第8話 アルデバランのある星空で

後部座席を荷物で一杯にしたファミリアで自分は彼女を待っていた。


地図を広げながら、問題の無人キャンプ場はどこにあるのか、1人考えていた。


当時今あるようなナビはまだ一般に普及していなかった。

だからただただ地図が頼りである、どこにいるのか、どこにむかっているのか。それを把握する必要がある。


車をまた走らせ、もっと山奥へ山奥へと向かっている。


なるべくなら闇がすべて山を覆うまでにキャンプ場につきたい。


キャンプ場についたときに、何がどこにあるのか、陽がまだあるうちなら確認できるからだ。


車を走らせて1時間くらい過ぎたときだろうか、山の小道を車は走り、キャンプ場についた。


周囲はすでに陽が沈もうとしている。


さすがに寂しい風景だ。


白いゲートは締めてあり、自分で開けてくださいとのことだったので、彼女を車に残し、ヘッドライトに身体を照らされながら、ゲートを開ける。


ギギギギーガシャン!


と嫌な音を立てた。


車を進ませ、キャンプ場の原っぱに止めた。


彼女は車を降り、山の風景に感動しているようだ。


陽が山々を照らし、夕闇がすべてを覆うとしている。


あとはご飯の準備だ。


今日は旅館でもらったキャベツを茹で、これをサラダにし、道すがら求めたサザエで、炊き込みご飯をつくろうとしていた。


炊事場のガスコンロで、鍋を置く。


炊き込みごはんは簡単だ。


彼女とだったら、米二合で充分だろう。


米一合のわりに大さじ醤油一杯、みりん一杯、酒一杯、これだけでいい。


ただ彼女の口にあうかどうか。


ものの30分もすると、食事の用意ができた。


釜をあけると心配していたサザエの炊き込みご飯もいい感じだ。キラキラしている。


こんなとき、屋外の自炊っていいなと感じる。


外はさすがに寒いので、散歩を終え車の中でまっている彼女にサザエの炊き込みご飯をさしだし、コンソメのスープ、そしてキャベツの茹でたのをスレンレスの軍用トレーに入れて、


「お口にあうかどうかわかりませんが。」


といいつつ差し出した。


彼女はお腹をすかせていたのだろう。顔はあきらかに輝いている。


「・・おいしそう」


と言った。


彼女はまずそのサザエご飯を口にした。


「・・こんなに美味しいものなのね・・」


と言ってくれた。


そこらへんの田舎の商店で、余ったものを買い、それらを使い自炊している自分のような流れ者の旅行者にとって、当たり前の食事だが、彼女の言葉は何よりもうれしかった。


ペットボトルには小川でつめた冷水がある。

車のドアを開けたすぐ外にそれを置いていたのであるが、そうすることによって外気の冷たさがいつも水を冷たくする。


ここに簡易な麦茶パックをつめているのであるが、それが熱い炊き込みご飯とあいまって美味しい。


「・・・どうして?この水ほんとうにおいしい・・。」


彼女がそういうのも無理はない。


このへんの小川の水は大山など山陰の山々から流れてきている雪解け水で、まろやかなのだ。


食事を終え、水場で鍋やらトレーやら洗っていると、


「・・・自分もさせてください」


と彼女は強引に自分からスポンジを奪って器を洗い始めた。


散歩コースがあるようなので、食器のかたづけが終わると、自分は彼女を誘って夜の山道を散歩にでかけた。


空には今にも降ってきそうな満面の星々がある。


街では絶対に見られない5等星6等星の、プラネタリウムそのままの星々が空に広がっている。


「オリオンがあるのがわかりますよね・・その右上にある赤い星がアルデバランです、そしてさらにその右上には、いわゆる”昴”があります。」


人が聞いてもいないことをこうやって説明するのは自分の悪い癖だ。


しかし彼女は


「うん・・」


と目を細めながら楽しそうに星々を見つめている。


「・・もしかしたら・・あそこにも、たぶん僕のように、みどりさんのように、こっちを見つめている人たちがいるかもしれませんね。」


と言った。


するとどうしてだろう、彼女の目には輝いたものがあった。


そろそろ戻ろうと思い、来た道とは違う散歩道を引き返していると、小高い丘のわきに、白い光にボウッと照らされた屋根付きの、屋外用の机と休憩椅子があった。


その机を見ていると、何やらボールペンで書いてある。丸っこい女の子の文字だ


「・・もうつかれたよ、家に帰りたい。どうしてこんな知らない男についてきたんだろう。」


と書いてある。


かすれかけているが、誰だろう。


おそらく夏の間ここは近くの少年少女のドライブコースになっているのかもしれない。


午後九時ごろ、そろそろ寝ようと思い、寒気がなるべく床からあがってこないように暖めた石をぼろぞうきんにくるみ、新聞紙を可能な限り床のシートに敷き詰めた。


前席を倒してなるべくフラットにした車内のところどころに、安いホッカイロをいくつか置いた。


彼女には高性能な自分用の軍用シェラフをあてがう。


窓には暖気をなるべく逃がさないようにするためにここもまた新聞紙で覆った。


(見る人がみたら自殺志願者に間違われるかも知れないし、実際そんなことがあったが、ここでは関係無い話なので割愛。)


「・・じゃあ、エンジン切りますね。トイレは、さっきの所にありますから。ここにライトを置いておきます。」


「・・はい。」


彼女はそう返事をして、自分はファミリアのエンジンを切った。


車内は2人でも、ことのほか快適だった。たぶんシートのスキマをなるべく埋め、凹凸を減らす努力をしたからに違いない。


硬い車のシートであっても、毛布とシェラフがあるので、思ったほど不快ではなかった。


それからどれくらい立っただろう。しばらくして彼女は


「・・怖い」


といった。


いつの間にか、新聞紙がぐっしょり湿気をすい、窓から垂れていた、当たり前だろう、大人二人が車の中で寝ると、湿気が発生する。


そのせいで新聞紙が垂れ、真っ暗なそとの世界が見えているのだ。


「ごめんなさい、もうちょっとガムテープで補強しておくべきでしたね。」


と彼女に謝った。


垂れた新聞紙から見える山の闇。たしかに何もない夜の闇は、車中泊どころか、山の夜が初めてらしい彼女にとっては、怖いものだったのかも知れない。


どこまでいっても夜の山は、いくら登山慣れしたプロであって恐ろしいものだと聞いたことがある。


だけれど、彼女はあの暗い海に身を投げようとした女性でもある。


死を怖れない者が闇を怖れるのだろうか、それはそれでおかしい感じがした。


自分たちは寝直したが、新聞紙で周囲を覆ってもまだ怖がっているような彼女を横目で見ながら、自分はそっと横で寝ている彼女の右手を自分の左手で握った。


もしかしたらいやがって手を離すかなと思ったが、案に相違して彼女は自分の手を握り返してきた。


自分は思いがけず、彼女を抱きしめた。


彼女は抵抗せず、それどころか背中に手を回してきた。


彼女のシャツごしにある大きな胸を覆うブラのワイヤー、それが感じられて、何やら胸騒ぎがしたが、彼女が自分の肩越しに


「・・・どうしてだろう・・あんなことがあったのに・・私、幸せ・・。」


と言った。


あんなことって一体どういうことだろう。


自分にはまだなんにも話してくれないが、彼女が冬の日本海に身を躍らそうとしたほんのおとといのことを思えば、何か恐ろしいことがあったに違いない。


自分はその夜も一線を越えずに、ただ彼女を抱きしめたまま寝入ってしまった。

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