第71話 苦しい言葉
その頃の銀次郎は、社長や上司に誘われホステスのつくバーに行くことがたまにあった。
「・・・お前の彼女のー、たいそうなべっぴんじゃが、男は酒飲んで、女と遊んでなんぼじゃけえの。」
といわれはしたが、銀次郎はそういう世界は初めてであり、だまって出されるシャンパンやビールに口をつけるだけだった。
しかしこのシャンパンやビールがとても堪えた。
周囲の男達は浴びるように飲んでいるが、銀次郎の場合は1-2杯でよっぱらって気分が悪くなり、もうろうとしてしまう。
それでも慣れだと思い、少しでも協調性を高めるために、トイレで吐き戻したりして飲んだりした。
ホステスが
「・・あら?銀次郎さん大丈夫?」
などと心配するが、社長がしょうがなさそうに自分の背中にむかい
「・・ありゃあええ男なんじゃけどノー、堅物なんがいけんわい。」
と言ったのが辛かった。
家につくと、背広の上を脱いで、そのままソファに寝てしまうことが多かった。
今思い返してみても、この時期ほど仕事がたいへんだったことはない。
社長から仕事を任されるのはやりがいがあっていいのであるが、朝早く7時には家を出て、帰るのは日をまたいで1時、2時。
みどりがすごく心配した。
この頃にはみどりを抱くことがあまりなくなってもいた。
もう体力がなくてそれどころではなかったというのが本音だった。
一方Y子とは出張先で会うことが多くなってきた。
狭い地元で万が一にも人目につくと、みどりに恥をかかせることになるし、どうせ別れられないなら、誰もいない地方のほうが気が楽だ。そう思ってもいた。
もちろんみどりには罪悪感があったが。
自分が場所を告げると、Y子はたとえそれが札幌であろうが、仙台であろうが、飛行機で来た。
出会って1年が経とうとしていたが、Y子の女ぶりは匂うほど上がっていた。
空港で彼女がコートを着て、その黒髪をなびかせて近寄ってくる風景などは、いつも美しいと思ってしまう。
そのうち空港独特のあの経由と、航空燃料と、コンクリートの匂いが条件反射的に好きになっていった。
鼻がY子と会える匂いだと感じたからだろうか。
みどりには申し訳なかったが、こういう時は、唯一と言っていいほど気軽でいられる時だった。
Y子にはみどりにはない、銀次郎の本音を言わせる何かがあった。
また銀次郎も社中では孤立無援。
社長から気に入られたからそこにいられるだけだった。
どんなことが会社を辞める理由になるかわからない状況にあって、そのストレスは極限に近く、銀次郎を眠らせない夜があるほど追い詰めていた。
そんな環境の中、地方で誰にも見られない環境というのは、これほど安心できるものはなかった。
その日自分はY子を伴い、空港を離れ、車で宮城・松島に来ていた。
Y子にいう。
「・・ごめんな・・こういうところでしか会ってあげられなくて。」
「・・あやまる必要ないよ。飛行機も最近なれたし。こうやって色々なところにぎんちゃんのおかげで来られて、幸せに思うとるよ。」
そういってくれるY子の存在はありがたがった。
「・・とうゆうより、ぎんちゃん、どんどんかっこよくなっていくね・・・背広着とるぎんちゃんと会うと『これがわたしの彼氏かあ・・』と思うときがあるんよ。・・・」
ため息がでた。
こんな男をお世辞でも
「かっこいい」
と言ってくれる女がいるだろうか。
お世辞でも、疲れているときに、こうやって言ってくれる女というものが男にとってどれだけありがたいことか。
男にとって、自信を失いつつあるとき、それがどんなちっぽけなことでも、褒めてもらえれば嬉しいのだ。
車を夕日の沈む松島湾に向けて、Y子と自分は手をつなげていた。
「・・ありがとう・・こんなY子を大事にしてくれて。」
彼女はそういったが、彼女をこれぽっちも大事にしていると思っていない銀次郎にとっては、彼女の言葉が銀次郎の心を苦しめた。
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