第53話 夏の恒例行事と、約束

 8月に入り、再び咲月さんの実家への帰省する時がきた。

 数日前から「はあ……」とため息が漏れていたが、ホンさんや樹里ちゃんに会うのはそれなりに楽しみらしく、途中のアニメショップでお土産を買っていた。


「鬼滅のアクキー、マジ可愛い、私が欲しいです。でもアクキーはもう置く場所もないです……」

「スマホケースも可愛いですね」

「スマホは何使ってるか分からないんですよねえ。タオルとかこっそり使えて良いかも」


 そして本家の娘さん、樹里さんにも歌い手さんのグッズを購入していた。

 「たぶんこの方のファンだと思います。カバー曲をUPしてるのを見ました」と言っていたので、チャンネルもチェックしているのだろう。

 俺もチャンネル登録して見ているし、何度か咲月さんが絵を送っているのも確認している。

 やはり絵がつくと再生数も上がるので、まめに送っているようだった。


 本当に咲月さんの絵はとても魅力的だと思う。

 結局デザロズも咲月さんが絵をくださってから、チャンネル登録数が一気に増えて、この前はいつもの小さな箱が満杯になった。

 その客をどこまで引っ張れるかが大切なんだけど、認知されたことは本当に大きい。

 

 それを偉ぶらないのがすごい。

 デザロズの絵も影響力が強く、俺たちも、ファンも動かしたのに「私が書きました」と一度も言わない。

 それどころか「あの……私もラリマー艦長みたいに、特殊な名前にしていいですか?」と言い始めて自ら「分析官補佐・ボルトン」と名乗り始めた。

 そしてイラストは全てボルトン名義にしてしまった。

 ボルトン……なぜか男性名義。

 由来を聞いたら「大好きなダンケルクに出てくる海軍将校の名前なんです」と聞かされて、本当に映画が好きなんだなあ……と思った。

 そして池袋の映画館でダンケルクがIMAXで上映するというのでチケット戦争に参戦したら、サーバーが落ちて徹夜でF5押した話で笑ってしまった。

 俺も同じようにコンサートチケットを取るために戦うことは多く、気持ちはよく分かる。


「決済画面まで行ったのに画面が白くなった時の絶望感はすごいですよね」

「分かります。待つか、待たないか、悩みますね」

「そこでF5押して吉と出るか、凶と出るか……!!」

「ああ……嫌ですね……」


 チケットあるある話をしたり、映画を見たりして新幹線に乗り、去年ほどの落ち込みはなく向かった。

 でも旅館につくと表情は引き締まって緊張した様子で、毎年恒例のバームクーヘンを渡していた。

 

「今年もよろしくお願いします……」


 お義母さんはあっさりとそれを受け取り、俺たちに鍵を渡してくれた。


「おかえりなさい。隆太さんもおつかれさま。今年からお部屋取ってますからね」

「……ありがとう、ございます?」

 

 咲月さんは、お義母さんがあまりに普通の態度で接してくるので少し拍子抜けしていた。

 そして俺に「また賄賂を送ったんですか? 肉ですか?」と聞いてきたが、今年は何も送っていない。

 賄賂ではなく、長期スパンを見据えて話し相手になることにしたのだ。


 実はこの1年、俺は咲月さんのお母さんとメル友状態になり、色んな話をしていた。


 まず去年、東京に帰ってきてから、旅館宛てにお世話になった旨メールを送った。

 すると咲月さんのお義母さんの個人アドレスからメールがきたのだ。

 よし、行こうか。

 俺は思った。

 個人アドレス、今なら個人的にLineで繋がることは、最初の一歩だ。

 それに前も思ったけれど、俺は咲月さんのお義母さんはそれほど悪い人に感じられなかった。

 むしろ咲月さんにどこか似ている人なのに、環境や仕事で押しつぶしているように感じた。

 それに耳のことも気になっていた。

 調子が悪いと思った時には、かなり悪くなっていることも多い。

 

『お体は大丈夫でしょうか。ご自愛ください』


 そして近隣で行われている簡単な健康診断から、本格的な人間ドックまで調べて資料を添付した。

 わりとすぐにメールは返って来た。


『滝本さんが私の耳に気が付いたと樹里さんに伺って驚きました。やはり時間がないので、中々自分のことまで気が回りません』


 こういう経営者は非常に多い。

 自分の健康を考えない経営者がどれほど会社を危うくするのか知らないのだ。

 そして対応も熟知している。こういうタイプはほぼ未来がリアルに見えてない。

 だからまめに病院に通った場合と、たおれた場合どれほどコスパが悪いか芸能人や身近な例で語ると入りやすい。

 この作戦は年配女性によく効く。

 俺は突然社長の母親に倒れられた会社がどれほどもろく倒れるか、ワイドショーのような感じで説明した。

 一か月後、お義母さんは半日の人間ドックに入り、簡単な治療で耳はかなり良くなり、他に悪い所はないと分かった。

 

 それからもたまに咲月さんの話をしたり、弘毅さんが悩んでいるらしい地元に誘致が決まった工場の話など聞いた。

 直接顔を合わせる関係でもなく、深い知り合いでもない俺に愚痴を言うのは気楽だったのだろう。

 温泉街に工場など許されないと戦う弘毅さんと、単純に地元に人が増えることを喜ぶ人たちに挟まれ、ストレスから耳に不調を抱えているようだった。


 正直この問題は俺のように外の人間が口を出す問題ではなかった。


 調べてみたら工場は大手企業で、旅館組合にも悪くない金額を出資しているのが分かった。

 そして工場を誘致することで新たな道路計画も動きはじめていた。

 俺はその会社が他の所にも工場を置いたと知り、地元旅館の方のブログをまとめて送った。

 良くも悪くも、世界が変わると決めたなら受け入れるしかないのだ。



 仕事内容も去年と変わらず、社会人なので一度習ったことは忘れない。

 むしろ今年はかなり効率的に動けたと思う。

 少し旅館の仕事が楽しくなってきたほどだ。

 咲月さんは相変わらず機械のように仕事してたし、朝は辛そうだったけど。

 

 弘毅さんと果歩さんのバトルは激化していて、それだけが心配だったが、夜中に二人で庭を散歩しているのを見た。

 手を繋いでいたし、きっと大丈夫なのだろう。

 一週間はあっという間に過ぎた。




「……なんだか今年はめっちゃ平和でしたね。怖い……東京に帰るまでが帰省です……」

「咲月さんが少しでも楽にすごせて良かったです」

「隆太さんと一緒に行くようになって本当に楽になったんですよ、ささ早く帰りましょう」


 帰りの電車の中、咲月さんは俺の腕にしがみついて頬に唇を寄せてくれた。

 久しぶりの接触に、身体がうずく。

 帰省の一週間、何が辛いと問われたら、夜咲月さんに触れられないことだった。

 やはり夜遅くて朝早いので、全くそういう雰囲気にならないし、やはり実家ということもあり咲月さんの表情も違う。

 完全に仕事モードの表情で、それが崩れることは無い。

 こんな蕩けた表情で俺のことを見てくれない。

 俺は嬉しくなり、咲月さんに顔を寄せて、目を細めてキスをねだる。

 咲月さんは軽くキスしてくれる。


「えへへ。大好きです。はああ~~やっと力が抜けてきたー」


 可愛い。

 今日は土曜日だし、咲月さんとずっと一緒にいたい。

 正直これほど咲月さんに触れたいと思ったのは久しぶりだ。

 今年も無事に終わって良かった。

 

 咲月さんは帰省中、Twitterを削除する。

 気になるからだと言っていたが、電車に乗り、さっそくインストールしていた。

 そして悲鳴を上げる。


「わ! ワラビちゃん商業で書くって。すごい、大手ですよ!」

「すごいですね。しかもBLじゃないんですね」

「ワラビちゃんはわりとSF寄りの話を書くんですけど、そっちが評価されたんですね……通知300? ヤバい落ちる、なにこれ。あはは! ワラビちゃん辛そうです。ポエムが送られてきてる、やだ。今日は手伝いますね。ホンさんたちと絵書いてて良かった。手は動きそうです」


 なんだって……。

 恐ろしい絶望に襲われたが、一息ついて落ち着くことにする。


「……そうですか、頑張ってください」


 同人作家の旦那の心得の一つに、奥さんが絵を書きたいときに邪魔しない……がある気がする。

 俺は大人だから、自制心がある。

 咲月さんが幸せならそれでいい。

 俺には自制心があるけど……咲月さんを引き寄せて、唇を舌で割り、口内を舐める。


「んっ……隆太さん、電車でダメですよ……」

「この車両誰もいませんよ?」

「ダメです! 久しぶりで、我慢できなくなりますから……」


 咲月さんが頬を赤らめて俺のことを睨む。

 可愛い。

 やっぱり自制心なんて無い。

 一週間自制したのだから、もう許されたい。

 俺は咲月さんの肩を抱いて頬に唇を落とす。


「……名古屋で途中下車しませんか?」

「ワラビちゃんを助けてあげないと。いつも助けてもらってるんです」


 目に見えて落ち込んだ表情をしてしまったのか、俺の頬を両手で優しく包む。


「一日で終わるように頑張ります。日曜日の夜は花火大会があるみたいだし、一緒に行きませんか? 浴衣買ったんです」

「東京に帰りましょう」

「切り替えが恐ろしく早い」


 咲月さんは爆笑していたが、ここで粘っても咲月さんを困らせるだけで、何一つ得がない。

 俺は前から咲月さんと浴衣で花火を見たかったのだ。

 それが叶うなら、もう何も言うことは無い。

 さあ早く東京に帰ろう。

 俺は咲月さんの手を優しく握った。

 咲月さんも俺の手を優しく握り返し


「久しぶりに抱っこして一緒に眠れるから、楽しみです」


 と耳元で小さな声で言ってくれた。

 それはこっちのセリフで……どうしようもなく嬉しくなり、優しく電車の中で抱き寄せた。


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