カーマインも。でも僕も、確かにリヴァに話しかけないのは礼儀を欠くって考え方もあると思ったよ」
「そうですか。成長なさいましたね、さすがレオン様に言われただけありますね」
「…ありがとう」
学院に到着し、カーマインに手を振って校門をくぐる。
校門の花のアーチ。それは魔法がかかっていて秋になっても鮮やかな色を湛えているマジカルフラワーのアーチ。今日はそのアーチをくぐる際にふとその美しい花々に目をやった。
綺麗なもの、美しいものに目を奪われるなんて、実は人生で初めてのことかも―――。
気付けば校門のアーチの花々も見事な美しさではないか。自分というのはそういうものの価値を気にせずいたのだろう、とアトルは自省する。
リヴァ・オデット・タイタニア。
目が覚めるような美少女。僕の心まで変えてしまいそう――――――そう思うとアトルはまた、話しかけるのが少し怖くなって来るのであった。
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