第3話 ご学友と僕
アトルが教室に入って行くと、毎度の儀式のように生徒達が一斉にアトルの方を見る。
「アトル様だ」
「アトル様よ」
だが、今日はメリッサ・エレミエル軍団が勢いよく近づいて来ない。アトルの様子を窺うようにじっと見ている。その視線をかわすようにして、アトルは窓際の席のリヴァを見た。
リヴァは頬杖をついて窓の外を見つめていた。その様子は教室内の生徒達との交わりを拒否するポーズにも見えた。しかし、アトルがそのように彼女の心情を解釈してしまうと、途端に萎縮してしまう。「今日は彼女との距離を縮めるぞ」と意気込んでいたのに、その勢いがそがれてしまう。しかし、その憂いを帯びた美しい横顔に思わず息を飲んでしまう。見ているだけでこちらが緊張してしまうほどの麗しい佇まい。
「分かり易い…」
「え?」
誰かの声が近くでしたと思ってアトルが後ろを振り向くと、ライソンが立っていた。
「アトル様、みんな見てますよ、アトル様のこと」
「え?ええ??」
ライソンに言われて慌てて教室中を見渡すと、リヴァに見とれていたアトルを凝視する生徒達の姿があった。それほど、アトルが他人に興味を示すことに皆、興味津々なのだ。その理由が如何様なものであっても。
ある者は「アトル様はリヴァ・オデット嬢がタイタニア公爵家の令嬢だから、同じ公爵家の人間としてどのように交友関係を作って行こうかお考えなのだ」と思い、ある者は「アトル様だって結局は男の子、リヴァ・オデット嬢の美しさに目がくらんでいるのだ」と思い、ある者はただアトルの態度に驚いたり訝しんだりしているのだった。
(うわ…どうしよう…)
しかし当のアトルは状況を把握した途端に耳まで赤くなって立ちすくんでしまった。
そんなアトルを見かねたライソンが「アトル様、お席に行きましょう」と言ってブレザーの肘の辺りを引っ張ってくれた。「あ、う、うん」アトルはちょっと驚きつつも、ライソンと一緒に自分の席に向かった。
しかし、こんな一連のやり取りを、当のリヴァは全く見ていなかった。ずっと頬杖をついたまま、窓の外を見ているばかりだった。それはまるで、このクラスに所属していることすら拒絶するかのような―――。
ランチタイム。
アトルは8年生になってからはいつも一人でカフェテリアで食べていた。この学院は給食制をとっていて、ランチタイムになると学院の生徒たちがこぞってグランドカフェテリアと呼ばれる大規模な食堂に集まるのであった。
その日もアトルは一人でカフェテリアに向かおうとしていた。すると「アトル様!」と誰かに呼び止められた。ライソンだった。そしてライソンの脇にはアトルが名前を覚えていない生徒の姿があった。
「ライソン!ライソンと、ええと…ごめん、君の名前は?」
「レミー・アスコットです。ライソンの友人です」
「ああ、レミー。ごめんね」
「レミーはクラスメイトですよ、一応覚えててあげて下さいよ」
ライソンが苦笑する。でもレミーは何も気にしていないかのようにただ微笑んでいるだけだった。アトルが申し訳なさそうに金茶の髪を掻いていると、レミーは笑顔で首を横に振った。
「気にしていないです、だからアトル様もお気になさらないで下さい」
「あ、ありがとう」
今度はライソンが、ホワイトゴールドのくせっ毛のショートカットの髪を掻いて見せた。
「レミーはいい奴なんですよ、アトル様」
「あ、うん」
「そんなそんな、普通ですよ」
レミーはコバルトブルーの髪に琥珀色の瞳をした、アトルよりも更に華奢な少年だった。ずっと優し気な笑顔を絶やさずにいる感じの良い性格で、アトルもライソンの言う通りだと思った。
「アトル様、今日から俺たちとランチしませんか?」
ライソンが提案してきた。レミーも笑顔で頷いている。アトルは思わず顔をほころばせる。
「いいの?」
「もちろんです、ダメな理由なんてないですよ」
聞き返した理由はメリッサ・エレミエル軍団のことが頭を過ったからだった。彼女達が纏わりついて食事どころではなくなってしまうのでは、と思うとランチもこれまで一人で食べなくてはいけなかったのだ。
カフェテリアは学年やクラスごとで座る決まりはないので、どこで誰と食べても良いのだが、そのためにアトルは8年生になってからはカフェテリアの隅っこで目立たないようにして食べていた。一度だけ、6年生のときに仲が良かった友人達に「アトル様、何しているのですか?」と訝し気に訊かれたことがあったが、そのときも「シーッ」と指を立てて詳しくは詮索しないようにと合図した。
久しぶりにできた友人。ライソンとレミー。特にアトルはライソンに頼もしさを感じていた。彼のことはよく知らないが、しかしこの一連の流れで積極的で社交的な人物であると思えた。
その日のランチは久しぶりに楽しかった。
知らなかったのだが、ライソンは話し上手で聞き上手、コミュニケーション能力が高い少年だったのだ。会話が弾むと食事も楽しい。アトルはライソンに感謝した。そしてライソンとアトルの近くで、ずっと優し気な笑みを湛えているレミーにも。
ライソンは自分の話をしてくれた。元々は魔法騎士の家系なのだが、魔法の才能がいまいち高くなかったことから行政官を目指すために士官学校には編入はしなかったそうだ。
ところで、この世界には魔法がある。魔法が日常生活で使われているのだが、魔法を学ぶ所は国内に二か所、いや二種類ある。一つは士官学校の魔法学科。ここで学べば将来は魔導士や魔法騎士の士官になることができる。もう一つは魔法専門の学校で王立魔法学院である。こちらは略されず「魔法学院」と呼ばれる。15歳以上で一定の魔力が認められればエスティア人であれば誰でも入学できる。4年制で卒業後の進路はそのまま魔法使いとして生きて行くか、魔法研究所で研究を続けるか、のどちらかである。一般市民が使うための魔道具を開発しているのは主にこの魔法研究所である。この王立魔法学院は国内に3か所ある。北部の山岳地方、ランメル山脈の麓にあるランメル王立魔法学院。西部の都市開発地域に設立されたウェストコースト王立魔法学院。もう一つは南部の比較的温暖な地域で園芸農業地帯の中にあるアリアンナ王立魔法学院。この3つである。
それら三校に優劣は特にないが、それぞれ特徴はある。ランメルでは攻撃魔法の他、呪詛祓いや魔封じなどの魔術を研究しており、一部の研究は士官学校の魔法科とも提携している。一方ウェストコーストの方は日常生活で使用する魔道具の開発が盛んで、製品は海外にも輸出している。ヴィジョナリーテレポートが開発されたのはこのウェストコースト魔法研究所からであった。そしてアリアンナでは農産物の品種改良や汚水を浄化する技術、医療魔術などが研究されている。
ちなみにライソンの父親は魔法騎士でたまにランメル魔法研究所に出張に行くのだそうだ。「俺には魔法の力が備わっていなかったけど、その代わり兄貴がなかなか優秀な魔法騎士になれそうなので、父親に嫌味言われることもなく済んでるんですよ」とライソンはあっけらかんと笑って見せた。
レミーもこの流れで自分の家系について話してくれた。レミーも騎士の家の令息なのだが、丈夫な体躯に恵まれなかったため行政官を目指して学院を卒業して大学に進学しようと決めたのだった。
「嘘みたいな話なんですけど、僕の父はマッチョで…」
レミーが最後の方は消え入るような声で言うので、アトルは少し笑ってしまった。レミーは中性的な美少年だが、父親は筋骨隆々なのだそうだ。華奢なのは母親似だと思う、とレミーは結論付けていた。
久しぶりの楽しいランチ。しかしふとリヴァの方に目をやると、彼女は一人で黙々と食事を摂っていた。「女の子達、誰も声をかけてあげないのかな」とアトルは考えていたが、その考えを見抜いたかのようにライソンが口を開いた。
「まず、リヴァ様が公爵家のお嬢様であることから、みんな距離をとっているんじゃないですか?」
「あ、ああ…でも図々しいまでに社交的なメリッサ・エレミエルが話しかけてあげれば良いじゃないか」
「女子には興味ないんでしょう」
「そうなんだ…誰とでも仲良くするタイプじゃなくて、結局そういう子なんだね、メリッサ・エレミエルって」
「自分に興味がある人間にしか近づかない、ってのは普通のことでしょう。そこを責めちゃうのはさすがに厳しいのでは?」
ライソンがそのようにアトルを窘めると、レミーがフォローした。
「アトル様はメリッサに迷惑をかけられていたから、少しお厳しく評価なさるんだよ」
「あ、ありがとうレミー。でもライソンの言う通りだよ、僕だって興味のある人間にしか近づきたくないもん…それで公爵家の人間として良いのか、って話だけど」
やはりこうして人と話をすると勉強になるな、とアトルは思う。
何気ない会話から、自分の成長に必要なことが見えて来る。やはり友人は大事だ。
放課後―――。
アトルはカーマインの迎えを待つ間、図書室で読書をしていた。
一方、ライソンは…と言うと、ある人物に絡まれていた。
「ライソン・ブリックス。うまいことアトル様に近づいたわね」
メリッサ・エレミエル。自慢は腰まで伸ばした豪奢なパステルピンクの巻き髪。周りの軍団員にも「私のヘアスタイルって最高じゃない??」と自慢げに話すほどだ。周りはメリッサの機嫌を損ねないようにそれを肯定するしかないのだが。
「うまいこと近づいた、というか席が後ろだから話しかけただけですけど」
ライソンが不愛想に返事をする。貴族の階級からするとエレミエル家の伯爵号のが上なので一応敬語を使って話すのだが、へつらう態度まではとれない。
メリッサは一部の男子のライソンのような態度に苛々していた。みんな、私が伯爵家の令嬢なのを分かっているの?
エスティア王国の爵位号は上から4種。公爵、伯爵、子爵、男爵の順になっている。その下に騎士号があるが、騎士号は歴史的にエスティア家を軍事的に支え仕えてきた家系に与えられる称号である。貴族と呼ばれるのはこの爵位家の家系の者と騎士号をも持つ家系の者である。しかし家系の歴史は浅くとも、現時点で高級士官や高級官僚を輩出している家は貴族同様に王家との交わりを持つ程に社交界で力を持っている。
学院に通わせているのは主に上記のような貴族や高級士官、高級官僚の家の者達である。メリッサ・エレミエルは爵位号第二位の伯爵家の令嬢であることから、強いバックボーンもあって普段から居丈高な態度をとっているのだが、それだけでなく彼女は自分の美貌を鼻にかけるところがあった。
「どうしてアトル様が私の美貌になびかないのか、あなた聞いてくれる?」
メリッサは堂々と、相変わらず上からの態度でライソンに頼んだ。頼んだというより命令した、に近い。
「は?俺がですか??ご自分でお聞きになったらどうですか??」
ライソンが少し不愉快そうな顔をして見せる。アトル様がメリッサを嫌うのはこういうところなのに、自分じゃ気が付けないんだな…。ライソンは白けた表情でフンと小さく鼻から息を吐く。
ライソンが自分の頼みに応じそうにないのを見て取って、メリッサはムスッと不機嫌そうな顔をした。
「何よ、私の言うことを聞けないってどういうことよ。騎士の分際で」
この言葉に更にライソンはカチンと来た表情で、メリッサを見た。自分の家柄をひけらかす性格、どうにかならないのか。アトル様は全然そんなところがないのに…。
階段の踊り場で喧々諤々、メリッサとライソンがやっているところに、アトルが図書室から降りて来ようとしていた。
メリッサとライソンはアトルが二人を見ていることに気付いていない?
(あ、ライソンとメリッサだ…何か、不穏な雰囲気だけど…大丈夫かな?)
ライソンはメリッサにきっぱり言う。
「もう一度申しますが、ご自分でアトル様にお聞きになったらどうですか?」
「そんな質問、自分からはしづらいじゃない!私だって、奥ゆかしさというものがあるんです」
「………」
ライソンはメリッサの返事に思わず閉口する。彼女の口から「自分に奥ゆかしさがある」という表現が出てくるとは思わなかった。
一連のやり取りを階段の上からアトルは見ていたが、ちょっと状況がよく飲み込めない。ただ、僕のことを巡って何か揉めているのなら止めなくちゃ…。
アトルはタタタッと螺旋階段を降りていく。
「何しているの??」
アトルが現れると、メリッサは先ほどの不機嫌な顔からまたキラキラした満面の笑顔になり、アトルの元に駆け寄った。
「アトル様!大した話はしていませんわ。ちょっとライソンとお話していただけですのよ」
「でも、僕の話をしていなかった??」
「え?えーっとそれは…」
メリッサはギクッとしたように目を見開き、口を中途半端に開けて固まった。そこにライソンが助け船を出した。
「アトル様、特に何も話していませんよ。大した話はしていないんです。本当にただの与太話をしていただけです。気になさらないで下さい」
「そ、そう…??」
変だな、僕の名前を口にしていたように思うのに。結局その場はすぐに解散になった。アトルもカーマインを待たせているので、すぐにその場を去らなければならなかったのだ。
聖獣の車に乗って、窓の外を見る。カーマインには今日、ライソンとレミーがランチを一緒に食べてくれたことを話した。
しかし今日もリヴァ・オデット嬢に話しかける機会がなかった。もっと彼女に近づきたいな。どんな性格か分からないし、彼女の唯一無二の男性になれるとは限らないけど、でもせめて友達くらいにはなりたいな。
今はそれだけ。
ただそれだけの気持ち―――。
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