第41話 キスをして、そして

「一緒のお家に帰りたいです」


 そう言われた瞬間に、どうしようもなく咲月さんのことが愛しくなって自然と抱き寄せた。

 俺たちは恋を始める前から一緒に住んでいたから、恋人にありがちな帰る、帰らないの攻防をした事が無かった。


 帰ったら咲月さんか、俺、どちらかが居た。

 一緒に飲むお酒も、気持ちよくなったらそのまま眠り、お腹が空いたら一緒に食べた。

 一緒に映画を見て徹夜して、ビールを飲んだ。


 そんな甘すぎる時間を最初から過ごしていたから、その価値に気が付いてなかったんだ。

 ここが東京のある町で、このまま手を繋いで家に帰って、そのまま一緒に眠れたら最高なのに。


 抱き寄せる咲月さんは、どこに触れても柔らかい。

 背筋も肩も、全部だ。

 絹のような肌に誘われてワンピースの袖から指先を入れたら、びくりとした。

 もっと触れたい。

 少し困ったようにこっちを見る仕草に可愛らしさを感じて吐息に重ねるように、再び自分の唇を重ねた。


 身体と同じように柔らかい咲月さんの唇に、何度も触れる。

 そのたびに俺の肩を掴んだ指先がピクン……とするのが可愛くて、シャッターに押し付けるように追いかけてしまう。

 腰を掴んでいた手を広げて、親指で咲月さんの背筋に触れる。


「ん……隆太さん。ここ、外ですから」

 

 ついに咲月さんが抗議して俺の胸元で丸くなった。

 可愛い、離れたくない。

 俺はそのままコートの中に咲月さんを収納しようと試みる。


「ちょっと、隆太さん、入りませんよ」

「どこか駅前のホテルに入りましょうか」


 駅前だし平日だし、ダブルルームくらいどこか空いてるだろう。

 咲月さんは俺のコートの中にモゴモゴと入り込みながら


「……でも私も隆太さんも明日の朝、めっちゃ早いですよね」

「そうですけど……」


 朝早く行く必要があるからこそ前入りだ。

 咲月さんは胸元から背伸びして俺の頬に唇を優しく押し付けて


「私、朝イチャイチャするの、大好きなんです……というか、それが一番好きです」

「わかります……」


 それに初めては家でと言った気もする。

 うあああ……。


「こんな事なら、もっと早く咲月さんのベッドに飛びこめば良かったです……」

「そんな隆太さん想像できません。今だから、こんなに好きで、ずっと一緒にいたいなあと思うんですよ」


 そういってほほ笑む咲月さんが可愛くて、俺は柔らかい唇にもう一度軽く唇を落とした。

 咲月さんは俺にギュッとしがみついて


「明日の夜、いつもの家で準備して待ってますね」


 と言った。

 準備……待ってる……。




 よし切り替えよう。

 俺は決めた。

 




 朝、近鉄乗り場に向かう。

 いつも思うのだが、名古屋駅の近鉄乗り場の遠さは、東京駅京葉線乗り場に向かうのに匹敵するほど遠くないか?

 準急目当てで、いつも近鉄を使ってるんだけど、地下商店街を抜けるせいで、競歩をしているような気分になる。


「滝本さん……歩くの早いですよぉ……朝からご飯たっぷり食べたから、早く歩くとお腹が痛くなります」

「食べ過ぎだ」

「だってビジホのモーニングって何かテンション上がるじゃないですかぁ……」


 後ろを遅れて歩く本村を見て苦笑した。

 俺も最初はそう思ったからだ。

 慣れると睡眠を優先させるようになるが。


 入社二年目の本村は、まだまだミスも多いが憎めないキャラで俺は嫌いじゃない。

 それに愛嬌というものは自分の力では身に着けられない。

 俺のように表情が乏しい人間と組むのは良いと思う。


 しかし今日はスケジュールを秒単位で守って動きたい。

 9時に挨拶、10時に工場見学、11時半から会食しながら商談、13時30分に終了予定。

 最速は14時発特急名古屋行き……その次は14時07分快速名古屋行き……。

 特急だと520円の指定席料金がかかる。でも14時に出れば14時32分発ののぞみに乗れる。

 後ろの電車だと44分発になる。


 よし。特急に乗ろう。

 520円なんてどうでもいい。


 しかし35分について44分発の新幹線に乗れるのか?

 何度もいうが、めちゃくちゃ遠くないか?


 いや、走ろう。


 俺はスッ……といつも以上の真顔で本村を見た。


「本村。今日俺は恐ろしいほど冷静に、間違いなく仕事を済ませて、驚くような速度で東京に戻る。帰りは特急に乗るぞ」

「ええ……? 東京つくの、そんな変わります?」

「32分発を狙って44分になるのは仕方ないが、最初から44分を狙っていたら44分さえ逃がすかもしれないだろ」

「とにかく急いでることは分かりました。気合入れます」


 俺と本村は電車の中で荷物の最終チェックをする。

 仕様書はデータで持ってきて、工場でプリントする。

 ふと気が付くと、昨日更新されている。

 v2.8.6573……どこまで細かいんだ。


 ひょっとして。


 俺は袋からタブレットを出して確認する。

 するとバージョンがv2.8.6572。

 更新時は昨日の夜だ。

 これアプデしないとダメなのか?

 俺は速攻咲月さんにLineする。


『すいません、ひとつ確認です。タブレットのOSがv2.8.6573に更新されているのですが、手持ちはv2.8.6572です。納品前にアプデが必要ですか?』

 すぐに既読になった。

 数分後に返って来た。

『佐々木さんに確認したら小さなバグを消したマイナーアプデらしいので、大丈夫らしいです』

『ありがとうございます』


 そして数分後


『お仕事頑張ってくださいね、先に帰ってお部屋の掃除でもしてます』


 と追加で入ってきた。

 俺はスマホを握りしめる。

 そしてグルンと横を見て本村の肩を掴んだ。


「本村」

「わかりましたよ、早く帰りたいんですよね」

「そうだ」

「てか滝本さん、俺の肩つかんでめっちゃ笑顔なのイミフなんですけど」

「……すまん」


 嬉しさがあふれ出してしまった。

 俺は恥ずかしくなって顔を伏せた。


「いえ、そっちのほうがいいスよ」

「……善処する」

「あ、戻った」


 何十年もこの顔でやってきたんだ。

 そう簡単に変わらない。

 でも俺の中に、俺が知らない表情が、感情が、生まれてきているのは知っている。

 それが咲月さんと結婚してからだという事も。


 今日は金曜日明日は土曜日。

 俺は仕事を迅速かつ丁寧に済ませて即東京の家に帰る!!


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