第4話 窓を叩く雪

その日の夕方、珍しく彼女の方から口を開いた。


「・・すいません・・・、一日ここに泊めていただいてよろしいでしょうか?・・」


自分とすれば、彼女さえよければ問題ないし、育ちの良さそうな女性だったので、


「・・狭い部屋ですが、あなたがもし嫌でなければ。・・」


そう言ってしまった。


彼女の顔はいくぶんか生気を取り戻しており、唇はほんのりと赤色に戻っていた。


そとはあいかわず雪が降り注いでいて、出歩くことはできない。


その旅館の食堂にはTVがあり、雑誌や新聞がおいてあるので、自分は夕刻頃それらを読みに出かけた。


パイプイスに腰掛けて、漫画やら新聞を読んでいるとおかみさんが来られた。


「・・どうでした?あのお嬢さん?」


「・・・うーん、それがぼくにもよくわからないのです。おかみさんがおっしゃったように僕からはいっさい事情を聞きません。二言三言喋られただけですよ。・・」


「・・気をつけてあげてくださいね。目を離しちゃダメですよ。」


ここのおかみさんは饒舌だった。


それからお茶とお菓子を持ってきてくれたが、彼女は遠洋に漁で出かけている夫を待ち、その傍らこの旅館を営んでいること、戦前から続く旅館であること、岡山から嫁に来てからと言うもの、陰鬱な山陰の風景に時々うつっぽくなりながらも姑とこの旅館をきりもみしてきたということを蕩々と語った。


彼女の話をそうですか、と聞きながら小一時間くらいたったころだろうか、彼女は時折来る自殺志願者のことも話した。


「・・冬のこの時期、そういう方もときどき来られるんですよ。不思議な海でね。・・飛び込んだ人は、決まって○○の淵に流れ込むのよ。・・そんなときは地元の警察やら、消防団の人が大わらわで・・死んだ人を責めるわけにもいかないしねえ。・・」


そういえば不思議だ。


自分も数々の海を見てきたけれど、あそこの海は人を引入れるようなえも言われる力があった。


黒い海の魔力というのか、言葉にしにくい何かがあった。


「・・・でもよかった、お客さんのようなやさしい人に助けられて、あの子運が良かったのよ。」


おかみさんはそういった。


「・・・ああそうそう、お客さん、お風呂はもうすぐ沸かしておくからね、それが終わったらお夜食届けてあげる。大丈夫 、お夜食代は1人分しかもらわないですから。鱸のいい魚を主人の友達がくれたから、それを奉書焼きにしてあげるわ。」


そういってもくれた。

旅を続けていると、こういう世話好きな人がたまにいる。こういう人と出会うために自分は遠くへ遠くへと旅をするのかもしれない。


部屋に戻ると、彼女がいた。


「・・・おかみさん、お風呂を沸かしておくと言ってくれました、それからお食事だそうです。お風呂、お先にどうぞ。お風呂は一階の食堂を通った離れにあるようです。そこにはタオルと浴衣もタオルも用意してくれているそうですよ。」


「ありがとうございます。・・何から何まで・・本当に申し訳ございません。」


彼女は視線を落としたままそう言った。


離れにあるタイルのお風呂はけっこう大きい。

木の壁も上品で、お湯は近くの温泉からとってきているそうだ。


彼女が帰ってきてどきりとした、浴衣に着替えた彼女は神々しいばかりに美しかった。


白い肌に白い浴衣が映えている。髪の毛はまとめられてはいるが、ほんのり香りがして、日本画になりそうなほどだ。

絵心があるなら、描きとめたいとまで思った。


次に料理が運ばれてきて、おかみさんが並べてくれた。


この時に自分は鱸の奉書焼きなるものをうまれて初めてたべたのであるが、和紙を外側から灼き蒸すようにして、レモンと閉じ込めた鱸の白身は、紙を開けると嗅いだことも無いようなおいそうな芳香をだした。


身を一口すると、舌がとろけそうになるほどおいしかった。


自分がご飯を櫃からよそおうとすると彼女がそれをしてくれるのであるが、半纏の袖を片手でおさえ、杓文字ですくうその姿は艶めかしかった。


彼女は正座を一切くずさない、そしてお椀に口を近づけることもしない、育ちの良い女性はすごいなあと思った。


意地汚く夜食にがっついている自分が情けなくもあった。


自分は満腹になり、眠気を催したので、彼女には一組しかない布団をしいてあげて、自分はこたつで寝ることにした。座布団を枕にして。


明かりを消して夜の10時を回ったころだろうか。


布団で寝ている彼女からまた弱い声がした。


背中を向けたまま何か言っている。


「...  。。。 」


寝言だろうか。


そのまま又眠りにつこうとすると、今度ははっきり聞こえた


「・・・こっちに来てください・・」


自分は一瞬躊躇したが、その言葉に抗しきれなかった。


その布団に入った。


彼女は背中を向けたままじっとしている。心なしか肩が少し震えているようだ。


「・・あの・・朝、私、死のうとしたんです・・・でも、怖かった。・・ありがとう。」


そういった彼女を、自分は後ろからやさしく抱きしめていた。


「・・・私・・・お礼の方法しらないので・・」


彼女は自分の手にそっと彼女の手を重ねた。


このまま彼女と男と女になってしまおうかとも考えたが、彼女は間違いなく事情あってあそこに立っていたのだろうとふと思った。


彼女は自分を好きになっているのではない。

救ってくれた行為に礼をしようとしているだけだとしたら?


自分は今までホステスだった母親という存在を通して、嫌というほど弱い女の立場を利用しようとする男達を見てきた。


母親も又、そういう男達の足下を見透かさんばかりに、そういう男達を利用してきた。


禽獣なら禽獣の生活がある。

しかし俺は・・・。


そう考えると、どうしてもそこからさきの一線を躊躇してしまった。


カタカタと鳴る雪の窓の音を聞きながら、いつの間にか寝入ってしまった。

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