第87話 文房具大会と小さな涙
「そのペンはこちらの商品ですね」
「このキラキラセットに入ってないんですか?」
「入ってます。このセットには、この金色限定ペンも入ってるのでおすすめです」
「じゃあこれにします」
「ありがとうございます! シールもう一枚どうですか? サイズ違いなんです」
「わあ、カワイイ。ありがとうございます!」
お客さんは嬉しそうにシールを受け取って去って行った。
私はエプロンのポケットに入っているシールの在庫を確認した。
サイズ違いをもう何枚か持っておいたほうが安心かも知れない。
今年もお客さんが多くて、楽しい!
今日は年に一度の祭典、文房具大会だ。
正直私は、仕事の中ではこれに出るのが一番好きだ。
基本的に趣味でイベントに出ている人は、何かを作るのが好きな人だと思う。
それは本や服、今だったら香水とか色々あるが、みんな何かを作るのが大好きだ。
しかしそれ以上に、自分だけのお店を作りたい人が多い。
限られたスペースをどう飾り付けて何を置くか、それを考えるだけでテンションが上がるし、机のレイアウトを考えるとここに空間が出来るから豆みたいに小さな本を作ろうかな……とか考えるのが楽しい!
商品の下に敷く布もみんなこだわりがあって、私も最近発売された専用の布をゲットした。
手前に色々と入れるポケットがついていて、とても便利だ。
段ボール専門店が出している商品を立体的に見せる箱は、見てるだけで楽しい。
私はもう壁側の人になったので、可愛いお店を作って本を並べるというより、露店の大根売りのような状態で「新刊を山ほど持ってきました、さあ買ってください!!」という状態になっているが、オリジナルの本を売る販売会にはそれほどお客さんが来ないので、こだわったお店を作っている。
毎回ワラビちゃんと「今回はこんな雰囲気にする?」と色々考えて超楽しい。
だから仕事とはいえ、この文房具大会は大好きなのだ。
正直もっと色々やりたいが、やりすぎると絶対にオタばれするし、会社で「これがしたいです!」と大きな声をあげると、そのすべての業務が降ってきて大変なことになる。
そして給料は全く変わらないし、なんなら「文房具大会みたいな遊びより、仕事しろよ」という雰囲気さえある。
手を上げることに全く意味がない状態。
残念だが「大変な文房具大会に休日出勤してくれる人」くらいのポジションでいるのが一番良いのだ。
それに好きなことは趣味ですればよい。
でも……と私はポケットに入っている小さなシールを取り出してみた。
このシール、資料作成室で滝本さんに提案したら、すぐにデザインの発注が来て、文房具大会に置くことが決まった。
誰にも言わないが発案者は私だったので、依頼がきた時点で手を上げた。
夏休み前でみんな仕事が忙しく「なんでそんなものをわざわざ……」という雰囲気だったが、個人的には超楽しく作った。
前を見ると、商品を説明している滝本さんが目に入った。
そこに親子連れが近づいてきて、シールを指さして話し始めた。
「あのすいません。このシールって、他に何枚か頂いていいですか?」
「大丈夫ですよ。お子さんなら……こっちのクレヨンで塗りやすいシリーズもあります」
そう言って滝本さんはシールをポケットから取り出した。
そして膝を追って小さくなり目線を合わせて、
「これでいいかな? たくさん塗ってね」
と渡した。子どもはそれを受け取って、
「ありがとう!」
とほほ笑んだ。
自分が作ったものを受け取って喜んでくれる人がいるのは、仕事でも趣味でも嬉しい。
正直この文房具大会が終わる=夏休みに入る=実家に帰る日が近づいて来るので、私的には楽しいけれど気が重いのだ。
でもこのシールを作れたおかげで、少しだけ楽しい気持ちになれた。
すぐに動いてくれた滝本さんに感謝だ。
商品を説明していると、足元にゴミが落ちていることに気が付いた。
どうやらシールの裏側を捨てるゴミ箱がいっぱいになっているようだ。
私はそれを取り外して外の倉庫に持って行くことにした。
ゴミ袋を持って外に出ると、まだたくさんの人が並んでいる。
番号札の後ろに目を輝かせて並んでいる人たち……それはコミケと全く同じ状態で見ていると楽しくなってしまう。
こういうイベント大好き!
ゴミ捨て場がある場所は会場の外にある別の建物だ。
ここ自体が大きな物置のようになっていて、色々なものが置いてある。
中に入り、一番奥にあるゴミ置き場に入るために扉を開くと……動かない。
少しだけ開いて中を見ると、ドアのすぐ近くにゴミ袋が置いてあった。
その中にはゴミを置く用の棚があるのだが、誰も棚にゴミをあげてない。
すべて通路に放置されている。
私はスススと隙間から奥に入り、棚にゴミを上げて行った。
中には先日あった布のイベントのゴミから、布団のイベントだろうか……とにかく沢山のゴミの袋が置いてあった。
生ごみなどは別の場所にあるので、匂いなどは無い。とにかく紙や布で溢れていた。
それをどんどん棚に入れていくと、通路はスッキリした。
最後に自分が持ってきたゴミ袋を棚に置いて作業は終了した。
「はあ」
捨ててあった古びた椅子に腰かける。
するとフワリと埃が舞い上がり、細く入り込んだ光で埃が光った。
この景色……見覚えがある。
突然私の記憶がよみがえった。
ああ、そうだ、この景色は、実家のゴミ捨て場にそっくりなのだ。
うちの実家は旅館なので、こういう巨大なゴミ捨て場が敷地内にあった。
お母さんに怒られてイヤな気持ちになった時、どうしてもひとりになりたかった時、お兄ちゃんに嫌味を言われて泣いた時。
私は布団専用のゴミ捨て部屋に行った。
それはこんな風に埃っぽくて、小さな窓から入る光だけが明るかった。
当然ゴミ捨て場だから誰もこなくて、ひとりで居る事ができた。
大きな旅館で、部屋なんてたくさんあるのに、私が心底落ち着ける場所はそこしか無かった。
それでも淋しくて、悲しくて……いつかここを出て行くんだと強く思った。
私は「ふう……」と小さくため息ついた。
外からは楽しそうなイベントの音がしている。
この暗闇から逃げ出して、楽しい場所にやっときたのに、また実家に行かなくてはいけない。
もう本当にイヤで膝を抱えて泣けてきてしまう。自分でも驚くほど実家が嫌いで、行きたくないのだ。
その時、ゴミ捨て場の扉が開いて、滝本さんが顔を出した。
「相沢さん、大丈夫ですか? 怪我でもしましたか?」
「?! 滝本さん。いいえ、ゴミが溢れていたので掃除していました。疲れて休憩していただけです」
「そうですか、良かったです。ゴミを捨てに行った後ろ姿は見ていたのですが中々戻らないので心配になって見に来ました」
「……大丈夫です、すいません」
私は少しだけ滲んでいた涙をまばたきして誤魔化した。
滝本さんは心配そうに私を見て口を開く。
「ゴミが多くて大変でしたね、一緒に行けば良かったです」
「大丈夫です。すいません、ちょっと片付けに手間取っただけです」
そう言って両手をひらひらとふると、滝本さんが「あ」と言ってポケットから……なぜか文房具大会のシールを出した。
「あれ、これじゃない。ちょっと待ってくださいね」
そう言ってモゾモゾとポケットを再び探り、今度は小さな絆創膏を出した。
「指が少しだけ切れています。これをどうぞ」
「……ありがとうございます」
私はそれを受け取った。左手を見るといつしたのかも分からない小さな傷があった。
そこに滝本さんからもらった絆創膏を貼った。
それは『もう大丈夫だよ』と滝本さんに言われたようで、不思議と安心した。
「行きましょうか」
「はい」
私は滝本さんとゴミ捨て場を出た。そして横に並んで口を開いた。
「作ったシール、大人気で嬉しいですね」
滝本さんはふわりとほほ笑んで、
「作って良かったですね」
と言った。
実家には本当に行きたくないけど、滝本さんと一緒なら、少しだけ何とかなるかも知れない。
そう思って私は小さな絆創膏に触れた。
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