第2話

 C大学附属病院は他の学部とはキャンパスが分かれている。同じ市内にはあるのだが、他の大学はJRの駅から徒歩圏内なのに附属病院はバス通勤をしなければならない。そうはいっても通勤距離が大きく変わるわけではないし、附属病院行きのバスの本数は多いから、そこまで不便という感じはない。

 


 念願の附属病院に初めて足を踏み入れた私の心は晴れやかだった。


 C大病院といえば県内随一の規模を誇る三次救急施設で、診療科の数は三十以上あるし、病床数は八百を超える。入院棟は十階建てで、屋上にはヘリポートもある。とにかくすごい施設なのだ。


 私が配属された管理課経理係という部署は、管理棟の三階にあった。

 管理課には全部で四つの係があり、室内のデスクは係ごとに四つの島に分かれていた。石井と名乗った経理係の係長はなんだかとても気難しそうな男の人で、かなりとっつきにくそうな印象を抱いた。職場で誰かと仲良くしようなどとはもとより思っていないが、ここまでだと仕事上のやりとりもちょっとやりにくそうな感じだ。

 石井さんとは通り一遍の挨拶以外の会話をすることなく、その後は統括係の川戸さんという人が室内を案内してくれた。この人はこの人で中年女性というよりはおばちゃんという感じで、話しやすいかもしれないけどめんどくさそうでもあるな、と私は内心独り言ちた。


 「あなたが前にいたところ、工学部だったっけ。そっちではどうだったか知らないけどね。ウチでは女性だけ、お茶当番っていうのがあるから」

 「はぁ」


 ほらしょっぱなからめんどくさい話が出た、と思いながら私は気のない返事をした。工学部にはそんなのなかった。そもそも女性が多い部署ではなかったからかもしれないが。

 はいはいと適当に相槌を打ちながら聞いた限りでは、お茶当番といっても文字通りの毎朝のお茶出しがあったりするわけではないようで、それは救いであるといえた。

 やることといえば給茶機の粉末茶を足したり、汚れているところがあれば軽く水拭きしたり、四時を回ったら一日使ったタオル類をざっと手洗いしたり。

 強いて言うなら今時手洗いというのがうざったいな、くらいで、お茶当番の仕事に対する全体的な印象は、それもお給料のうち、と思えばまぁこなせるか、という感じだった。


 「あ、そうそう。一つ絶対に忘れちゃいけないのがね。ちょっと、こっち来てほしいんだけど」

 

 説明も終わりかと思って気を抜きかけていたら、まだ続きがあったので少し面食らいながら返事をして、川戸さんのあとに付いていくと、そこには神棚が設えてあった。

 一般企業だったら商売繁盛のためなんかで神棚があったりするというのはわかるけど、病院の商売繁盛というのはなんだか微妙ではないだろうか、だってたくさんの人が病気や怪我をすることで病院は潤うんだから。ぼんやり考える私をよそに説明は続く。


 「ここに、お供えしているさかきね。お茶当番の人が、毎日水をお取り替えすることになっているの。絶対、忘れないでね」

 

 なるほど、目を遣ると、そこにはなんだか名前のわからない細長い花瓶のようなものが神棚の両端に一つずつ。そこから、椿みたいな葉っぱが出ている。これが榊というものなのだろう。


 「この、榊ね。これは私が月に二回新しいのにお取り替えすることになっているからあなたは気にしなくて良いんだけど。だけどね。お茶当番の日は、責任を持って水をお取り替えしてね」


 いやにくどくどと念を押すなぁ、と思いながら「はい」と頷く。

 それにしても、この神棚は何なんですかとか、この雰囲気だと聞きにくいなぁ、なんだか妙な話を長々と語られる流れになったりしたら嫌だし。


 ――と考えた私の胸のうちを知ってか知らずか、川戸さんは声を低め、真っ直ぐに私の目を見ながら言った。


 「榊も、この神棚も。ないがしろにしたら――祟られるから」


 川戸さんの目つきも声音も真剣そのもので、だから絶対、あなたがお茶当番の日は榊の水をお取り替えするのを忘れないでね、となおもくどくどと繰り返すのを、もはや聞き流すことはできなかった。

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