第3話
「言い忘れてたけど」
朝のヨガ(母さんに命じられてやっている)をしていると父さんが声をかけてきた。
「外に遊びに行ってもいいけど、あんまり遠くに行っちゃだめだよ」
ドキリとする。今日はマサと釣りに行く予定なのに。
「遠くって言っても、どれくらいが遠くか分かんない」
そう言ってごまかす。
「ママには言えないけど、結構しきたりとかそういうのが面倒くさい土地なんだよね、ここ。ここらへんで一番えらいひとがいて、その人決めたルールを守らなきゃいけなくて」
「そうなんだ」
「アスナは大人っぽいから大丈夫だろう、って言ってたけど、この辺は変な男がいて、そいつと話すと連れていかれるんだって」
「なにそれ、ロリコンじゃん、キモ、どうして捕まんないのよ」
「うーん、わかんないけど。だから、あんまり遠くに行くなってことみたいだよ」
「分かった」
そう返事をすると父さんは安心したように微笑んで出かけて行った。これからここでの仕事の人に挨拶しに行くそうだ。
ロリコンには気を付けなきゃいけないかもしれないけど、確かにあたしはロリコンが好きそうな見た目じゃないし、マサもいるから平気だろう。
マサは昨日と同じ格好だった。家に帰っていないのだから当然かもしれないけど、別に臭くはなかった。
「ねえ、どうして電気点けないの」
「暗い方がヒンヤリしてて気持ちいいから」
あたしが納得しているとマサは通気口に手をかけた。がこっと音がして綺麗に外れる。
「それより早く行こうぜ」
「うん」
マサは結構筋肉質なのに通気口をするりと抜ける。あたしはマサより細いのに手間取って、結局マサが外から引っ張って出してくれた。
家の裏は森と言うにはおおげさだけど、とにかく木がいっぱい生えていた。
マサは背の高い草を豪快に分けて入って行く。
「俺が草をふんどくから、そこ通れよ」
優しい。ちょっとキュンとした。
そうやってしばらく歩いて十分くらいすると急に視界が開けた。
「池だ」
フナだろうか、魚に詳しくないから分からないけど灰色の魚が泳いでいる。
「これ」
マサは木の枝の先に糸がついたショボい釣り竿のようなものを手渡してくる。
「エサはないの?ていうかこんなんで釣れるの?」
どう見てもこのスケールの魚を釣り上げられるようには見えない。
「いいからやってみろよ、面白いくらい釣れるから」
「分かった」
マサの言った通りだった。不思議なくらい魚が食いつく。それにあたしは全然力がないのに、軽く引っ張るだけですぐに釣れた。それをマサの持ってきたバケツに入れていく。本当に面白い。
最初はおしゃべりをしていたあたしたちも段々熱中してしまって、バケツがいっぱいになったら放し、また釣り上げ、放し、を繰り返して、気付くと空が夕日で真っ赤になっていた。
「そろそろ帰ろうよ」
「食べていかないのか」
「え?」
あたしが聞き返すとマサはじっと見つめてくる。かっこいい男の子に見つめられるとどきどきしてしまう。しばらく黙っているとマサは首を横に振って犬みたいに汗を飛ばした。気付いてなかっただけであたしも汗ビチョだ。
「そうだな、帰ろう」
マサは来た時と同じようにぐんぐんと草をかき分けて戻っていく。置いて行かれないようにするのに精いっぱいだった。
「明日もやる?」
そう聞くと、
「明日は行けない。ていうか来ないでくれ」
そう言われてしまった。怒ってる?と聞いたけど別に怒ってはいないらしい。
夕食にお兄ちゃんは来なかった。お兄ちゃんには悪いけど、母さんの愚痴を我慢しさえすればちゃんと最後まで食事ができるのでいない方がありがたい。
「そういえば、近所の子が誘拐されたんだって」
父さんが言った。信じられない、だから田舎って嫌なのよ、と母さんがすかさず言うけど、誘拐くらい東京にだってあった。
「女の子?」
「いや、男の子らしい、中学生の」
マサの顔がすぐに思い浮かんだ。でも、言わない約束なので言えない。
「本当に誘拐なのかなあ」
そう呟くと父さんは怪訝な顔をする。なにか聞かれそうなので遮って早く見つかるといいね、と言った。
母さんはまだ田舎の悪口を言っている。
――食べていかないのか。
マサの声が頭に残っている。マサは何を食べているんだろう。きっとあの池でとれた魚とか焼いて食べてるんだろうけど、このヘルシーハンバーグより、ずっとましなはずだ。
また夢を見た。夢の中のあたしはマサの捌いた魚をバクバク食べていた。魚は食べるたびに母さんの声でやめてえ、って泣いた。
美味しくて楽しい夢だった。
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