第2話 中原中也

自分は女性としゃべることに長けていない。


ハッとしてこっちを見た女性にこれ以上なんといえばいいのか。


目の前3メートルも行けば断崖絶壁の崖である。


眼下には黒い海がとぐろを巻いている。


「・・なんでもいいから喋れ・・俺。」


内心すごく焦っていた。


ついて出た言葉が


「あの、実は昨日、鬼太郎饅頭買ったんです。ご存じですか?境港の・・・鬼太郎ロードっていうのができましてね、昨日、行ってきたんですよ。知ってますか?ゲゲゲの鬼太郎。」


20そこそこの若い女性にまさか鬼太郎はないだろう。しかも饅頭なんて、魚市のおばあちゃんじゃあるまいし。


「一人じゃ食べきれなくて、・・あの一緒に食べませんか?近くに宿をとってあるんです。」


あきらかに声がうらがえっていた。


まあふだん女性に声をかけない、かけてもらえない銀次郎、こんなもんだ。


女性は視線を落とした。


唇は紫色になっている。


そりゃそうだ、薄いハイネックのセーターとミニスカート、そんな薄着で粉雪の舞っている海辺にいたら、寒いに決まっている。


彼女は返事しない。


ただ視線を落としている。風に揺られるショートカットの黒髪と、肩に乗っている粉雪が印象的だった。


1-2分の静寂が流れたろうか。


「・・・寒いですね。暖かいところにご案内しますから、動きませんか?」


自分がそういい、彼女を促すと、彼女は一瞬躊躇したようだが、着いてきてくれた。


しかし寒さのせいか顔面蒼白だ。思わず着ていた厚手のジャケットを彼女の肩にかける。


歩いて5分の宿、ガラガラと泊まっていた宿の格子戸を開け、自分の部屋にふすまを開けて案内する。


こたつと布団しかない小さい部屋だ。一泊四千円の宿だからこんなもんだろう。


部屋にトイレだとか風呂は無論ない。


お風呂も小さいタイル貼りの風呂が宿に交代制であるだけ。


あるのは窓と、そこから見える冬の日本海である。


下心がないことを示すために布団を素早くたたんで、彼女をこたつに座るよううながした。


「まずは暖かいお茶だ。」


そう思って階下の共用炊事場に行ってガスに湯を沸かした。


しかし宿のおかみさんには一応事情を報告しておいた、見知らぬ女性を連れ込んでいるなんて、へんに誤解されたらかなわない。


するとおかみさんは


「・・・ときどきいるんですよ、そんな人が」


と言った。


「・・不思議とね、どうしてでしょうね、あそこから飛び降りる人が多くて、・・・助けてくれてありがとうございます。そういうことなら、おにぎりくらいしかありませんが、後で二人分朝ご飯お届けしますね。」


とまで言ってくれた。ありがたい。


「・・それと大事なことなんですが、なるべく目を離さないようにしてください。相手が話すまで事情を聞かず待つこと、相手の話を否定しないこと。」


そんなこんなを教えてくれた。


おかみさんは以前、そういう人たちを何度か保護したことがあるのだという。


部屋にもどると、彼女は相変わらず何もしゃべらず、こたつに座っていた。


自分は彼女の向かい側にすわり、お茶を汲んだ。


自分はこたつに足を入れて、お茶をすすった。


外は雪を増している。風と共に雪が窓を叩いている。


「・・あの、後から朝ご飯が二人分来ますので、どうか遠慮無く召し上がってください。もし眠いようでしたらそのままお休みになっても構いません。」


と自分は彼女に言っただけで、あとは本を読むことにした。あまりしつこく話しかけると、相手も嫌だろう。


自分が持っている本に目を落とすと、驚いたことに彼女はか細い声を出した。


「・・・中原中也・・」


古本屋で偶然見かけた本を買っただけなのだが、なかなかいい詩を書いていて、自分のお気に入りだった。


彼女もどうやら中原中也を知っているようだった。


彼女はか細い声でささやきだした


「・・・私はもう歌なぞ歌わない 誰が歌なぞ歌うものか


みんな歌なぞ聴いてはいない 聴いてるようなふりだけはする


みんなただ冷たい心を持っていて 歌なぞどうだったってかまわないのだ・・・」


・・・驚いた。たしかにこの詩は中原の詩集にあった。


自分は中原中也を偶然この本を見て知っただけだが、彼女はどうやら文学少女のようだった。


「・・・すごい」


自分はただただあんぐりとして彼女を見つめるだけだった。


そうこうしているうちに、トントンと部屋のドア代わりのふすまをノックする音が聞こえて、おかみさんが、おにぎりとお味噌汁、そして簡単なお新香が添えられた朝ご飯を持ってきてくれた。

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