第45話 ずっと一緒に
年末になり、予約した千葉の山奥にある温泉旅館に行くことになった。
車を借りてアクアラインへ向かう。
渋滞を加味して夜中に出たのが功を奏して、気持ちよく走れた。
俺も咲月さんも夜に強いので、夜3時に東京を出て、海ほたるを目指した。
目当ては朝日だった。
年末の海沿いは恐ろしく寒くて俺も咲月さんも悲鳴をあげながらデッキに出た。
顔をあげると、丁度雲が一気に明るくなった。
雲の一番下が小さく割れて光が走った。
光の粒が見えて、一気に暗闇が割れる。
ゆらゆらと揺れる光の塊が海から上るのを俺たちはずっと見ていた。
寒さでキャーキャー言っていた咲月さんは俺の手を握り呟いた。
「オレンジのダイアモンドみたい……」
「本当にその通りです」
「一瞬でパッと明るくなりましたね!」
強い風に乱れる髪の毛を咲月さんはまとめながら、振り向いた。
その頬に触れると氷のように冷たくて、俺はコートの前を開いて、咲月さんを後ろから抱っこした。
大好きな首筋に頬をうずめて、二人でずっと朝日を見ていた。
海ほたるにあった足湯に入り、温まったら抱き合って毛布にくるまった。
車で仮眠を取り、千葉に入った。
咲月さんのダイエットは順調だった。
ビールはいつもネットで大人買いしていたのだが、それをやめた。
飲みたいなら坂下のコンビニで買うことにしたら一気にストックが消えた。
それでもネームに詰まると薄着のパジャマで坂下に走り出そうとするので、撫でたり、お風呂に入ったりして宥めた。
そして俺にスプラで負けるたびに腹筋をするという妙な運動方法を編み出して、一か月ですんなりと脂肪を取り去り、ついでに体力も付けたようだった。
遊びに来た巨大な公園の斜面を楽しそうに走り、ひつじと戯れ、ショーを見ては種類の多さについて語っていた。
「山の上、想像以上に寒いですね!」
「前をちゃんと閉めましょうね」
「隆太さんが買ってくれたこのコート、すごく温かいです」
そう言ってほほ笑む頬が真っ赤で、俺は頬に唇を落とした。
最近は外に着ていく服の8割を俺が買っている。
好きな人に服を買う行為が楽しすぎるのだ。
それを着て会社にいるのを見るのも、嬉しい。
俺は自分が思ってるより、かなり独占欲が強いようだ。
到着した温泉旅館は本当に山の上に一部屋しかない特別室で、あまりの広さに咲月さんと探検してしまった。
部屋がある目の前に庭、お風呂がある専用の庭、大きな木がある専用の庭。
「庭の管理って、面倒なんですよ。すごく伸びますから。切っても切っても伸びますから」
「初めて聞く旅館の感想です」
「旅館の娘なので仕方ないです……あ、隆太さん、温泉行きましょう温泉!」
山の中にある小さな露天風呂で咲月さんはスルリと浴衣を脱いで湯舟に入った。
その美しい身体に俺は引き寄せられる。
太ったと言われた時はよく分からなかったが、今なら分かる。
皮膚の下が全体的にすっきりしているのだ。
咲月さんは俺に後ろから抱っこされた状態で振り向いて言った。
「どうですか。一年前に戻りましたとは言いませんが、かなりスッキリしました」
「腕がすごく綺麗になりましたね」
そう言って腕を持ち上げて、下から唇を添わせる。
すると咲月さんは顔を甘くゆがめて腰を引く。
「腋も……なによりお腹……本当に薄くなりました。腰回りもスッキリしましたね。すごいです」
「……あの隆太さん……話しながら触れなくても、大丈夫ですよ……?」
「一週間お預けくらってましたからね、今日はもう離しません」
「だってちゃんと成果を見せたかったんですよ」
咲月さんが言葉を放つ口を塞ぐ。
喘ぐ声が外に響いて、俺はどうしようもなく興奮してしまった。
旅館を楽しみ、俺たちは今、千葉から船に乗り横浜方面に向かっている。
船は動き始めたばかりで、咲月さんはとても興奮してデッキに向かった。
「隆太さん、こっちこっち! 私やっぱり船大好きです。日本中の船に乗りたい!」
「車で乗りこむ時は、少し感動しましたね」
咲月さんは大きく頷き語り始めた。
「ガンダムのパイロットはこんな気持ちなんですかね、コアファイターに乗ってる気分が味わえます」
「コアファ……?」
「コアファイターは初代ガンダムに乗る時に使ってた小さな飛行機です。あれORIGINで消えうせててハイ? って思ったんですよねえ」
車で船に乗りこんだだけなのに、いつの間にかガンダムトークをしてはしゃぐ咲月さんが可愛くて腰を優しく抱く。
どこに連れて行っても楽しそうで、俺も嬉しくなってしまう。
「ほら見てください……東京湾って、どんどん船が中に入っていくんです。そこを私たちだけが横切ってるんです、今私たちは東京湾の邪魔物ですよ……!」
「……いつも思うんですけど、咲月さんの考え方は俯瞰的ですよね。いつも天上から物を見ている」
「それは漫画を書くときの癖だと思いますね。物事を俯瞰して一歩引いて考えてしまいます。だから恋愛自体をわりと感情の無駄に感じていたんですけど……でもね、隆太さんを好きになって、それは今まで大好きになった人が居なかっただけだな……と気が付きました」
俺は意外な言葉に嬉しくなって腰を強く持って抱き寄せる。
「咲月さんがめっちゃ好きです……」
「隆太さん分かってないかも知れませんが、私もかなり隆太さんが好きなんですよ」
にこりとほほ笑む笑顔にたまらなくなり、コートの前を明けたらモゴモゴともぐりこんできた。
あまりに寒いので俺はコーヒーを買い、咲月さんはココアを買った。
チップスターを食べながらお互いの飲料を交換して飲みあい、海を見て過ごした。
横浜方面に船がついた。
次に向かう場所は、咲月さんが「初詣には早いけど、行ってみたいんです」と言っていた場所だ。
有名な観光名所ではなく、小さな神社らしいが、咲月さんが行きたいなら俺はどこでも良い。
車でフェリー乗り場を出て、反対側の山の中に向かう。
そこは大きな道もなく細い道が続いた。俺は車を振らないように気を付けて運転を続けた。
「あ、こっちですね」
スマホの地図を見ながら咲月さんが言う。
そこは本当に小さな神社だった。
他にも有名で大きな神社はたくさんあるのに、どうしてこんな山の中に……?
小さな駐車場に車を止めて、俺たちは山を歩き始めた。
そして小さいけど、綺麗に手入れしてある鳥居に到着した。
左右の木々の太さが、かなり昔からある神社だと知らせる。
一礼してから入り、参道らしき山道を歩く。
遠くから東京では聞いたことがないような鳥のさえずりが聞こえてくる。
神殿は緑色の瓦が見事で、俺たちは頭をさげて拍手して手を合わせた。
「私が行きたい場所は、この神社の奥にあるんですよ」
咲月さんは奥に進んだ。足元の道はどんどん細くなり、俺たちは一列になって歩いた。
やがて山の景色が開けて、一気に海が見えた。
反対側だから相模湾か。
人気がなくて静かで美しい。
そこに小さな祠があり、大きな階段が見えた。
咲月さんがクルリと振り向いて俺の方をみた。
「隆太さん、その段差の一番下。もう海沿いなんですけど、そこで私を待っててください」
「はい」
俺は言われるままに一番下まで降りる。
一段がかなり大きくて、これは階段ではなく、自然の岩場なのかも知れない。
すぐ後ろは海で、景色が美しい。波音は静かに聞こえてくる。
「この岩を一段ずつ下りながら願い事を言うと叶うって、好きな映画でやってたんです。だからやってみたくて!」
「いいですよ」
俺と咲月さんの間には5つほど大きな岩があり、距離が離れているので二人とも声を張り上げて話した。
行きますよー! 咲月さんが俺に向かって手を振る。
俺も手を振ってこたえた。
咲月さんは、ほっ……と声をあげて動き始めた。
「まず1つ。旅行とっても楽しかったので、また来たいです」
「そうですね、また行きましょう」
俺の返答に満足げに咲月さんはもう一段段差を下りる。
「もう1つ。ちょっと私に服を買いすぎですよ」
「そうですね、着てくれるのが嬉しくて買ってしまうんです」
嬉しいんですけど、貯金してほしんですよ、と言いながらもう一つ段差を下りた。
「お金を貯めて、未来のために使いませんか?」
「……そうですね、それは別に貯めてるんですけど、その通りです」
そうだ、それに加えてもう一つ! 咲月さんはピョンと段差を下りた。
「子供が出来たとして、産んでも仕事がしたいので、美味しいお仕事持ってきてくださいね」
「お任せください。それには自信があります」
さすが先月成績1位を取った男。カッコイイですねと咲月さんはほほ笑んだ。
結婚後、表情に余裕が出てきたのか、契約も増えてついに清川を抜いた。
これは本当に嬉しかった。
「最後に、これが言いたくて、ここに来ました」
咲月さんは最後の階段をピョンと下りて俺の目の前に来た。
髪の毛がフワリと揺れて風を知らせる。
「隆太さん、長生きしてください。最近はそればかり思います。隆太さんが居なくなったら私はくだらないうんちくを誰に話せばいいんですか? 東京湾トークを誰とすればいいんですか? 私がきれいになった時、一番近くで見てくれるのは誰ですか? 私が床で寝ちゃったら誰がお布団に運んでくれるんですか。私の自転車のチェーンは誰が直すんですか? 空気の入れ方も分かりません。もう一人で山の雑草なんて抜きたくないです。隆太さんがいないと、全部つまらないんです」
咲月さんの言葉に俺は涙が滲んでくる。
俺の胸元にポン……と咲月さんが入ってくる。
「長生きしてください。ただ一緒にいてください」
俺は流れる涙をそのままに、咲月さんを抱きしめた。
咲月さんも強く俺にしがみついて来る。
俺は震える声を絞り出す。
「咲月さんこそ、長生きしてください。めちゃくちゃな徹夜やめてください。いつも心配で仕方ないです。ちゃんとご飯食べてください、ゼリーだけじゃ生きていけませんよ、お願いだから身体を大事にしてください。そしてただ、ここに居てください」
お互いに涙が止まらず、泣いて泣いて、泣きつかれた頃、手を繋いで夕日が沈む海辺を歩いた。
そして俺たちの坂の上の家に帰った。
いつものリビングでゲームをして、抱き合って眠った。
この1日が100年続くことを祈りながら。
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