第51話 二度目の夏と、ぬるいお風呂

 夏直前の日差しは容赦なく俺たちを照らす。

 咲月さんの誕生日にやり損ねた網戸の掃除を終えた。並べると大小含めてかなりの量になった。

 同時にした沢山の洗濯物も風にハタハタと揺れている。


 咲月さんは食べているガリガリ君をサクッ……と噛んでため息をついた。


「……一軒家の網戸って多すぎませんか? でも洗うと分かるんですけど、ものすごく汚いですよね」

「そうですね、どす黒い水がドロドロ流れて気持ちよかったですね」

「ここまで汚れてたのか……! となりますよね。そして毎年のことながら雑草がヤバい事になってきましたね」


 座っているベンチと物干し台周辺は雑草がないけれど、お花見をした桜の木辺りまで見ると、雑草で先が見えない。

 俺が来るまで咲月さんがひとりで何とかしていたと思うと、可哀想になるほどだ。


「調べたのですが、庭の広さに応じて役所のほうで雑草刈りをしてくれるらしいですよ。申告制でしたが」

「え? そんなの知りませんでした。市役所行ってみましょうか」


 咲月さんは食べていたガリガリ君の棒を口に入れたまま立ち上がって歩き始めた。

 俺は駆け寄って棒を口から出す。


「口に何か入れて歩いて、転んだら喉をケガしますよ」

「はい、気を付けます」


 咲月さんは俺の腕にしがみついた。

 よく考えたら巨大な麦わら帽子をかぶったまま抜け殻のようにネームを書いていた咲月さんの面倒をみたことがあったな。

 咲月さんの実家から帰って来た後だったから9月頃だったか。

 一年が恐ろしく早い。このままでは気が付いたらおじいさんとおばあさんになってそうだ。

 ……全然イヤじゃないけど。



「隆太さん隆太さん、市役所行くなら日焼け止め塗りなおしてください。首の後ろと腕の後ろ。あっ、エッチな隆太は禁止ですからね」

「抜け道は……?」

「ありません! 自転車は背中も焼けるから、ちゃんと塗らないと。お願いします」

「わかりました」


 俺は渡された日焼け止めクリームを少し出して咲月さんを見た。

 すると咲月さんは全ての髪の毛を持ち上げて俺のほうにうなじを見せている。

 うなじが好きだと言っているのに、こうも色っぽく見せられると、本当に困ってしまう。

 しかしエッチな隆太は禁止されてしまったので、うなじにクリームがついた指先をチョン……と付けて伸ばしていく。

 首が長くて本当にキレイだと思う。首から鎖骨までのラインを、許される関係になってから何度も唇を這わせたけど、正直全然足りない。


「ん……なんかやっぱり、ちょっとエッチな隆太発動してませんか? ダメですよ? 市役所終わっちゃう」

「きれいだなと思いながら塗っているだけです、大丈夫ですよ」

「あのそれは嬉しいんですけど、もう、こう、ガバッと塗って良いですよ。そんなチマチマ……」

「いえ、大丈夫です。ささ、俺の膝の間に座ってください。やけてしまいますから」

「……はい」


 俺は少し楽しくなってきて、首の後ろ、肩の後ろにしっかりとクリームを塗りこんだ。

 夏の間、この仕事は俺がしたい。

 ただ終わった時に咲月さんが「もう頼みません!」と顔を真っ赤にしていたので、もう任命して貰えないかもしれない。

 少しさみしい。




 俺たちは自転車で山の反対側にある市役所に行き、相談窓口で話をしてみた。

 周辺に空家も多いし範囲も広いので、検討して貰えそうだった。少しでも楽になると良い。

 そして駅前の商店街で小さなスイカと可愛い絵柄がついたワンカップを2つ買った。

 咲月さん曰く「カップが可愛くて今のブーム!」らしい。


「帰ってスイカとワンカップパーティーしましょう!」


 俺たちは再び自転車に乗り、帰ることにした。

 今度は上りが多いが、最近咲月さんはしっかり夜眠るようになり、かなり体力が付いてきたように見える。

 順調に上って、あと半分という辺りでポツ……と雨が落ちてきた。

 ヤバい。


 実は駅前に居る時に少し思ったけど、山の向こうの雲が黒かったのだ。

 これは……俺は速度を落として咲月さんに並び言った。


「ゲリラ豪雨がくると思います。10分弱で帰れるはずなので、少し急ぎましょう」

「ええ……自転車に傘ってアウトですよね。ていうか、コンビニ無いか。はい、頑張ります!」


 俺は少し速度をあげる。咲月さんも付いて来る。

 しかし無情にも大きな雨粒がボタ、ボタと落ちてきた。

 雨粒が完全に頬を打つようになり、風も強まってきたので、俺は速度を落として自転車を下りた。

 自転車に慣れていない人を走らせるのは危ない。

 横に並ぶと、咲月さんが目をパチパチさせていた。


「雨粒って、こんなに目に痛いんですね!!」

「……痛いんです」

「私ここまで正面きってビチョビチョになるの、人生で初めてかも知れません」

「そうですね、本来ならもう少しテンションが下がりそうですが、とても楽しそうですね」

「これはもう、ショーシャンクの空にですよ!!」

「……それはなんでしょうか」

「えええええ……家に帰って見て所長にイライラしましょう!! あはははは自由だーー!!」


 俺たちは普通に会話しながら自転車を押して歩いているが、今視界が確保できないほどの土砂降りに見舞われている。

 山道の道路なので、逃げ場もない。

 本来ここまでの雨に降られたら落ち込みそうだが、ここにきても咲月さんはずっと笑っている。

 俺ももう笑えてしまって、二人で自転車を押しながら帰った。



 家に着くころには完全に雨はやんでいた。

 そして強風に吹っ飛ばされた洗濯物が地面でドロドロになって迎えてくれた。


「いやぁぁぁぁぁぁ……!!」


 これはさすがの咲月さんも崩れ落ちた。忘れていたらしい。

 しかしスイカとワンカップを思い出して、なんとか立ち直った。

 二つを冷たい湧き水がほんの少し出ている場所に置き、俺たちはお風呂に直行した。

 夏とはいえ、雨風で冷やされて身体は冷え切っていた。

 俺たちは寒さに我慢できず、二人で空っぽの湯舟に入り、お湯が溜まるのを待った。


「……こんなひもじいお風呂は初めてです……悲しい……お湯がない……寒い……」

「咲月さん、抱っこしましょう。すぐに溜まりますよ」


 俺は裸で体操座りをしている咲月さんの腕に触れた。

 氷のように冷たい。このままでは風邪を引かせてしまいそうだ。

 引き寄せて抱っこしたら咲月さんが「?!」と驚いた顔で振り向いた。


「隆太さんの肌も冷たい」

「だから温めてください」


 咲月さんはモゾモソと俺の胸元に収まった。

 俺は咲月さんの髪の毛をまとめて持ち上げて、首筋を確認する。


「日焼け大丈夫そうですよ」

「良かったです」


 咲月さんは少し背筋を伸ばして顎の下に口づけきた。

 俺も抱き寄せて唇に軽くキスを返す。

 うふふと嬉しそうに咲月さんは俺にしがみついてきたが、思い出したのか「むー」と軽くため息をついた。


「……泥がついた洗濯物は、どうしましょうか」


 俺は尖らせた唇が可愛くて、もう一度唇を落としてから話す。


「……外の水道で一度洗いましょうか」


 咲月さんはキスに答えるように俺の下唇をペロリと舐めて話を続ける。


「泥のまま洗濯機は、無理ですもんねえ。もういっそこの入り終わったお風呂に……ん……投げこん……ん」


 俺は顎を引き寄せて深く口づけて舌を吸う。

 咲月さんから言葉を奪い、抱き寄せる。


「隆太さん、話ができません」

「あとでしましょう?」


 お湯が溜まってきたお風呂で俺は咲月さんを頭のてっぺんから足の先まで愛した。




 蕩けるほど温まり、冷えたスイカを食べた。

 スイカはとても冷やされていて最高に美味しかった。

 そして咲月さんは持ちあるき用の財布がずぶ濡れになってしまったようで


「お札を窓ガラスに貼ると綺麗に乾くんですよ!」


 と、ワンカップを飲みながら窓ガラスにお札やポイントカードを貼りはじめた。

 パン屋さんのポイントカード、こっちの財布にあったのかー。これは何だ? なんの回数券だ? これはいつのレシート? あー、もうこのカード要らないかなあ。

 ついでにお財布の掃除を始めた姿が可愛すぎる。


「乾いたら自動的に下に落ちてきますからね」


 その自慢げな笑顔に俺は噴き出してしまう。

 俺たちはワンカップを飲みながらショーシャンクの空にを見た。

 咲月さんは延々と所長に悪態をつきながら見て、例のシーンでは立ち上がって再現をし始めた。


「ね! 一度見たらやりたくなりますよね」

「偶然にも再現可能な状態を提供出来て良かったです」

「今度降られたら一緒にやりましょう!!」

 

 個人的にはもう自転車に乗っている時のゲリラ豪雨はお断りだけど、咲月さんと一緒なら何でも楽しい。

 一緒なら何があっても笑って居られると、今の俺は知っているから。


 外には洗いなおした洗濯物がハタハタと泳いでいて、今年初めてのセミが不器用にジジと鳴いた。

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