第6話 鳴き砂の海岸
朝、散歩から帰る。
旅館に来てから3日目だ。そろそろここを出てもいい。
彼女に一応伝えてみた。
「ぼくはこれから数日間旅を続ける予定です。おいでになりませんか?貧乏旅行ですので、もしかしたら車中泊が重なるかも知れませんが、もしそれが苦にならなければ、おいでいただけるとうれしいです。」
彼女は一言
「・・連れて行ってください。・・」
と言った。
そのあと、
「・・あの、着替えます。恥ずかしいので、向こうをむいててくれますか?」
と気恥ずかしげに言った。
自分は慌てて赤面し、反対方向を向いて、彼女の着替えを待った。衣擦れの音が、いろいろ妄想をかき立てて、モヤモヤする。
旅館のおかみさんには重ねてお礼を述べた。
おかみさんはたいへんこちらを気にしてくれて、段ボール箱二つくらいの野菜をもっていけという。
しかし車には乗りきらない。
田舎に住む人の優しさは町に住む人の想像を超える部分がある。
段ボールからはみだす大根や白菜、いったいどうしろというのか。ありがたいが、ちょっと無理かもしれないと思った。
それはそれとして椿事が起こった。
例の赤いファミリアが動かない。
やっと積もった雪と氷を落としたのに。
何度も何度もエンジンをかけようと、クワン、クワン、クワンと鍵を回すが、やっぱりかからない。
そのうちバッテリーが死んだのか、鍵を回してもなんの反応もしなくなった。
「やれやれ・・先が思いやられる」
旅館のおかみさんが、軽トラをもってきて、バッテリーをつないでくれた。今度こそ。
バッテリーケーブルをつないで、何度も何度も試す。
するとやっと
・・・ブルン・・・ブルブルブルブル・・・
とやっとファミリアは機嫌を直して起きてくれた。
「・・・ああーやっとかかった、ありがとうございます。」
とおかみさんにお礼をいい、車のアクセルを暖気のため踏むとファミリアのエンジンは鈍い震動をだしながらまたしても止まってしまった。
いいかげん頭にきた。主人にいやがらせでもしているのだろうかこの車。
「・・この野郎!」
といい、タイヤを蹴ろうとした刹那、凍った路面ですっころんでしまった。
ドテン!と尻餅をついた瞬間、おかみさんも例の若い女性も笑っていた。
自分もつられてつい笑ってしまった。
昨日まで死のうとしていた女性が今日笑っている。
なんだかそのギャップに無性におかしくなった。
どうにかこうにか車が動くようになって、彼女が例の薄い水色のセーターとミニスカートという出で立ちで、車に乗り込んできた。
素直にうれしいと思った。
玄関で手をふるおかみさんにバイバイしながら、峠を降りていく。
どこかに行くあてがあるわけではないが、行く当てのない旅はけっこう安気だった。
とりあえず西へ西へと車を走らせ、山口へ行こうと思っていた。
横に乗っている彼女は不思議なことにどこに行くのかなど、一向に聞いてこない。
さみしげな雰囲気はそのままだが、時折遠くを見て楽しんでいるのか視線が山や海を見ている。
自分がときおり彼女に缶コーヒーや缶ジュースをさしいれすると、
「・・ありがとうございます。」
と目が笑っているので、自分といるのは不快ではないらしい。
自分のペースで彼女を疲れさせるのがいやなので、
「どこか行きたいところはないですか?」
と聞いてみた。
「・・どこでもかまいません」
と言う。
「・・お互い昨日の今日で名前も呼べませんね・・僕は銀次郎といいますが、下のお名前だけでもお教えいただけますか?」
と言うと
「・・みどり」
と答えた。
車を走らせていると、どこまでもどこまでも晴れた日本海が広がっていた。
ファミリアも機嫌がいいのか、今日に限ってアイドリングの不調はない。ブルブル調子がいい。
「・・今日みたいな日がずっと続けばいいのに」
ハンドルを握りながらそう思った。
自分はこういう海岸を走るのが何よりも好きである。
時折古い電車とすれ違う、古い看板がいくつもある、自動販売機がいくつもありそうな無料休憩所、車を走らせていて飽きないのだ。
途中で気づいたが、このへんには有名な鳴き砂という有名な浜辺があった。
砂の結晶がきれいで、どういう原理かわからないが、浜を歩くと、砂達が・・キュッ・・キュッと鳴くのだ。
それで”鳴き砂”と言われている。
夏の間は海水浴客で賑わっているらしいが、今は冬。ほぼ人はいない。
浜につくと自分は彼女を労りながら車から降ろした。
なるほど、歩くたびに・・キュッキュッと音がする。
彼女は黒いブーツを履いていたが、ブーツの足下を砂にまみれさせながら不安定に歩いている。
「・・どうして鳴くのかなあ」
「・・・不思議ですよねえ」
自分の性格としてこういうカップルが来そうな場所はあまり興味がなく、彼女が少しでも喜んでくれるならと立ち寄った場所だが、幸い彼女は退屈ではないらしい。
自分の旅は疲れたら車の中で眠る、動こうと思ったら真夜中でも車を走らせるというものであったが、彼女はそんな旅でも不平や不満ひとついうでもなかった。不思議なくらいだった。
何か食べたいとか、何か買いたいとか、どこどこへ行きたいとか、そういうことを言ってもよさそうだが、それらが一切無く、銀次郎が話すことを聞く聞き上手でもあった。
「うふふふ・・・」
と楽しそうに聞いている。
それはそうと今日の宿だ。
近くの山奥に無人キャンプ場があるらしく、そこで車中泊することに決めた。
トイレだってあるから彼女さえその気なら、不便ではないだろう。
晩ご飯はサザエご飯にすることにした。
行きずりの魚屋さんで、白い発泡スチロールのトロ箱に、
「さざえ10個500円」
と書いてあったので、それを買うことにしたのだ。
(山陰の海岸沿いを走っていると、こういう魚屋さんがしょっちゅうある。これらを買いながら車中泊を重ねるのも楽しい)
これを飯ごうで米と炊けば、わりといけると思う。
彼女は相変わらず自分のことはみどりという名前以外いっさい喋らないが、それはそれでいい。
知る必要もないし、自分も今が幸せならそれでいいと思った。
夕方が近くなり、一路山奥の無人キャンプ場へと向かった。
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