第42話 やめないで

『ワラビちゃん、私太ったよね……』

『黒井さん、それはかなり前からです』

『え……どこら辺から……?』

『正直結婚された頃から、拡大ツールで横にだけ伸びてますよね』

『縦横比狂ってるの?! 人間としてアウトじゃない?!』

『あー、このカットすごく好きです、手を繋いで空にふわわ~~って』

『わかる! わかるけど!』


 今私は、ワラビちゃんと〇ウルの動く城を見ている。

 お互いにDVDを「いっせーのーで」で再生して語り合うのだ。

 これが叫んでもよい映画館のようで最高に楽しい。

 だけど、今日は内容が頭に入ってこない。


『見てわかるくらい太った?』

『体重計乗ってますか? やっぱりマメに乗らないと一気にいきますよ』

 

 仕事が忙しく毎日漫画書いている腐女子が、体重計になどマメに乗るはずがない。

 正直、まあちょっと……? と思っていたが、見ないふりをしてきた。


 ワラビちゃんは〇ウルを見ながらキャーキャー言っているが、私は正直それ所ではない。

 何なら作業開始してから、線の一本も引いてない。

 

 朝からずっと落ち着かないのだ。


 家にはかなり早く帰って来た。

 うちの会社は出張後、仕事が薄いなら直帰が許される。

 だから名古屋から直帰してきた。


 今日隆太さんと……と思ったら落ち着かなくて、とりあえずシーツを洗濯してマットレスも持ち上げて掃除機をかけた。

 そしてパソコン横に積み上げてあった漫画を片付けた。

 運んでも運んでも本が出てきたけど、とにかく書庫に投げ込んだ。

 次に服を片付け始めて、今日何を着ようか……と棚を漁った。

 そしたらシンプルなスカートが出てきた。これは頑張ってない女設定的には良いかなと思って履いてみたら、恐ろしくキツかった。

 というか、ほぼアウトだった。

 

 つまりかなり太ったようだ。


『でもビール飲まないとネーム書けないんだよね……』

『ネーム書いてる時の黒井さん、人間の最低ライン下回ってますよ、大丈夫ですか、あの姿滝本さんに見せて』


 酷い言われようだけど、その通りだ。


『お酒飲んだ時に成功体験すると、アル中になりやすいらしいですよ。やめましょ! 黒井さんが体調悪くしたら私も滝本さんも悲しいです』

『わーん、ワラビちゃーん。そうだね、炭酸で誤魔化すようにしてみる』


 ワラビちゃんが出かけるというので、二時間で通話は終了した。

 一気に部屋が静かになった。


 実は、落ち着かなくてワラビちゃんを呼び出したのは私だ。

 隆太さん曰く「帰るのは最短で18時」らしい。まだ16時だ。

 

 あと2時間もどうしたらいいのか分からない。

 腹筋でもするべきか。いや2時間で痩せないだろう。

 とにかく落ち着かない。


 お風呂は隆太さんが帰ってくる直前が良い匂いが残るから、あとで入る。

 でもお風呂に一緒に入るかもしれないし、カビでも取るか!


 久しぶりにカビ取りをしてお風呂掃除をして、部屋もキレイ。

 17時半になり、さっき隆太さんから『18時半くらいに家に着けそうです』とLineが入った。

 よく考えたらご飯は……?

 まあ冷凍庫に何かあると思うけど、唐揚げでも作ってたほうが良かったのでは……?

 今から山を下りて買いに行く……と時計を見たら17時40分。

 無理終了!

 私はお風呂に入った。ドキドキして落ち着かない!


 18時半をすぎても隆太さんが帰って来ない。

 何をしても集中できない。

 気が付いたら、ポツン……と音がした。雨がふってきたのだ。天気予報ではそんなこと言って無かったのに。

 隆太さん、傘持ってないのでは?

 私は傘を持ち、外に出た。予想より寒かったけど、駅までなら走れると思った。

 真っ暗な坂を下る。雨が強くなってきて、風も出てきた。

 寒い。

 半分くらい下ったところで、コンビニ傘をさして坂を登ってくる隆太さんが見えた。


「隆太さん!」

「咲月さん、そんな薄着で……!」


 隆太さんは慌てて私に駆け寄って自分のコートを脱いで私の肩に掛けた。

 ふわりと隆太さんの匂いと重さを感じる。

 温かい。

 私は一歩近づいて、手を握った。そして腕を絡ませて頬ずりをする。

 ああ、やっと隆太さんが帰って来た。


「おかえりなさい」

「ただいま。傘を持ってきてくれたんですね、ありがとうございます」


 隆太さんは自分の傘をたたみ、私の傘に入ってきた。

 すぐ近くに隆太さんがいるのに、何も話すことができない。

 私たちは速足で家に帰った。

 

 10月の雨は、気温をぐっと下げてくる。

 傘をたたんで玄関に入ると、温かくて落ち着いた。

 肌の表面は冷たいのに、身体の中は熱を帯びている。

 

「隆太さん、コートありがとうございました」


 脱ぎながら振り向くと、目の前に隆太さんがいた。


 いつもとは違う、まっすぐに私のすべてを見通すような強い視線に、心臓がドクンと大きく脈をうって、一気に息が苦しくなる。

 手が顔に伸びてきたので、ビクリとして目を閉じたら、隆太さんの指が私の頬を撫でた。

 氷みたいに冷たい……と思ったけど、私の頬も冷たくなっていた。

 目を開けると、優しい瞳で私の頬にふれる隆太さんがいた。

 両手で頬を包んで、私の頬を温める。

 隆太さんの指の温度と、私の頬の温度が馴染んだ頃、いつもより低く、小さな声で


「……寒いのに、出てきて」


 と言った。その言い方が、どうしようもなく優しくて、私は少し涙ぐんだ。


「……会いたかったんです」

「はい」

「部屋でずっと待ってました」

「はい」

「一日ドキドキして、部屋の掃除して、映画みてました」

「はい」

「ずっと、そわそわして、待ってました」

「はい」

「とっても会いたくて、待ってました」

「はい」

「時間になっても帰って来ないから」

「傘を買ってました」

「雨がふってきて」

「はい」

「隆太さんが帰ってこないから……」

「はい」


 話を聞きながら、隆太さんは私の手を引いて、寝室に入って行く。

 そして涙ぐむ私をベッドに座らせた。

 涙を大きな手で拭って、頬に優しく唇を落とす。

 隆太さんの唇が温かい。

 その体温に、私は抱きついた。


 ああ、安心する。


 隆太さんは、スーツの上着を脱いで、床に落とした。

 静かな部屋にトスン……と軽い音が響く。


 ワイシャツ一枚になった隆太さん。ものすごくドキドキする。私は顔が見れなくて、肩におでこをトン……と置いた。

 私の首の下、隆太さんがネクタイを緩めた。そして第一ボタンを取る。

 心臓の音が身体中に送られているように大きく聞こえる。


 ドキドキして、もう無理で、でも触れたくて。


 私は隆太さんの首筋に唇を触れさせた。

 隆太さんがピクン……と身体を動かして、深く息を吐く。

 そしてネクタイを取って、第二ボタン、第三ボタンと取った。

 露わになった肌に、私はゆっくり抱きついて背中に手を回す。


 温かい、良い匂い、すごく好き。


 隆太さんは私の背中に手を回して、ゆっくりと私をベッドに倒した。

 そして上からじっと私をみて


「咲月」


 と呼んだ。

 ずるい、こんな時だけ呼び捨てにするのは、どう考えてもズルい。

 呼び捨てにしたのに、声がいつもより甘くて、それもズルい。

 私は顔を隠してしまう。


 隆太さんは、前髪を動かして、おでこを出した。

 そこに柔らかい唇を落とす。


 そして顔を隠した指の上に、手の甲に、手首に。

 肘、二の腕、肩、そして鎖骨に唇で触れる。

 くすぐったくて私は手を動かして、隙間から見えた隆太さんを力なく睨む。

 ゆるくなった手をどかして、隆太さんは私の唇に触れた。


 いつも繋いでいる指先、太くて、大きな掌。

 私は手首をつかんで、軽く唇を触れさせた。


「……隆太」


 となんとか言ったが、結局そのあとに小さな声で「さん……」と付けてしまう。

 全然無理だ。

 隆太さんは目元だけで笑って、顔を近づけて耳元で小さな声を出した。

 

「……そろそろ、エッチな隆太になってもよろしいでしょうか」

「!……もう、かなり前からエッチな隆太だと思いますけど」

「そうかな、これからだけど」


 私が口を開こうとしたら、隆太さんは私の唇を塞いだ。

 それは今まで一番激しく、強く、甘く、逃げ場がなく、淫らな音と共に。

 膝が私の脚の間を割り、激しく抱き寄せた。

 恥ずかしくて、限界で、吐息が漏れる。


「やめましょうか?」

「……やめないで」


 私は隆太さんを求めて腕を広げた。

 離れたくない。


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