第37話 俺の箱、そして言葉
「長谷川さん、いつもの漢方、100年分買います」
「滝本お前、長生きするんだなー」
あっははは~!
と笑われたが、笑いごとではない。
あの漢方が無いと、あんな事になってしまうのか。
何をしたのか、ほんのりと覚えている。
鎖骨を撫でまわしたこと、首筋に吸い付いたこと……死にたい。
赤子が突然100m走らないように、やはり物事には順番というものがある。
言うなれば昨日の俺は、赤子で産まれた結婚生活、突然厨二病暗黒地帯に飛びこんだようなものだ。
謝りたい、世界の赤子に謝りたい。
なにより咲月さんに謝りたい。
イヤじゃないって言ってたけど、本当だろうか。
はあ……失敗した。
「滝本、それ以上高速で首をふったら首を痛めるぞ」
「長谷川さん、ヤクの注文は終わりましたか」
「ヤクって言うな。とりあえず夕飯行こう」
俺は長谷川さんに引きずられて定食屋に入った。
先日のダメージが大きすぎて、ずっとお腹が空いていない。
でも家に帰るのも緊張するので、上司と食事も良いか……と思った。
今日咲月さんは有給でお休みを取り、家で作業している。
BL漫画の締め切りは今夜で、青白い顔をして「ネームが終ったら9割終わりとか何言ってたんですかね……」とフラフラ歩いていた。
また何も食べて無さそうだったので、おにぎりと卵焼き、それにウインナーをタコさんにして出した。
咲月さんは「タコさん可愛い」と朝から完食してくれた。
笑っていたから、嫌われてないと思うんだけど……不安だ。
大切な人が出来ると、気を使いすぎてしまう。
昔からそうだ。
小さい頃に父さんが死んで、母さんと二人っきりになった。
全部ひとりでする必要があり、それを大変に感じていると母さんに思わせたくなかった。
だって母さんは俺を必死に育ててくれているのが分かっていたから負担になりたくなかった。
一人で食事を済ませて、一人で生活してきた。
でも今の俺は「一人」の満足じゃ足りない。
大好きな咲月さんにほほ笑んでほしいし、俺と一緒にて楽しいと思ってほしい。
ミスをしたくない。
自分を箱に収めておかないと、落ち着かない。
「長谷川さん、ヤクをください……」
「いらっしゃいませ……?」
「だからやめろって。俺が売人みたいだろ。カツ煮定食でいいか」
「……なんでもいいです」
長谷川さんはスマホを取り出して画面をみて「やべ、外で飯食うLineしてないわ。また怒られる……」と呟いた。
そして「滝本は相沢さんに外で食うこと知らせなくていいのか?」とスマホで打ちながら言った。
「うちはタイミングがあった時のみにしてます」
「それでいいよなー。俺たち営業なんだから突然の飲み会は仕事の一部なのになー」
話し合っても「作る」って譲らないし、だったら全部作らなくて良いって言うとキレるんだよ……苦労も分かるけど、亭主の仕事応援してほしいよなあ。
長谷川さんはため息をついた。
そういえば漢方貰いたい一心で、長谷川さんの不倫話を忘れていた。
結局岩崎さんと婚姻関係は続いているようだ。
「滝本が欲しがってる漢方さ、実は中味、ただの栄養剤なんだよ。特殊なものじゃない。薬局に同じような成分の薬売ってるんだ」
「えっ?! そうなんですか」
驚いた。でもそんなはずはない。
俺はあの薬を飲むと、飲まないのとで、全然違うのだ。
「俺が昔デザ部の遊佐と結婚してたことは知ってるか?」
「はい」
「原因がないのに子供が出来なくてなー。その頃始めたんだ。結局遊佐とは色々あって離婚して、岩崎と再婚して子供はできたんだけど。ちなみに俺と滝本が飲んでるの、同じ漢方なんだぞ。ちなみに清川も飲んでる」
「え……清川が?」
何か抱えているのだろうか。
人は見かけによらない。まあ俺が言うことではない。
「滝本は、入社した時からあだ名が鉄仮面で、まあそれが地顔だと思ってたんだけど」
「はい……それは清川にも言われてます」
せめてにこやかな笑顔の仮面にしろと1000回くらい言われた。
無理な話なのだが。
長谷川さんは続ける。
「でもこの前、相沢さんが営業部に来た時、みんな相沢さんに夢中になってたけど、俺は滝本の表情に感動したんだよ」
「え……?」
隆太さん! と咲月さんが言ってくれた時のことだろう。
俺あの時、ただ嬉しくて何も考えて無かったけど……。
「ぷわあああ~~って花が咲いたみたいな顔しててさ、俺、めっちゃ笑ったよ、誰だよこれって」
「無自覚です」
「嬉しかったよ、こんな顔できるくらい幸せなんだなって」
「はい……そうですね、最近は、はい」
「滝本が家でも漢方飲んで何を取り繕いたいのか知らないけど、相沢さん相手なら大丈夫なんじゃね? お前ら二人とも良い顔になったよ」
長谷川さんは「まあ安心するなら持ってけば?」と数個の漢方をくれた。
帰りの電車の中で俺は考える。
俺は咲月さんに対して、何を取り繕いたいのか……それはたった一つ、分かっている。
「ただいま」
「おかえりなさい。仕上げあと10ページ……地獄の始まりですよー!」
咲月さんはゼリー飲料片手に玄関に顔を出してくれた。
その笑顔を見て、俺は身体の力がストンと抜けるのが分かった。
「咲月さん、お忙しいと思うのですが、5分だけ俺に時間をくれませんか」
「はい? いいですよ」
咲月さんは王の椅子に俺を座らせた。
そしてグイグイと横に座り込んできた。
せ……狭い……。
でもこの椅子、もともと1.5人掛けのサイズがあるので、密着すればギリギリ座れるサイズだ。
「昨日はすいませんでした。俺、いつもお酒飲むときに飲む漢方を、昨日は飲んで無かったんです」
「体調が悪かったんじゃないんですね、良かったです」
やっぱり長谷川さんの漢方すごいなー。それ飲んだら私も一週間徹夜出来るかなーと言いながら俺の方を見て
「体調が悪いのかと心配しました」と、ゆっくりと頭を撫でてくれた。
俺はその手を取って、握り、目を見た。
「咲月さんに嫌われたくないんです、驚くくらい、怖い。咲月さんがイヤがることを一つもしたくない」
俺は素直に口にした。
気持ちが通じた夫婦になったら、なおさら怖くなっていた。
二人でいる幸せを知ってしまったら、一人で生きていく自信まで無くしてしまった。
咲月さんは斜め上を見て言った。
「それは絶対嫌いにならないとは言い切れないですね、未来はわかりません」
キョトンと言い切る咲月さんの手を俺は強く握る。
当たり前の言葉だ。
手に職もあって、友達もいて、1人で生きていける人、それが咲月さんだ。
俺なんていなくても大丈夫な人なんだ。
咲月さんは繋がっている手を、反対側の手で優しく包み
「言葉は表面上のものです。それは時にトゲトゲしててケンカの元になるけど、私は隆太さんの基本を信頼したので、何が出てきても大丈夫ですよ」
そして繋がった手を上から優しく撫でた。
「今は1人でいるより、2人でいる方が楽しいから協力して生きてみましょう。関係性が変化してお互いにイヤな所が出てきたら、一緒に考えましょう。それはきっと線を引く場所が違うんです。そうやって毎日を積み重ねたら、100年くらいたってますよ、あれ長生きしすぎですかねー、楽しみですねー」
なんでこの人はこんなに……。
気持ちが溢れだして息ができない。
出てきた涙を押し殺すように、俺は咲月さんを抱き寄せた。
咲月さんは「わーい」と言って抱き着いてモゴモゴと顔を上げて
「……じゃあ、現時点で困ってることを言いますね?」
と胸元で言った。
え……俺はドキリとした。
もう何か俺といて困ることが……?
「触り方とかエッチすぎるので、エッチな隆太さんになる時は、エッチな隆太になると宣言してください」
は?……なんだよそれ、めっちゃ可愛い……もう頭痛い。
俺は声高らかに宣言した。
「いまからエッチな隆太になります」
「今日は締め切りですー
咲月さんを捕まえようとしたら、スルスルと逃げられた。
俺はリビングの床に大の字で転がった。
奥のパソコンルームから咲月さんの笑い声が聞こえる。
俺は転がったまま、涙を瞬きで誤魔化した。
二階に戻り俺は漢方を引き出しにしまった。
きっともう、大丈夫。
俺は大丈夫だ。
そしてもう一度、少しだけ泣いた。
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