第76話 その先に
「本村。これ……ここにあって大丈夫か」
「……大丈夫じゃないですね。サンプルを入れ間違えてます。俺の確認ミスだ」
「今すぐ電話して営業所で宅配便を止めてもらえ」
「すいません、番号を入れてないです」
「じゃあ俺が入れておくから、これ持って営業所行け。裏口に自転車あるから貸してもらって」
「行ってきます!」
本村は慌てて出て行った。
この作業をしたのは本村じゃなくて新人の新田だ。
イヤな予感がして、さっき新田が作っていた箱を確認すると全部違う!
これは全部一度確認したほうがいい。
スマホを手にした瞬間に鳴ったので、即出て叫ぶ。
「本村、これ、全部違うぞ。荷物全部止めてもらえ。今日中だ!」
『隆太さん?』
「咲月さん!!」
俺は驚いて叫んだ。
電話があったことは今まで一度もない。
ということは、何かあったということだ……!
咲月さんは話を続ける。
『陣痛らしきものが来てます。ここから数時間かかりますが、一応連絡です。間隔はまだ不規則で10分程度ですね』
「わかりました。秒で帰ります」
『隆太さん、聞いてました? ここから数時間かかるので、荷物を止めたりする仕事をしてからで大丈夫ですよ』
「わかりました、秒で帰ります」
「話を聞いてませんね? とりあえず常時LINEしますね」
そう言って電話は切れた。
スマホを持つ手が震えているのが分かる。
落ち着け、滝本隆太落ち着け。落ち着け。
また電話が鳴ったので秒で出る。
「咲月さん?!」
『滝本さーん、荷物が見つからないんですよ。どうやら自動回収じゃなかったみたいで』
今度は本村だった。ていうか、荷物がない?!
もうどうしてこのタイミングで……!
「新田に確認するからちょっと待ってろ」
即電話を切って、新田にかけるが出ない。
ボードを見ても出先が書いていない。
でもさっきまでここで作業していた。社内にいて電波が入らない場所……!
俺は地下のサーバールームに駆け込んだ。
「あ、滝本さん、どうしたんスか?」
「やっぱりここか! 涼んでないで荷物をどこで出したんだ、中身ミスってるぞ」
「え、マジですか。俺用事あったんで、出来た分だけ駅前のコンビニで出しちゃいました」
「控えは?!」
「コンビニで捨てました」
俺は天を仰いで階段を駆け上がり、駅前のコンビニに電話する。
するとちょうど取りに来たので渡したとの答え……!
中身が違ったものを送りつけるのはヤバい。
今どこにあるのか確認すると、ちょうど本村がいる営業所に運ばれると聞いて安堵した。
即本村に連絡して荷物を回収、戻ってきた二人に俺は息継ぎもせず言った。
「この二つは似ているが中身が全然違う。ちゃんと確認して送ってくれ。他にもミスがないか、先日送ったものをすべてリストアップして確認してくれ。メールじゃないぞ、電話だ。伝達じゃない、本人に確認しろ。間違っているなら謝罪して再発送、そしてこれからミスがないようにサンプルに小さなマークをつける作業をしてくれ。そして俺は咲月さんの陣痛が始まったから帰る!!」
「えええええ陣痛?!?! すいませんでした、今すぐ帰ってください!!」
本村が叫ぶ。
俺はカバンを掴んで叫ぶ。
「特に花井商事に出した荷物が怪しいぞ、確認してくれ」
「分かりましたから!!」
俺は叫びながら会社を飛び出した。
走りまわってる間にも咲月さんからは数通LINEが入っていた。
『お腹が重たい感じですね。痛みの感覚はまだ10分間隔くらい?』
10分後……
『落ち着かなくて部屋をぐるぐる移動してます。なんか食べておいたほうがいいんですかね』
10分後……
『隆太さん、そういえば! どこかパン屋さんであの、砂糖がべっちゃりついてて揚げてあるアンパン買ってきてください。ずっと食べたかったんですけど、我慢してたんですよね~』
「なんだってー?!」
俺はそのLINEを見て漫画のように叫んでしまった。
もう会社を飛び出して、駅に来てしまった。
この先にパン屋さんはない気がする……いや、乗り換え駅構内にあった!
到着後即降りて、パン屋に入り、アンパンをゲットした。
そして乗り換えてLINEを見ると
『駅前のコンビニでバニラアイス買ってきてください。今なら食べても体重で怒られないですから』
俺はもう吹き出して笑ってしまった。
咲月さんは後半はずっと食べるのを我慢していた。
もう体重測らなくて良くて、怒られないのは今しかないという強い意志を感じる。
俺は駅前のコンビニでアイスを買って走って家に帰った。
「ただいま!! 大丈夫?!」
「おかえりなさいー。お腹がすきました。お寿司を頼んだので、もうすぐ来ると思います」
「ええええ????」
俺は叫んだ。
陣痛の最中にお寿司を食べるのか?!
咲月さんは平然と言い放つ。
「ここから長いからパワーをつけないと! 10分間隔でアタタタタという痛みが来ますけど、全然平気ですね。病院にも電話しましたが、5分間隔まで自宅だそうです」
「本で読んでましたけど、本当に5分まで待つんですね」
「いや、でも10分間は何ともないんです。でもずっと続くから……あ、きたきたあ~~。おほほほ、あ、そこの紙にメモってくださいね、時間」
「はい!!」
咲月さんに渡された紙には時間が走り書きしてある。
その一番下に時間を書き足す……と冷静になって見ると、その紙には漫画のネームが書いてあった。
「……咲月さん、この紙、病院に提出しなきゃいけないのでは?」
「そうですね。入院時に……あー、突然来たからそれに書いちゃったんですね。すいません、普通の紙に書き直してもらって良いですか?」
「分かりました!」
メモを書き写している間にお寿司が届き、咲月さんが部屋着の状態で受け取りに行こうとするので、それを止めて俺が行った。
お寿司は特上寿司で、もう俺は笑ってしまった。
咲月さんは「いただきまぁす!」と目を輝かせてお寿司を食べていた。
そして数個食べると陣痛が来るらしく
「おおっとお……きましたよ。うほほほ……!」
と言って立ち上がり、リビングの机のまわりを一周した。
そして陣痛が落ち着くと、椅子に座ってお寿司を食べる……を繰り返していた。
俺は落ち着かなくて、お寿司なんて食べられない。
でも咲月さんは「長丁場ですから。それに隆太さん、ここから先、ぜったいご飯食べないから、今食べてくださいね」と俺に食べさせた。
その言葉で、お寿司は景気づけでも何でもなく、俺のために準備したものだと気が付いた。
……俺がテンパってどうするんだ。
やっと冷静になり、大きく深呼吸をして……まず着替えることにした。
まだスーツのままだった。
外にすぐ出られるレベルの服に着替えてお寿司を頂いて、お皿を片付けた。
咲月さんはお寿司を食べ終えてからアンパンを受け取り、目を輝かせて食べはじめた。
「はぁん……これです……この甘さ……砂糖しゅごい……シャリシャリ……おいしいです……」
「もう駅にいたので、LINEを見て叫んでしまいました。アンパン?! って」
「たまに食べたくなるんですよね、この砂糖がたっぷりついたアンパン。おいしかったです、ありがとうごさいます」
咲月さんはアイスも取り出し食べはじめた。
そして痛みがくるたびにリビングを歩き回り「おほほほほ」と叫んだ。
俺は車に荷物を運び入れることにした。
これからぜったい必要になるので先日車を購入したのだ。
ガソリンチェックしてエンジンがかかることも確認。
後部座席には赤ちゃんを乗せるシートも準備済みだ。
それから数時間後……陣痛は完全に5分間隔になり、咲月さんは病院に電話した。
「完璧に5分です。あと30分くらい前から種類が変わりました。30分前はト~ン、ト~ンだったのに、今は『アチョチョチョチョ!!』って感じです」
間違いない北斗神拳……。
その伝え方で伝わるのだろうか……と思ったが、一度見ましょうと言われて咲月さんを車に乗せて病院へ向かった。
今まで営業で運転してきて良かった!
俺はなんとか冷静さを保ちつつ車を走らせた。
病院で見てもらうと、もう結構進んた状態で、そのまま入院になった。
ベッドを準備してもらったのだが、咲月さんは
「寝てると落ち着かないです。歩いてて良いですか?」
と看護師さんに確認して、産婦人科の廊下をウロウロと歩き出した。
よく考えると咲月さんは漫画のネームに悩んでいる時、ウロウロと歩いている。
俺はすぐ近くで見守ることにした。
咲月さんは5分間隔で痛みが襲ってくるので疲れ果ててはいたが、隙間は普通らしく俺に話しかけてきた。
「隆太さん、見てください。好きな曲だけをリストにしてきたんです」
見ると『陣痛の時に聞くリスト』が作ってあり、中にはデザロズも入っていた。
「私この、サードシングルの曲が大好きで! こうテンポがいいですよね、デデデデって……お、痛みがデデデデ!」
咲月さんは陣痛が来るたびに廊下をウロウロ歩き回った。
それを続けることなんと3時間以上……咲月さんはもう最後のほうは痛みを語りはじめた。
「しつこいんですよ、この痛み。何度教えても同じことを聞きに来る新人みたいな感じです。さっき教えたやん、これもさっき教えたやんみたいな」
俺はもう横で腰を撫でることしかできない。
咲月さんは歩き回るのも疲れて、陣痛の数分の間、夕暮れに染まって行く空を抜け殻のような表情で見ていた。
「……真っ白に燃え尽きました。つまり、陣痛に飽きました。もう味わい尽くしましたね」
「いやいや、真顔で何をいってるんですか」
「あ~~またきた。しつこいなああ~! おお、これはちょっと違いますよ、ドンドンドンがメキメキメキィィになってきました。オタクは痛みを擬音で語る!!」
もう恥も外聞もない咲月さんは俺のほうをキッと見て叫んだ。
俺もさっきから気が付いてましたけど、痛みの表現がすべて擬音です。
そこからさらに1時間以上後に先生がチェックすると、もうすでにかなり進んでいて、そのまま分娩室に移動することになった。
どうやら歩き回っていたのが功を奏したようだ。
「はああ~~終わります? もう終わります? このしつこいの、終わります?」
「どうかな~? 終わる時は終わる。終わらない時は終わらない」
「助産師さあああん~~~~」
ノリが良い助産師さんに連れられて、咲月さんは分娩室に入って行った。
俺は血に弱いので立ち合いは無理と判断していた。
分娩室外、廊下の椅子に座るが、落ち着かなくて立ち上がる。
中からは咲月さんの苦しそうな声……は聞こえず、笑い声だけが聞こえてくる。
「笑えるほど痛いですねこれは!!」
「うん、良い感じ。進んでるよ。痛みに合わせていきんでみようか」
「あの助産師さん、いきむってよく分からないあはははは!!!」
「波きてるね、はい、こう足を踏ん張って、こっち側に出すのを意識するの」
「あ~~、あれですか、私のお尻を軸にZ方向に3D的に気合い入れる感じですね」
「なにその例え」
悪いが廊下に聞こえてくる会話が変すぎる。
この前のデザロズの仕事から咲月さんは3Dの勉強を始めていた。
助産師さんは笑いながら答える。
「あ、でもその考え方で良いみたいよ。良い動きだった。じゃあ次も3D的に頑張ってみよ」
「助産師さんに3Dの何が分かるんですか! 奥深い世界なんですよ!! 軸が多いんですから!!」
「いや、分からないけど」
「適当なこと言わないでくださいよ!!」
そんなやり取りを続けること1時間以上、咲月さんの笑い声が聞こえなくなって心配になってきた。
笑い声の代わりに聞こえてくるのは文句だ。
「もう飽きました~~~」
「もう少し! ほら3D頑張って!!」
「飽きました~~しつこいいいいい!!……おお? おおおお???」
「はいもう力入れなくていい。ゆっくり深呼吸して、はい」
「ああ……」
咲月さんの声が変わった。
俺の横をすり抜けて、分娩室に先生が入って行った。
同時に風が吹き抜けてキィィン……と静かに耳鳴りがする。
俺は自然と立ち上がった。
その時に窓から見えた満月のオレンジ色とか、手元にあったスマホが視界を奪うほどに光っていた事とかを、冷静にうけとる。
同時に分娩室の中から何かが響いた。
それはただの何かだったけど、まちがいなく、声だった。
あたらしい声。
……産まれたんだ。
どうしよもない感情に自然と涙が出てきて、スマホが手から落ちた。
カシャン……と軽い音と、分娩室の中から聞こえてくる生きている声。
まったく正しくないテンポで、声というより、エネルギーのような何か。
それが深夜の、真っ暗な海のような廊下を、波のように広がっていく。
小さくて、叫び声のようで、笑い声のようで、歌声のようで、それでいて、ここにいるという確かな主張。
必要なものは、ここにすべてたっぷりとある……不可能なことなど一つもない強さで。
それが、いま、ここにいる。
視界が歪んで何も見えない。
でも俺は真っ暗な海のなかで、静かに広がる声を確かに感じていた。
何分立ったまま泣いていたのか分からない。
助産師さんに呼ばれて分娩室に入ると、咲月さんが俺の顔を見て爆笑した。
「ちょっと隆太さん、顔がグッシャグシャですよ。タオル首にかけてあるのに! 使いましょうよ」
そう笑う咲月さんにふらふらと近づく。
足元がふわふわしていて、おぼつかない。
でも見たくて、見たくて、ゆっくり進む。
すると、咲月さんの胸元に小さな小さな赤ちゃんがいた。
ちゃんと頭には髪の毛があって、目が閉じられていて、まつ毛もあって、鼻もあって、指が小さくて、キュッ……と握られていて、足もクッ……と曲がってて……。
俺は思わず口にした。
「……お腹の中にいたのは、君かい?」
咲月さんは声を出して笑う。
「そうですね、さっき出てきた所ですから!」
咲月さんの笑顔が眩しくて、俺は声をあげて泣いた。
はじめまして、ようこそ世界へ。
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