第3話 四畳半と美女

自分でもわけのわからないことになってきた。


当時30にもなっていなかったと思うが、お世辞にも自分がいい男だとは思わない。


当世流行のDCなんとかというブランドに身を包んでいるわけでもなし、髪型にも無頓着で、人と会って会話するのに恐怖を感じるまでの自分の性格的欠点は、自分でよくわかっていた。


だから同性の友達でさえもほとんどいない。


それが今どうだろう。


歳の若い、体つきも華奢でかなりの美人と4畳もない旅館の一間に同時にいる。


彼女は言葉をほとんど発しなかった。


目を合わせようともしない。


ただわかったのは育ちのよい女性だと言うことだ。


野良犬のような半生を送った自分にはわかる。教育の行き届いた女性の箸の持ち方、歩き方、立ち居振る舞いには、一朝一夕で習得し得ない優美さがある。


おかみさんが持ってきてくれた朝ご飯が終わり、お茶を飲む彼女の動作一つ一つにも、それが表れている。


そんな彼女がどうして霧が明け切らない早朝、あの断崖絶壁にいたのか?


外は相変わらずビュウビュウゴウゴウと冬の日本海の風が窓を叩いていた。


食事が終わり、あたりさわりのない言葉をかけてみた。


「今日は天気予報では雪が降るようで・・ぼくは車でここまで旅行に来たんですが、安全を考えてもう一泊しようと思うんです。・・」


当時自分は友人からタダ同然でもらった赤いファミリアに乗っていた。


アクセルをベタ踏みしても70kmでるかでないかのポンコツで、おまけにアイドリング中にエンジンがブルブル震えて止まりそうな、そんな車だった。


しかし自分はそんな愛車を愛していて、いつ止まって人生を終えてしまうかわからないようなそんな車に自分を重ね合わせて、どこへ行くにもそのファミリアと一緒だった。


車中泊もしょっちゅうで、ハッチバックの後部には、毛布やヤカンや古本や新聞紙、そんなガラクタがたくさん載っていた。


自分はそんな車で宿代を節約しながら、山陰を回っていたのだ。


人と話すことが苦痛で、人と交わることに異常な緊張を覚えてしまうようになっていた時期で、そんな自分なりに考案した旅の仕方であったが、まさかその途中でこういうことになろうとは。


こんな自分と一緒にいることは彼女にとって苦痛だろう。

そう思ってふと彼女に聞いてみた。


「・・疲れたでしょう?もし休みたいなら、おかみさんに頼んで別の部屋に布団をしいてもらいます。今この旅館に客は僕たちしかいないようで静かでいいですよ。いかがですか?」


彼女は聞こえるか聞こえないかわからないようなか細い声で


「・・ここでいいです。」


と言った。


おかみさんは自分に、彼女の宿代や食事代は請求しないと言ったから、(とてもいい人だった)お金の問題はないと思うのだが、彼女は自分に気をつかっているのか、それともやぶれかぶれになっているのか、それはわからない。

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