第40話 初めてのキス

「名古屋に出張ですか。私が」

「そう、佐々木さんとね。大丈夫、今回はプログラマー集団相手だから、佐々木さんが全て回すと思うよ」

「じゃあ私は……」

「佐々木さんが向こうで何を話してきたのか、俺たちに説明する係」


 フードコートのタブレット主担当の柳沼さんと、営業の長谷川さんは私に向かって

「すいませんが、よろしくお願いします」と頭を下げてきた。

 入社して5年、ずっと社内デザイナーとして仕事をしてきて、打ち合わせはすべて都内だった。

 だから新幹線に乗って、しかも泊まりで打ち合わせにいくのは初めてだ。


「出張って……何を持って行けばいいんですか?」

「俺は会社に行くのと同じ中味で行きますね。下着さえコンビニで買います。……あ、ちょっとまってくださいよ、明日の夜、名古屋にいるんですか? 俺も明日の夕方名古屋入りで、泊まりです」

「えっ……別の仕事ですよね?」

「朝イチで桑名の工場に行くので、前乗りします」

「え……じゃあ、名古屋で会えるんですか!」


 私は嬉しくなって、帰って来たばかりの隆太さんをリビングに引っ張り込んだ。

 隆太さんは散らかった私の荷物を整頓してスペースを作った。

 そしてスマホで社内スケジュールを確認した。


「……宿泊するホテルは違いますが、同じ名古屋ですね」

「やったー! ご飯食べれますか? 手羽先食べたいです!」

「朝イチで桑名に入ればいいので、夜はフリーですよ」

「楽しみです、お仕事がんばります!」


 隆太さんは優しく私の頭を撫でてくれた。

 家の居心地が良すぎて、あまり外食してないから、それだけで楽しみが増えた!




 しかし、新幹線の中は暇だ。

 隣で佐々木さんがキーボードをカチャカチャ打っている横で、switchで遊んだり、MCU見たり、好きに漫画は読めない。

 私は到着時間に合わせてアラームをかけて眠ることにした。

 秘技2秒寝。

 わざわざ『会話に間が空いたらダメ!』と話しかけてくる同僚の100倍気楽だ。

 

 仕事先での佐々木さんは、水を得た魚のように早口で話し続けて、私はついて行くのが精一杯だった。

 とにかくこの会社で扱っているパーツを使うと、フードコートのタブレットに新しい機能が追加できる事は分かった。

 プログラマーとデザイナーの橋渡しも楽しくなってきたので、興味深かった。


 最近わが社はテレワークを導入し始めていて、それを使っているのはプログラマーさんが多い。

 デザインと両方できたら強いのになあと、なんとなく思っている。

 全く予想してなかった『ちゃんとした結婚』をして、妊娠出産が見えたからだ。

 

 実は商業雑誌の漫画の仕事も「出産後は漫画家に?」なんて思って受けてみたんだけど……結果はあのざまだ、酷すぎる。

 根が適当な私は、やはりフリーランスに向いていない。

 管理されている会社員サイコー!

 

 隆太さんは産休から復帰する人のために、仕事を取ってきてくれているのも知っている。

 やれることが多いほうがいいかなあと漠然と思う。


 もちろん相性はあると思う。

 でも隆太さんとの子供が生まれたら楽しいだろうなあと思った。

 まあダメだったら仕方ない。

 趣味を500%満喫するだけだ。

 それはそれで間違いなく楽しい。

 本当にどっちでも良くて、どっちに行っても楽しめる準備をしたいと最近思い始めた。

 


 そんなことを考えながら、待ち合わせ場所で待っていたら、隆太さんが見えた。


「咲月さん」


 家にいる姿、そのままなのに景色が違って新鮮で嬉しくなってしまう。

 それに昨日言っていたとおり、いつも使っている鞄ひとつだ。

 私はスーツで飲むのは慣れなかったので、服を一式持ってきた。

 嵩張らないようにワンピース一枚にしたけど、これも先月ワラビちゃんと出かけて買ったものだ。

 隆太さんは私を見て


「……可愛いですね。なんだか新鮮です」


 と照れながらほほ笑んでくれた。

 よく考えたら、隆太さんと全然デートしてないのだ。

 家が快適すぎて肉の買い出しとかしか行って無い。だから隆太さんが見てる私の成分、スーツ、モンベル、0.5%無印。

 ……ダメなのでは。


 やっぱりもう少し服を買おう。

 可愛いと思ってほしい。


 私が手を差し出すと、迷いなく繋いでくれて、少し強めに腕を引き込んでくれた。

 いつもの隆太さんの香りと、いつもじゃない場所。

 私は腕にギュッと抱き着いた。


 隆太さんが連れて行ってくれた店は、個人経営の居酒屋さんだった。

 大きなカウンターには大皿に乗った料理が沢山置いてあって、前にはお刺身、裏には焼き鳥場、奥には蕎麦打ち台が見えた。

 曰く、いつも名古屋に来ると入る店で、店主さんも隆太さんをみて「お」という顔をした。

 個室を予約してくれたみたいだけど、私はカウンターが好きで、お願いした。

 隆太さんは目を細めながら


「そうかな……と少し思いました」

「大皿に料理が並んでるのを見るのが好きだし、焼き鳥焼いてる所を見るのも好きです!」


 居酒屋は大好きだ。

 実は美大時代に、居酒屋さんでバイトしていた。

 昼は大学に行き、夜は働いていた。実家から生活費をあまり貰いたくなかったし、それは必然だった。

 なにより、賄いが美味しくて! ビール好きはあの時から始まった気がする。

 

「かんぱーい」

「おつかれさまでした」


 お店で飲む生は最高においしい。

 あまりにオタ活に夢中、そして家が幸せすぎて、忘れていた。

 大皿の角煮も、おでんも、どれも美味しくて、私は隆太さんと半分こしながら、たくさん食べた。

 隆太さんが漢方を飲んでいるのか、途中で少し気になったけど、まあそんなのどっちでもいいやと思った。

 それは隆太さんが決めることだ。

 私はお酒に元々強いので、三杯目からは焼酎にして、焼き鳥も沢山たべた。

 隆太さんは明日朝はやいので、ビール二杯をゆっくり飲んでいたけど、頬が上気して、いつもと違う表情でドキドキした。


「ごちそうさまでした」


 私たちは外に出た。

 お腹いっぱいで夜風が気持ちよくて、背伸びをした。

 さてお家に帰りましょう~、そして飲みなおしましょう~! そこまで思って気が付いた。

 ここは東京じゃないし、今から別の場所に帰るのだ。


「……え?」


 今まで一度も隆太さんと別の家に帰ったことなど無い。

 突然襲ってきた淋しさに、私は立ち尽くした。


「咲月さん、どうしました?」

 

 隆太さんが立ち止る。

 その場所は道路の真ん中だったので、隆太さんは少し細い道……シャッターの前に私を引っ張っていった。


「酔いましたか? ホテルまで送りますよ」


 私は静かに首をふった。

 めっちゃ帰りたくない。

 今からあの味気ないビジネスホテルにひとりで帰るの?

 やっと私は『毎日同じ家に帰る幸せ』を自覚した。

 目の前の隆太さんの胸元の服を引っ張って


「一緒のお家に帰りたいです……、そしていつものソファーで飲みなおしたい……」


 と呟いた。

 隆太さんは「ああ……」と一瞬悲しそうな顔をして、私を優しく抱き寄せた。


「そういえば、別の家に帰ったことはないですね」

「……そうですよ、無いですよ、初めてですよ、やだ、淋しい」


 そう言って私は隆太さんにしがみついた。

 もう覚えてきている隆太さんのカタチ。

 でもこんなこと言っても困らせるだけだと知っている。

 だってお互いに会社が取ってくれたビジネスのシングルルームだ。

 どちらかの部屋には行けない。

 それに私も隆太さんも明日の朝が早い。

 どうしようもない……それだけは理解していた。

 だから私は、掴んでいた背中から手を離して、一歩後ろに足を引いた。


「……困らせてますね。明日の夜、いつもの家で待ってますね」


 そういって離れようとした身体を、隆太さんがそのまま後ろの店のシャッターに押し付けた。

 カシャン……と軽い音が響く。

 軽く打ち付けた頭を、隆太さんの大きな手が優しく包む。

 何度も優しく私の頭を撫でた。

 ああ、隆太さんの大きな手だ。

 力が抜けた腰を、隆太さんが反対側の手で引き寄せる。

 そしておでこを、私のおでこにトン……と当てて、目を優しく覗き込んだ。


 

「俺だって離れたくない」



 そう言って、確かめるようにゆっくりと顔を近づけてきた。

 鼻先にふわりと隆太さんの前髪が触れて、私を見る目が見えた。

 心臓が手で掴まれたように痛い。

 吐息を吐くとそれを吸い込むように、唇が近づいてきて、やさしく重ねられた。

 冷たくて、柔らかい隆太さんの唇。

 触れたか、触れていないか、分からないような優しさで唇を落とし、少し顔を離しては、私の目を覗き込む。


「大好きです、咲月さんのことが」

「……隆太さん」


 私が呟けば、言葉の優しさとは対照的に、腰を強く引き寄せた。

 大きな指が、私の髪の毛の中に入ってくる。

 ゾクリとして身体をよじらせれば、再び頭を強く引き寄せて、優しく唇を落としてくる。


「咲月さん、俺の大好きな咲月さん」


 私が痛くないように優しくシャッターから守りながら、でも強く、隆太さんは私を抱きしめていた。

 隆太さんが再び、私のおでこにコツンと頭を当ててくる。

 私は


「……やっとキスしてくれた」


 と呟いた。隆太さんは再び優しくキスを落として

「……遅くなりました」

 とほほ笑んだ。


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