第64話 滅私奉公のはじまり

銀次郎の仕事はあいかわらず好調だった。


販路が広がり、売り上げも順調に伸びて、


「○○地方の店舗でわからんことがあったら全部銀次郎に聞け。」


とまで社長に言ってもらえることがあった。


ただたった一代でのし上がった社長だけに、常識では通用しない部分があった。


社長から個人の携帯電話にかかってくればたとえ夜中であろうと出る必要があった。


そして遠慮無く部下を人前で痛罵した


自分も例外ではない


「・・なに考えとんじゃ銀次郎!もうええ、お前の顔今日は見とうない!今日いちんち面ァみせんな!!」


こういうのは日常である。


しかし自分は会社では木石に徹することにしていた。


この会社の社長に拾ってもらわなければ、自分はみどりさんにも生活させてやれず、浮き草生活のままだったろう。


それがこの社長のおかげで、念願だった白いマンションにみどりさんと住むことができて、すべての生活が水準以上になっているのだ。


犬馬の労を尽くすつもりでいた。


一度などは社長の逆鱗に触れ、襟ぐらをつかまれ、引き倒されたことがあった。


自分が競合他社のやり方を研究し、そこの会社のパンフレットを見せて、しつこく社長に方針転換を諮ったときだった。


「・・そんなにお前がその会社のやり方をみならえゆうんやったら、お前その会社にいけや!いらんわ!お前みたいなん、ボケ!!」


派手に社長の腕に引き回され転んだ。


自分は上体を起こしながら


「・・自分がいるのはこの会社、そしてついていくのはあなたしかいませんよ社長・・。」


と少し怒気を含んでいったら、さすがに反省したのか、おとなしくなって社長室に閉じこもった。


しかし後になってよく考えるのか


「・・お前のすきなようにやってみい・・」


そういうことも言ってくれる人物だった。


自宅のみどりさんはみどりさんで自分のことを心配していた。


自分が疲れたようにネクタイをくつろげて家のソファに座って考えていると。


「・・・そういう会社、滅私奉公はよくないわ、銀次郎さん」


彼女はこういうことはずばりという。


「・・いい?会社組織というものはね。あなたの能力を買っているところであって、あなたを自身を買っているわけではないのよ。」


「・・いいんだよ。俺は今の仕事に感謝してる。」


「・・じゃあ、私が病気をしたら、その会社は面倒見てくれるの?銀次郎さんが交通事故を起こして半身麻痺になったら、面倒見てくれるの?」


「・・・。」


たしかにそうだ、労災もあることにはあるが、めったなことで通らないだろう。


何しろ組合のない会社なのだ。


それにみどりとの正式な婚姻も早くしなくてはいけないだろう。


みどりには住民票も保険もない。

あの崖で見つけてきたときから、ずっとそのままなのだ。


自分が外の夜景をみながら考えていると


「・・・わたし、あの最初のアパートにいつ戻ってもいいのよ・・・。車もあの赤いファミリアにいつ又乗ってもかまわない。わたし今でも思い出すのよ、赤いファミリア、ほんとうにいい子だった。」


「・・・みどりさんみたいなおくさんはいて、ぎんじろうはしあわせだなあ。」


自分が心からそういうと、彼女が横に来てそう自分の手を握った。

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