第38話 地獄と幸せ
『黒井さん……私もう頑張れないです……辛いんですこんなの……』
『ちょっと! 今ワラビちゃんに落ちられたら、本当に終わらなくなるから!!』
私は通話先のワラビちゃんを励ました。
今は月曜日の24時すぎ。
今日というか、昨日の月曜日が原稿の締め切りだけど、編集部にいる杏子が出社してくる火曜日の朝8時が本当の締め切りだ!
実質あと8時間ある。そして現時点で9ページ白い。
単純計算で1時間で1ページ仕上げても、明日徹夜で会社に行くことになる。
社会人として失格にもほどがある。
頼みの綱は私と同じくらい絵が書けて趣味も理解してくれて、金持ちだから常に暇なワラビちゃんなんだけど、夜中24時に更新されたアプリの漫画を読んで生きる活力を失っている。
つまりの所、推しキャラが死にそうなのだ。
『黒井さん、読みました?』
『読んだよ』
『ヤバいくないですか? フラグがバキバキに立ってますよ、1ページ読むごとに体調悪くなってスマホ投げてます』
私は仕上がったページをクラウドに保存する。
『23ページ目ペン入れ終わったから、ベタと髪の毛のトーンだけよろしく』
『聞いてますかああ??』
『聞いてる聞いてる』
これはかなりメンタルにきている。
上手に扱わないと延々と愚痴って作業しそうにない。
でも私だって腐女子、気持ちはよく分かる。
『私もさー、〇ニースターク死んだ時、襟元ベッチョベチョになるまで泣いたからね。二回目からタオル首元に巻いたもん。映画館は静かだから、鼻水かめないじゃん? だから3時間、涙も鼻水も流しっぱなし。顔がドロドロよ。6回見たら慣れるかと思ったら、最後のほうは冒頭のマーベルロゴにいる〇ニースタークで泣いてた、だから分かるよ!!』
『ていうか、私の推しは死んでませんけど』
間違えた。
死ぬこと前提で話をしてしまった。
『〇ンフィニティ・ウォーでトムホくんサラサラなった時、号泣して吐きそうになったもん。わかるよ、ワラビちゃんの気持ち。ていうか今見直しても〇ニースタークの手。トスン……ってきゃあああ居ないいいい!!』
『だから私の推しはまだ死んでないんですけど』
『違うよ。だからさ、死んでも生き返るかもしれないじゃん』
『死ぬこと前提で慰めないでくださいよ!!』
ワラビちゃんがキレている。
私は人を慰めつつ動かすなんて器用なことは出来ない。
よし、話題を変えよう。
『そういえば、この前隆太さんとちょっと良い感じになったんだよね』
『くううう……最近黒井さんの惚気聞くのが気持ちよくなってきましたよ。ドMの始まりです。無印の頑張ってない女スタイルどうでしたか?』
『ごめん、あっさりモンベルに逆戻りしてるわ。今もモンベルだし』
『設定生かされず! クソアニメじゃないですか』
『だって隆太さん、私のこと大好きだって言うし~服は頑張らなくても~~~~』
『はい、23ページ終わりましたー! 24ページまだですかー!』
『服のトーン決めたのでお願いしまーす』
私たちはギャーギャー言いながら作業を進めた。
正直、先日からの隆太さんの落ち込み方には驚いた。
好きだと伝えているし、結婚してるし、もっとグイグイきてくれてもオッケーなんだけど、必要以上に怯えられている気がする。
『ねえ、私って、怖い?』
『あー、黒井さんってめっちゃ合理主義者ですよね。無駄が嫌い、腐女子特有の学級会も嫌い、面倒な人が嫌いですよね。わりとサークルでも黒井さんに怯えてる人居ますよ』
『マジで?』
『マジっすよ。打ち切られて泣いてた子に「感情の無駄使いですよ、また書くしかないでしょう」って鬼みたいなこと言ってましたし』
『ひっど!! でもまあ、そういうことは言うかも……今考えると優しくはないね』
たしかに隆太さんの前でも「恋愛なんて感情の無駄使い」的なことは言ったかもしれないし、なにより態度に出てるかもしれない。
でも隆太さんを好きになって思ったんだけど、感情の無駄使いも、好きな人相手なら悪くない。
というか、自然とそうなる。
私は今まで自分本位で付き合ってきたから、こういう感覚は初めてかも知れない。
好き勝手に動いて隆太さんが悲しむのは辛い。
……わりと好きなんだなあ、私。
『もっとボンヤリした感じ出していくわ』
『この前私にくれた義勇さんのハーレー石油王、最高でしたよ。今までの黒井さんにないアホらしさ。あの路線で行きましょう』
『あれ2000ファボいって笑ったわ。なんであれが』
『良かったですよ、背景の原油爆発が意味不明で』
『よし早く原稿終わらせて落書きしよ』
『いいっすねー!!』
私たちは午前4時に作業を終えて、くだらない落書きをして眠ることにした。
起床まであと3時間……。全く起きられる気がしなかった。
でも明日は千葉の工場に行かなきゃいけないのだ。
しかも佐々木さんも一緒だ。つまり仲介役。とても疲れることは間違いない。
みんなと電車移動だから寝るのも社会人としてアウトだろう。でももうとにかく寝るしかない。
「よし!」
私は布団にもぐりこみ、2秒で寝た。
特技である。
……遠くから隆太さんの声がする。
私、好きになってから隆太さんの声が大好きになった。
少年みたいな声……、いつも優しい。
もっと近くにきてほしい。そしてまた名前を呼んでほしい。
肩に頭が乗ってね「俺の咲月」って言ってくれた時、もうすごくドキドキしたの。
私、自分が思ってるより、隆太さんのこと好きなんだなーって最近思う。
「……それは、すごく、嬉しいんですけど、えっと……あの……今は離して頂けると、嬉しいです」
「ふえ?」
起きると目の前に隆太さんの顔があった。
へっ?!
身体を離してみると、私のベッドに隆太さんが、もう出勤するスーツ姿で転がっている。
というか、正確には私に捕獲されている。
なにが起こったのか理解できない……。
どうして私のベッドに隆太さんが?!
「あの、お節介かと思ったのですが、夜中まで作業していたら、朝起きられないのでは……と思い、かなり前から声をかけていたのですがベッドに引きずりこまれてしまい……」
「すいません! それはそれで大問題だけど……今何時ですか?!」
「あと20分で出ないと間に合わないですね」
「なるほど地獄!!」
私は跳ね起きた。
隆太さんが私の布団から出て言う。
「自転車で駅までいくなら30分あります」
「10分も追加してくれるなんて、自転車神ですね……」
「あと29分です」
「はい!!」
私は速攻お風呂場に向かってシャワーを浴びて寝ぐせを直し着替えてメイクして飛び出してきた。
すると玄関で隆太さんがゴム紐のようなものを持って待っていた。
「それは?」
「パンツの裾が巻き込まれないように縛らないと破れますから。いいですか?」
そう言って私のパンツスーツの裾を縛ってくれた。
こういうものがあるのか。全然知らなかった。
外に出ると自転車はもう出してあった。
「いきますよ」
「はい!」
私と隆太さんは自転車に跨って坂を下った。
きゃあああ目が覚める!
坂をおりて、いつも自転車を止めている場所を教えて貰い、隣に停めた。
隆太さんは私を見てほほ笑み、前髪に手を伸ばして、すすす……と直してくれた。
「おでこが全開になってますよ」
「……駅側に自転車で下りたのは初めてです。あ、靴替えます」
私は鞄に入れてきた3cmヒールを出した。
いつも鞄にはいっているものだ。
隆太さんが肩を貸してくれる。
「ホームセンター側より坂がキツイですよね。かなり速度が出ます」
「隆太さんの後ろを付いて行ったので、怖くなかったですよ」
私は靴を履き替えて隆太さんの手を握った。
隆太さんは優しく微笑んで、私の手を握り返してくれた。
「電車に間に合いそうです」
「はい!」
私たちは手を繋いで駅に向かった。
風で冷えた指先が、繋いだ手からじんわりと温かくなっていく。
「今日は俺も千葉にいくので、佐々木さんの橋渡し、すいませんがよろしくお願いします」
「まかせてください!」
私は手を繋いだまま、隆太さんの腕にしがみついた。
ダメな奥さんだけど、お仕事頑張ります!
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