アトル様はお人嫌い

鳥籠ララ

第1話 私に近づかないで下さい

 ギィィ…。

 今日もウィルフレスカ家の当主であるレオン・ウィルフレスカ公爵の朝は早い。重厚な門を開ける音が当主の出発を知らせる。

 聖獣〈一角獣〉が牽く車に乗って外出するレオン―――尊敬する兄なのだがどこか心を開けずにいるアトルは、屋敷の窓から兄の車を見送る。社交的な兄と違って内向的な自分をアトルはよく責めている。

「兄上達のように振る舞えればなぁ…」

今日も独り言と溜息。そのタイミングで自室のドアを何者かがノックする。

「はい」

「カーマインです」

「入って」

カーマインというのはディアネス・カーマイン、アトル付きの執事である。18歳のときからウィルフレスカ家に仕え現在24歳と若いが、何かと気が利く仕事のできる人物である。

「学院にお出かけになるお時間です。御仕度はできましたでしょうか」

「できている。でも学院には行きたくない」

アトルの返事にカーマインは小さく吐息を漏らす。

「またですか。それは毎度申しておりますが、理由としてはご学友の問題ではなくアトル様の問題のように思えますけれども」

「違う、本当に。あのクラス、本当に雰囲気悪い」

「齢16、17の集団なんてどれも似たようなものだと思います」

「学院はカーマインが通っていた執事学校のようにやることが決まっているわけじゃないんだ」

「はい、で?」

「だから自分で自分の行動を決めなくてはならない。そうするとみんなが僕の一挙手一投足に注目する」

「注目されるのは仕方がありません、公爵家の嫡男として生まれている以上」


 ここエスティア王国には〈七公爵〉と呼ばれる、政治と軍事を牛耳る大貴族がいる。主に政界に強い影響力を持っているのがウィルフレスカ家、トラバール家、アルトローズ家、軍事に影響力を持っているのがエヴァンス家、ブロンズロッド家、ハリエット家、そして政界・財界のみならず軍にも力を及ぼし、王家からの信頼も厚いタイタニア家―――。タイタニア家に至っては「大公爵家」と呼ばれ、他の六公爵家と一線を画す力を持っている。とは言え、ウィルフレスカ家は七公爵の一つに違いはなく、特にアトルの兄レオンは27歳の若さで衛生省の執政官を務める程に政治的センスがあり、今注目を受けている。アトル達の父である前ウィルフレスカ公爵であるバーナビー・ウィルフレスカは政治的な才能はあったものの50歳で心臓を患い病床に伏せてしまった。そのためレオンが23歳で公爵の地位を継いだ。レオンが大学を出てすぐのことである。父親っ子であるアトルは悲しみ、病床に伏せても同じ邸宅で暮らすことを望んだのだが、バーナビーは妻でありアトル達の母親であるリディア夫人と共に奥の別邸に移り住んでしまった。

 そして今、ウィルフレスカ家の本宅には長男レオン、三男アトル、そして次男で大学生のミロアが住んでおり、執事長のダンカン・ジェファーソンが総勢20名の執事達を率いて屋敷の運営を仕切っている。


 アトルは聖獣が牽く車にカーマインと共に乗り込み、車内でもずっと自分のクラスが居心地が悪いことを話していた。

「僕の学年って知っての通り、僕しか公爵家の人間がいないでしょ?そのために悪目立ちするんだよ」

「はい、毎日お聞きしております」

「ミロア兄様と違って、僕は目立つのが嫌いなんだよ」

「ミロア様は目立つがお好きなのではなく、派手に振る舞って楽しく過ごすのがお好きなんじゃないでしょうか」

「同じことだよ」

 アトルのすぐ上の兄ミロア・ウィルフレスカは幼少の頃から社交的で、すぐに友達ができるタイプだった。公爵家の次男ということで周りが臆するものの、そういう壁を自分から壊していく性格なのである。だから今もたまに大学の友人達を邸宅に招いてはパーティを開催しているのだが、それはもう15歳の王立学院生の頃からのことだった。

 エスティア王国には主に貴族の令息・令嬢が通う王立学院という学校がある。通称・学院。レオンもミロアも王立学院を当然卒業しているわけだが、王立学院は9歳から入って18歳で卒業する9年制の学校である。ただ、軍人になるために15歳で士官学校に編入する生徒もいる。エヴァンス家、ブロンズロッド家、ハリエット家の令息は皆6年生が終わると7年生になる前に士官学校に編入してしまう。また騎士の家系の学生も士官学校に編入する者が多い。アトルはウィルフレスカ家の慣わしとして、大学へ進学して行政官になることを考えているため、そのまま7年生になり現在8年生、齢16歳なのである。

 一方現在20歳のミロアは大学を卒業したら外国へ遊学すると決めていて、今は語学に力を入れている。そんなミロアをアトルは「遊び人だな」と誹ってみたことがあるが、ミロアはミロアで考えがあってのことでありアトルの非難は無視された。ミロアは海外とのコネクションを作っておいて将来外務関係の行政官として働こうと考えているのだった。

 

 学院に車が到着すると、カーマインがアトルの鞄を持って先に降り、アトルの手を引いて下車させた。カーマインから鞄を受け取ると、アトルは「それじゃ、行ってくる」と小さく挨拶をして、そのまま校門の方へ歩いていった。

「行ってらしゃいませ」

 歩き出したアトルをカーマインが恭しく頭を下げて送る。アトルは一瞬振り返る。カーマインの最敬礼が逆に疲れてしまうアトルなのであった。


 普通の民家…そこまで行かなくても騎士の家くらいで良かったんだ、僕は―――。



 アトルが教室に入ると一斉に生徒達がアトルの方を見る。

「アトル様だ」

「アトル様よ」

 それぞれがアトルの名を小さく口にする。そして女子生徒達の軍団がアトルの傍に駆け寄って行く。

 女子生徒達がどうして駆け寄って来るのかは分かっている。ただ公爵家の人間と将来結婚したいからである。そんな残酷な事情はまだ10歳にもならない学院1年生のときから分かっていることなので、アトルは女子生徒達に一瞥すらしないことに決めている。

 自分の席に着いてもまだ周りを囲む女子生徒達に苛々しつつも、ポーカーフェイスを装っていた。現在、主にアトルを付け回しているのはエレミエル伯爵家の令嬢メリッサ・エレミエルとその取り巻き軍団である。8年生になって同じクラスになってから付け回されるようになったが、アトルは彼女達の図々しさというか奥ゆかしさの足りないところに逆に驚きを覚える程だった。始業式、アトルを見つけるや否やアトルを取り囲み、取り留めのない話をペラペラと話し、アトルの反応はほぼ無視している。アトルがいかに無反応を決め込んでも、勢いよく自分たちの話をしているのである。

 7年生のときは7年生のときで女子生徒達に囲まれていたのだが、ここまで積極的ではなかった。そのため、アトルはカーマインに毎日のように「クラスの雰囲気が悪い」と愚痴をこぼしているのであった。

 ただ、彼女達の積極的な態度にもそれなりの理由がある。8年生ということは次は最終学年、同じ大学に行けると決まっているわけではない以上、このチャンスをモノにしたいという思惑が働いているのである。しかし、こう毎日女子生徒達が取り囲んでいると、男子生徒との仲が疎遠になってしまう。実際、始業式からもう2ヵ月経っているが、アトルに男子生徒の友人ができているとは言い難い。男子生徒達はアトルが公爵家の令息であるため気を使ってくれるものの、友情を育めている同級生は一人もいない。毎年3、4人は「友人」と呼べる同級生ができるものなのだが、今年はさっぱりできない。それもこれもエレミエル伯爵令嬢軍団のせいだと、アトルは彼女のことは心底疎ましく思っていた。

 メリッサ・エレミエル嬢は見目こそ麗しいが、性格が強気過ぎる。常に6、7人の女子生徒を自分の子分かのように引き連れて歩いている姿は、まるで女王のような雰囲気だ。しかしその様子を見る度アトルは彼女を忌々しく思う。アトルは自分の美貌に託けて、強気な態度をとっているメリッサに苦手意識を持っていた。というのもアトルの性格とは全然違うからである。自分がメリッサの立場だったらこんなに積極的に人に関わって行けないと思うのである。

「アトル様、昨日のお夕食は何を召し上がりましたの??」

 あまりにアトルがメリッサ達を無視していると毎回訊ねてくるのがこの質問である。これだとさすがに無視しづらい。それで結局答えてしまう。

「…覚えているのは、魚のムニエルだったかな…あとカボチャのスープ…」

 アトルがそう答えるだけで、メリッサ軍団はキャーキャーと喚き散らし「美味しそう!」「素敵!」など、キラキラした粉でも振り撒くように黄色い声をあげて騒ぐのだった。

 そうすると男子生徒達とアトルに興味を持たない女子達がこちらをチラリと見る。その瞬間がアトルを苦しめた。毎回この瞬間が苦しい。「うるさいと思われているんだろうなぁ…」と、アトルは気を使ってしまうのである。

 このことをミロアに相談したときには「何でそれで苦しいんだ、気にしなくて良いだろ」と全く相手にされなかったのだが、これこそ「悪目立ち」なのである。アトルはこんな目立ち方はしたくないのである。

 

 カラーンコローン。

 予鈴が鳴る。そのタイミングで担任の先生であるシェリ・モンテール女史が教室に入ってきた。30代半ばのモンテール先生は数学の教員なのだが、いつも柔らかな笑みを湛えている感じの良い人物であった。

「皆さん、すぐにお席に着いて下さいね。今日は新しいお友達を紹介します」

 教室がざわつく。「新しいお友達」ということは転校生を意味しているであろう。この時期に王立学院に転校生というのはどういうことなのか…と生徒達はそれぞれに怪訝そうな顔をしている。

「皆さん、お席に着きましたね。ではお呼びしましょう。リヴァ・オデット・タイタニアさん、お入りになって」

 ―――タイタニア。

 その名前で教室が一瞬にして凍り付いた。

 タイタニアの名は大公爵家の者しか名乗れない、特別な姓である。いや、公爵家の姓は公爵家の人間以外には使われてはならない法律があるほどで、ウィルフレスカの名も同じことである。

 その特別な名を持つ生徒というのはどういうことなのか。

 先生に呼ばれて、教室の引き戸がガラリと開く。そして名を呼ばれた女子生徒が入室してきた。

 濃紺の髪に意志の強そうなサファイア色の瞳。真っ白で艶のある肌。桜色の唇。制服のスカートからすらりと伸びた足―――。

 アトルはハッと目を見張った。メリッサのような華美さはないものの、その怜悧さが滲む美しい容姿に思わず息を飲む。品のある濃紺のストレートヘアは、もし隣に並んだらアトルの金茶の髪を幼く下品に見せてしまいそうな程に上質だ。

「ではタイタニアさん、皆さんにご挨拶して下さい」

 モンテール先生はそう言うと黒板にチョークで彼女の名前を書き始めた。すると彼女は少しぶっきらぼうに頭を下げて、名乗り始めた。

「私の名前は…私の名前は、リヴァ・オデット・タイタニアです。でも、少し前まではリヴァ・レイヴンという名前で、オデットという名前は祖父が新たにつけてくれたものです」

 彼女の説明に教室中が騒々しくなる。一体どういうことなのか。祖父というのは恐らくタイタニア公爵のことだろう。しかしレイヴンというのは??少し前までというのはどういうことなのか??

 ざわざわしているとモンテール先生が「静かに!」と少し厳しい口調で言った。モンテール先生はあまり叱るということをしない先生なのだが、このときの口調は少々厳しさを含んでいた。

「タイタニアさん、そこまでお話にならなくても良かったのよ。みんなそのうちにあなたのことを分かってくれるはずですからね」

 モンテール先生は今度は優しい口調でリヴァに話しかけた。どうやら訳ありなお嬢様なようだ。更にモンテール先生は続ける。

「タイタニアさんのお席は窓際の一番後ろに作っておきました。そちらにお掛けになって」

 するとリヴァは軽く一礼して自分の席へと真っ直ぐに歩き始めた。アトルは思わずその姿を目で追う。

 モンテール先生はリヴァが着席したのを見届けると、クラスの生徒全員に向かって話し始めた。

「リヴァ・オデット・タイタニアさんはご家庭の事情でこれまで一般市民としてお暮しになっていましたが、お母様が公爵家に戻られたのをきっかけに王立学院に転校していらしたのです。貴族の慣わしなどはご自宅でお勉強されているようですけど、貴族の社交界のことはこの学院で学ばなくてはならないことも多いです。皆さん、仲良くして差し上げて下さいね」

 アトルがリヴァの方をチラリと見ると、リヴァは少し不愉快そうに俯いていた。

 これまで「一般市民」として暮らしていたということは、王都のどこかの区画にある商店の娘だったりしたのだろうか。それとも役人の娘だろうか。それか下士官の娘か。

 ところで、アトルの席はクラスの中央に位置する。窓際の最後列に位置するリヴァを見ようとすると、当然振り返らないといけない。アトルは振り返る度に後ろの席のライソン・ブリックスと目が合った。ライソンは騎士の息子だが大学進学を希望して士官学校に行かなかった生徒である。アトルはあまりにライソンと目が合うので気まずくなって、リヴァを見るのを我慢することにした。

「では授業に入りましょう。今日はちょうど良いことに数学が一時限目です」

 モンテール先生はにこやかに教科書を開き始めた。


 休み時間。

 アトルがまたメリッサ軍団に取り囲まれそうになったときのことだった。

 後ろの席のライソンが「アトル様、ちょっと…廊下に出ませんか」とアトルの背中をつついた。いつもならライソンはアトルなど興味もないような雰囲気を出しているのでアトルは驚いたのだが、思わず「う、うん」と頷いてライソンの後をついて行った。

 それでメリッサ軍団はどうしたのかと言うと、ライソンのいきなりの行動に面食らったのか、その時は呆然と二人を見送るだけだった。

 廊下に出たアトルとライソン。ライソンは前置きもなくいきなりアトルに「転校生のお嬢様のこと、気にしていらっしゃるんですか?」と訊ねた。

 アトルはびっくりして、思わず目を見開いた。

「え?!いや、え!?」

「ずっと見てましたよね?転校生のこと」

「……」

「見てました、よね??」

「いや、いやぁ…転校生かぁ、と思って…」

 アトルは詰問されてしどろもどろに答えた。ライソンの目を見て答えた方が良いのだろうが、視線も定まらない。あまりに唐突のことだったので驚き過ぎたのだ。

 それでもライソンはアトルの顔を覗き込み、更に詰め寄った。

「アトル様が他人に興味を持つところ、初めて見ました。メリッサ・エレミエル嬢達に苛ついている姿しか印象になかったので。だからあの転校生に興味あるって…それは俺がアトル様に興味を持ったというか。だから訊いてみたんです」

「あ、そう…そうなんだ」

 正直、いきなり「興味を持った」と同性に言われても何と答えて良いか分からなかった。このライソン・ブリックスは一体自分にどうして欲しいと思っているのだろうか。

「あの転校生、美人ですよね。でも大公爵家のお嬢様だから『美人だ』なんて軽々しく評価して良い方ではないんでしょうけど」

 ライソンからはスラスラと言葉が出てくる。アトルは何も言葉にすることができない。タイタニア大公爵家の訳ありご令嬢―――美少女だとかそういう前に彼女には様々な事情が纏わりついている。見目に圧倒されている場合ではないことを、ライソンの言葉から痛感する。

 アトルは小さく息を漏らした後、ライソンに告げた。

「ライソン・ブリックス…この話はまたにしよう。本人に聞かれても良くないし」

「…そうですね」

 ライソンはクールな表情を崩さないままではあるものの、話を一旦クローズすることに納得したようだった。

 二人が話を終えるとちょうど予鈴が鳴った。次は歴史の授業だった。



 カーマインが迎えに来てまた聖獣の車で帰宅することになったのだが、アトルは車に乗り込むときに周りをよく見回していた。カーマインが「アトル様、どうなさいました?」と訊ねると、アトルは我に返って「あ、何でもない」と言って車に乗り込んだ。いつもならカーマインの手を取って乗るのだが、今日はそそくさと自分で乗り込んでしまった。

 車での移動中、カーマインが再びアトルに訊ねた。

「何か気にされていたようでしたが、今日は特別なことでもございましたか?」

 アトルは目を伏せる。答えたくないときには大概こういう表情をする。カーマインもそれを心得ていたため、それ以上は何も訊かなかった。

 アトルは車から外を眺めながら、リヴァ・オデット嬢について考えていた。秘密を持った大公女リヴァ・オデット嬢。タイタニア家のことならレオン兄様に訊けば分かるかな?たまにタイタニア家の食事会に呼ばれているしな。もしかしたら僕より前にリヴァ・オデット嬢に会っているかもしれない。

 今日は話しかけることができなかった。でもいつもメリッサ・エレミエル伯爵令嬢軍団を無視しているのに、リヴァ・オデット嬢にだけ自分から話しかけて行ったら何か変だよね―――。

 

 ああ、自分の行動は自分で決めたい。

 いや、自分で決められるはずなのに、どうしてこんなに周りを気にして行動できないんだろう?このことがカーマインが「問題はアトル様にある」という理由かな?

 でもあんなに毎日打算的に近寄られたら嫌気もさすよ…そうだ、嫌気がさすことを素直に話せれば良いのに、どうしてそれを率直に相手に伝えられないんだろう…。

 やっぱり原因は僕にあるのか。

 いや、違う。彼女達が近づいてくるのが原因なんだ。

 僕に近づかないで欲しいなぁ…。


 そんなことをつらつらと考えているとあっという間に自宅のウィルフレスカ邸に到着した。その間、ずっとカーマインと話さずにいた。いつもなら少しは会話をするところなのだが今日は一人でずっと物思いに耽っていた。

 そのことをカーマインは気にかけていた。




 

 

 

 

 

 

 


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る