第86話 小さな秘密を一緒に


 フェスも終わり、七月も後半に入った。

 世間が夏休みにはいるこのタイミングで、俺たち文房具メーカーは毎年大きな仕事がある。

 俺はパソコン画面を見て考え込んだ。


「本村。文房具大会の商品一覧、これで合ってるのか? ラインナップが古い気がするが」

「え、確認しましたけど……あれ違うな、本当だ、すいません! うっわ、間に合うかな」


 本村は「わあああ……決定稿どれだー」と叫びながら画像ファイルを開いている。

 俺はフォルダに保存しておいた決定稿を本村に送った。


「データはこれだ。スケジュールを見ると、まだ入稿してないから本部に連絡して直してもらえ」

「はい!」

「あとこれが違うってことはサイトに提出してる方も違う可能性が高いな」

「すいません……!」

 

 本村は泣きそうになりながら作業を開始した。

 数週間後に文房具の祭典……文房具大会がある。

 常務に聞いた話では文房具の展示会自体は何十年も前からあったらしい。

 でもそれは業者のみが新商品を発表する会だった。

 インターネットやSNSで直接商品が購入可能な時代になり、最近は一般のお客さんが入れる一大イベントになっている。

 今では国内の文房具メーカーはもちろん、小さな紙メーカーや判子、インク、そしてガラスペンまで多種多様な文房具系メーカーが一気に集まるお祭りとなり、この日しか販売しない商品を開発するほど人気がある。

 事前発売しているチケットは即完売、当日も行列ができるほどの人気イベントだ。


 当然うちの会社も最初から出展しているのだが、専門の部署がない状態でダラダラと続けているのでミスが多発している。

 規模も大きくなって利益も大きくなっているのに「とりあえず出展すればよい」という感覚なのだ。

 俺はこれをとても勿体ないと思っている。

 このイベントは若い子の注目度がとても高いのだ。

 SNSにこのイベントのことを書くと、どんな限定商品があるのか、それは何時から発売するのか、沢山のメッセージがくる。

 しかし元がただの展示会だったので、注目度が高いわりに、社内では「余計な仕事が増えた」という空気なのだ。

 専任がいないので「誰かがやれよ」という雰囲気だし、文房具大会当日も休日出勤になるので新人が渋々行っている状態だ。

 工程も普段の仕事とは違うし、通常業務に足されるには重い内容だ。

 でも誰かがやらないと終わらないだろう。 

 デスクに座ってメール画面を見ていた本村が頭を抱えて唸り始めた。


「あれ、ちょっと待てよ、送ったメール自体が……見当たらない。あ、しまったこれ、別の所からメール送ってるから、そっちにしかデータがないんだ」

「もういい。俺が確認をするから本村は出ろ。もう打ち合わせの時間だろ」

「すいません。お願いします!」


 本村は頭を下げて上着を抱えて飛び出して行った。

 俺は内容を確認してメールを送った。当日の配置MAPももう出ていたので確認したら、そこに載っている会社説明も古く、会社名が合併前の状態だった。

 どこまで前の情報をそのまま送ってるんだ……これは全部確認したほうがいい。

 俺は資料をプリントアウトして資料作成室に向かった。


 コピー機は各フロアにあるが、うちの会社には資料作成室という特殊なコピー機がある部屋がある。

 変わった紙や、大判、それにポスターの試し刷りなども可能な部屋だ。

 俺が気に入っているのは、出すともう冊子になっているコピー機だ。

 楽なので、フロアを移動してもここに出してしまう。

 部屋に入ると、そこに誰かがいて、コピーが出てくるのを待っていた。

 その人がヒョイと身体を起こして、俺がいる方を見る。

 それは相沢さんだった。俺は慌てて挨拶する。

 

「!! おつかれさまです」

「あ、滝本さん、おつかれさまです」


 相沢さんは出てきたコピーを取りながら挨拶してくれた。

 この前バインダーを届けた時も思ったが、偽装結婚してから会社で相沢さんに会うと緊張してしまう。

 いや……正確にいうと、コソコソと見ていたのに、公式に? 声をかけて貰えるようになり、そのたびに慣れずに驚いている……というのが本音だ。

 実の所嬉しくて、こうして話しかけて貰えるだけで口元がニヤニヤしてしまうが普通の表情を心がける。

 会社の相沢さんは髪の毛を高い場所にひとつ縛りにして、キリッとしている。

 家では全くしないメイクもしているし、白いシャツにタイトスカートを履いていて……正直とても美しいのだ。

 「いつも同じような服をローテで回してるんです。セルフ制服なんですよ~」と家でビールを飲みながら言っていたが、そのギャップがまた良い。

 相沢さんは何枚もプリントアウトをかけたようで、それを手に取った。

 そして周りをキョロキョロと見渡して、誰も来ないことを確認してスススと俺の方に近づいてきた。

 その動きが可愛くて、俺は小さく唇を嚙んだ。

 近づいてきた相沢さんから、家と同じシャンプーの匂いがする。

 俺がめちゃくちゃドキドキしている事に相沢さんは全く気が付かず、プリントアウトしたものを見せてくれた。


「これ見て下さい。文房具大会のレイアウト案なんですけど……どれがいいですかね」


 そこには文房具大会で並べる商品のレイアウト案が何個も書いてあった。

 カワイイPOPに、商品の魅力を伝える文章、そしてパッケージの絵も上手に使ってあった。

 相沢さんは楽しそうに他のアイデアも見せてくれた。


「やっぱりこういうのはオタクとしてテンション上がっちゃうんですよね。でもほら、何枚も出して『こいつ店を出すのに慣れてるな』って思われると困るんで、ここでこっそり出してたんです。どれがいいと思います?」

「……そうですね、これが見やすくて良いと思います」

「私もこれが一押しです! うちのこの新商品のペン、もっとお試ししてほしいんですよね。シールとか出すと良いと思うんですけど」

「シール?」

「白地のシールです。それを会場で配って、うちのペンを試し描きしてもらうんです。現場に来た人がその場で塗って、シールだからノートとかに貼れるんです」

「いいですね」

「文房具大会の日付とか入れておくと更に良いですね。好きなんですよ、特別感が。じゃあこの店レイアウトを出してみようかな」


 相沢さんは俺が選んだ紙だけを残して、他のアイデアはシュレッダーにかけた。

 そしてふり向いて口を開いた。


「本当は『最後尾』の札も作ったほうが良いと思うんですよ。毎回たくさんのお客さんが並ぶじゃないですか。もういつも『最後尾札があったら便利なのに!』って思うんですよね。でも……作れないですよね、さすがに。それを持って文房具大会に行くのも恥ずかしいですし、完全にオタばれします」

「そうですね」

 

 会社用の姿で最後尾の札を持って歩く相沢さんを想像すると面白くて、俺は口元を押さえた。

 でも……会社のみんなが面倒だと思っている文房具大会を、こんなに楽しそうに準備している相沢さんを、俺はやっぱり好きだなあと思った。

 目の前にあったコピー機が動き出して、廊下の奥のほうから誰か歩いてくる音がした。

 誰か来る!

 相沢さんは自宅のように緩んでいた表情をキュッ……と引き締めて背筋を伸ばして、一瞬で会社の顔に戻り、


「では、おつかれさまです」

 と言った。俺も分かりやすく頭をさげて、

「おつかれさまです」

 と答えた。


 その分かりやすいやり取りに、心の中で笑ってしまう。

 コピー室から出て行った相沢さんが何となく気になって目で追うと、なんと相沢さんも俺のほうを見てくれて目元だけでほほ笑んでくれた。 

 ああ嬉しい……がんばろう。それに文房具大会に相沢さんが行くなら、俺も行こう。

 休日出勤なんてするものかと思ったが、行こう。

 そう決めた。



 

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