第9話 パンと小鳥とコーヒーと

朝を迎えたけれど、実はあまり熟睡できなかった。


もし雪が降ってきたら、熟睡している彼女を起こしてでも、そこを脱出しなければ、最悪雪に阻まれて、動くに動けなくなってしまうからだ。


最悪にそなえてチェーンはあるけれど、なるべくならそんな事態は想定したくない。


それはそうと、横に寝ている彼女のあどけない顔を見て、なんだかうれしくなった。


無防備な人の寝顔というものは、誰であれ人の心を和ませるものだが、美人だとなおさら。


今更ながら、彼女の美しさはじぶんと不釣り合いだと思う。

どこかの大学の美人コンテストで必ずでているような、そんな顔立ちだった。


男と女の境界線は越えていないけれど、出会って3日目。

自分は幸せを感じてしまっていた。


しかしその当時の自分は、仕事も失ってしまっていて、いわゆる無職のどうしようもない男、しかも対人恐怖症にかかってしまっていて、人と会話するのが苦痛でしょうが無い時期だった。


だからどんな仕事も続かない。


幼少期、自分は義父の暴力と折檻で、生きているのが不思議なぐらいの時期があったが、そんな影響がこの時期に反映していなかったかと言えば嘘になる。人が怖くてしかたがない。


ワルになるのなら、義父のようにヤクザの道にでも入ればよかったし、マジメになるなら、当時どこでも募集していた車の会社の期間工になって、独立資金でも貯めればよかった。


バブルが過ぎ去って幾年か経っていたが、それでも求人誌を見れば仕事はいくらでもあった、そんな時代である。


しかしどっちつかずの人生。


自分で自分に飽き飽きしていた。


彼女の寝顔を見ながら思った。


「・・こんな俺が、人を好きになってなんになる?」


自分の幼少期の人生でさえ総括できていない男が、守るべき女性を迎え、子を為して、人としてどう生きるか?そんなこんなを、どうやって教えられるだろう。


彼女といられる今この場での幸せと、これからの昏い人生を思うと、どうしても心が沈んでしまう。


「・・どうせ住む世界が違う人間ならば、早いうちに別れたほうが、お互いのためかもしれない。」


そうため息をついてしまった。


彼女との朝ご飯の準備をするために、彼女を起こさないようファミリアのドアをゆっくりしめて、外に出てカセットコンロの火をつけた。


アルミのフライパンに油を塗り、バターをのせ、それが半分溶けたところで食パンを入れた。


フライパンであっても、こうやって食べると、外はこんがり、中はふんわりでおいしいのである。


あとはコーヒーと目玉焼きを作れば、朝ご飯の完成である。


自分がそうやってカチャカチャと朝ご飯を作っていると、ファミリアのドアがバタンと閉まる音がして、彼女がこっちに向かっている足音が聞こえた。


「・・あの、おはようございます。」


「・・ああ、おはようございます。もうすぐ朝食ができるので、・・寒いから車の中で待っていてくださいね。」


フライパンから目が離せないので、しゃがみながらそういった。


しかし彼女は自分の背後から去る様子も無くて、唐突にこういった。


「・・あの・・すいません、わたし、ずっと一緒にいていいですか?」


自分はこの時期この歳になるまで女性からそういう言葉をかけてもらったことがない。


女性といることはあったが、どっちかというとお情けでつきあってもらっていると言った風で、めんどくさがられているといった方が的確だろう。


1-2分だったろうか、シーンとした、ただ小鳥が鳴いている声だけがする。


パンを焼いてはいるが、パンが焦げてしまった。


「・・時間が許す限り、こちらこそお願いします。」


そう答えてしまった。

我ながら、かっこ悪い。


朝食を終え、車をまた日本海方面へと向かわせた。


心配した車のエンジンの調子は悪くない。


「・・どこへいきましょうか?」


と彼女に聞くが


「・・どこでも大丈夫」


と彼女は答えた。


彼女が自分のことをいっさい話さないという状況は変わらない。


自分も自分のことを話さないという状況も変わらない。


車はブルブルとエンジン音を出しながら、田園が広がる田舎の山道を縫い、一路日本海へと向かった。


途中で彼女の膝においてある彼女の手を握ったが、彼女はそれを拒まなかった。

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