僕を縛りつける夏の日
放課後、ランドセルを揺らしながら昇降口を出る。日差しを照り返すアスファルトからの熱気を感じる。
兄が死んでから3度目の夏が来た。
僕は当時の兄と同じ小学5年生になった。
兄は優しくて、かっこよくて、僕の憧れそのものだった。両親からも信頼を置かれていた。兄が死んだ時、父と母は虚無感に溢れていた。その頃僕が集めていたセミの抜け殻のように。
父は2ヶ月ほど会社を休み、母は虚ろな目で家事をこなした。僕は喪失感と後悔の渦の中にいた。あの時、僕が懐中時計を落とさなければ……。
波が兄を飲み込むことはなかっただろう。
あの日、僕たち兄弟と父はクジラを見に行った。父の旧友が船を持っているため、僕たち兄弟も一緒にどうかとホエールウォッチングに誘われたのだ。僕も兄も船に乗ったことがなかったし、本物のクジラを見たことがなかったからとても興奮していた。
僕は大事にしていた祖父の形見である懐中時計をポケットに入れて行った。大好きだった祖父にもクジラを見せたかったのだ。僕らは船のへりで心地よい海風に吹かれていた。
おじいちゃんもここにいたらなぁ……。
祖父は気さくで話のおもしろい人だったため、僕たちは祖父に懐いていた。
兄も同じ気持ちだったらしく、
「じいちゃんもいたらよかったな。」
海をながめながら独り言のように呟いた。
「瞬ー。翔ー。クジラが見えたぞー。」
と父が僕たちを呼んだ。
「かける!行こう!」
兄がさっと立ち上がった。
「お兄ちゃん待って!」
僕が兄の後を追おうとすると、ポケットから懐中時計がするりと落ちた。あっと思った時には、どぼんと音を立てて海に落ちるのが見えた。
「おじいちゃんの時計がっ」
と僕が泣きそうな声で叫ぶと視界の端に海へ飛び込む兄が見えた。そこからは、今でもその場にいるかのように鮮明に思い出す。
鼻腔をくすぐる潮の香り。
兄の名前を必死に叫ぶ父の声。
祖父の懐中時計を片手に必死に泳いでくる兄を飲み込むような波。
肌を照りつける夏の日差し。
背中を伝う汗。
そして、クジラの大きなひれ__。
全てが僕をあの夏に縛りつけている。
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