第13話 入籍の日に

 電話がなってるわ……。

 私は眠い目を無理矢理開き、充電したまま転がっているスマホを引き寄せた。


「はい」

「さっちゃん。まだ寝てたの? 日曜だからってこんな時間まで寝てたら生活サイクルめちゃくちゃになるよ。滝本さんに朝ごはんは作ったの?」


 スマホから流れる声を聞いて私は頭を枕に打ちつけた。

 うへえ……お母さんだーー。

 よく考えたら日曜日の朝に電話してくるなんてお母さんしか居ない。

 出なきゃ良かった! 後悔しても遅い。時が過ぎ去るのを待つのみだ。

 ここで変なことを言うと説教はどんどん伸びる。

 お母さんはマシンガンのように話し続ける。


「結婚前提ってことは、ちゃんとさっちゃんが滝本さんの面倒を見ないと捨てられちゃうわよ。28才の女なんて見向きもされないんだからね。その前にあんたちゃんとご飯とか作れるの? こっちに居た時は何もしなかったじゃない。そんな状態で奥さんになるなんて、滝本さんに悪いわねえ。私の教育が悪かったのね……」


 お母さんに聞こえないようにため息をつく。

 これが恐ろしいことに『お母さんの言葉じゃない』のだ。

 9割兄からの洗脳により発せられてる。

 『咲月はちゃんと飯作ってんのかな、アイツそんなこと出来ないだろ』みたいなことを兄が言ってお母さんが『そうね、言っとくわ』……的な流れなのだ。

 お母さんの言葉を否定する=溺愛する兄を否定する=気持ちがファイヤー。

 黙って聞くのが正解だ。


「この前50才くらいの男の人が20代のアイドルと結婚したでしょ? 男はみ~んな若い女が好きなんだって弘毅こうきが言うのよ」


 それは弘毅あにがそうだからだろぉぉ~~~!!!

 気持ち悪くて眩暈がする。

 あの人がこうだから、その人もそうよ……という思考が私は一番嫌いだ。

 でも丁度良かった。今日私もお母さんに電話しようと思ってて……口を開いたが、お母さんは私に時間を与えない。

 

「逃げられないうちに捕まえちゃいなさいよ。あ、弘毅。今日の予約の方で……」

 

 電話はプツリと切れた。

 言葉を発しようとした私の口は開いたまま、行き場を失う。

 なんだったのだ……朝から本当に……なんだったのだ。

 

 実は今日入籍する日で、滝本さんのご両親に保証人になってもらうのだ。

 だから入籍終わったら電話するね……と言おうと思ったのに。


「やっぱ住んでる星が違うわ」


 私はスマホを放り投げてベッドに転がった。

 滝本さんのお母様とはLineを交換していて、今日の約束をした時も「楽しみにしてます」と絵里香ちゃんと三人で写った動画を添付してくれた。

 ああ、私は滝本さんの惑星に住みたい。

 相沢惑星は本当にヤバい。重力狂ってる。

 


 私は会社用の服装に着替えた。挨拶用に服を買おうかと思ったが、永遠に着ないので止めた。

 滝本さんも会社用のスーツで二階から下りてきた。ですよね、一番無難ですよね。

 今日はカバンが小さいので運動靴を入れるスペースがなく、最初からヒールで家を出た。

 やはり靴の中で足が滑る、この坂は本当にヤバい! なんとか歩いていると滝本さんが「あの……」と小さな声で話しかけてきた。

「相沢さんのご両親にお会いしてない状態で結婚しても良いのでしょうか」

 と心配そうに言った。私はため息をついて気持ちを落ち着かせて

「そうですね、今日婚姻届を出したら、連絡しますか」

 と言った。私の顔を見て滝本さんは

「……そんな全力で眉間に皺がよっている相沢さん、初めて見ました」

 と苦笑した。

 あれれ、普通の顔してたつもりなんだけど、朝の電話がキツすぎた。

 実家出て10年、大人になったつもりだけど、やはり苦手な物は苦手。それは仕方ないことだ。



「相沢さん」

「お母様、お久しぶりです」


 お母様の後ろには再婚相手の橘さんが見える。私が会釈すると、目を細めてほほ笑んでくれた。めっちゃダンディー……ていうか、ダブルのスーツが似合いすぎている。

 その後ろには絵里香ちゃんがニコニコ小さく手を振っている。

 実はお互いにTwitterをフォローしあったので、今日の事は話していた。

 というか、絵里香ちゃんが来られそうなイベント&締め切りがない日にしたのだ。


 食事をしながら挨拶を済ませて、保証人の欄に記入をお願いした。

 お母様は「良かった……」と涙ぐんでらして『結婚というステータス』を求めてここにいる私は心が少しチクリとしたが、まあwinwinだからOK!

 来月にはお母様と橘さんも入籍されるそうだ。良かった。


「滝本さんと相沢さん、結婚式をしないんですか!」

 

 絵里香ちゃんは驚いてたけど、私は結婚式は金の無駄だと思っている。

 幸せになる所を見せるというなら、今見てほしい。そして1年後5年後を見てほしい。

 10年結婚続けられたら、お祝いに美味しいご飯でも食べるのは良いと思う。

 最初から超特大の尺玉上げる花火大会は盛り上がらない。


 一般的な意見じゃないことは知ってるからわざわざ言わないけどね。


「人前に出るのが、それほど得意ではないんです」

 

 これは本音だし、滝本さんも同意見だ。

 でも写真館で写真は撮るつもりです……とは答えた。

 これは双方の親に対する証明写真みたいなものだ。あって困るようなものではない。

 一枚くらいコスプレして撮るのはやぶさかでない。

 ウエディングドレスは漫画の参考資料にもなるからね!


 私たちはお店の外で別れて、そのまま市役所に向かい、婚姻届を出した。

 少し待てば住民票も出せるというので、私は待つことにした。

 会社に提出しなければならないし、免許変更もあるからだ。

 数十分後、住民票が出来て、それを受け取った。

 二人してそれを覗き込む。

 名前は『滝本咲月』になっていた。

 

「おお……変わりましたね」

「すごいですね、本当に結婚しましたね」


 私たちはそれを覗き込んで二人で妙に納得してしまった。

 そして何となくお互いに頭を下げあって「よろしくお願いします」と挨拶しあった。

 よく分からないが、とても私たちらしい。


「相沢さん……慣れないので、しばらく、この呼び方でよろしいでしょうか」

 と滝本さんは遠慮がちに確認してくれたので、私は

「私も滝本さんは、滝本さんとお呼びします」

 と頷いた。

「では……相沢さんのご両親にご報告したいのですが……」

 と言われて大きなため息をついてしまった。電話しなくても伝書鳩とか飛ばせば良くないですかねー……。素で思う。

 Lineで一報……と滝本さんをチラリと見たら、丁寧に首を振られた。イヤダー!

 私は覚悟を決めて、電話をかけた。今は昼過ぎだから、チェックイン前の忙しい時間だろ? 出なくてもいいぞ母。


「さっちゃん? 電話してくるなんて珍しいわね」


 はああ~~~出ちゃったか~~。


「えっと入籍したので、その報告です」

 では~~、と切ろうと思ったが、目の前の滝本さんが姿勢を正しているので、代わらないわけに行かなそうで、渋々スマホを渡した。

「初めまして。滝本隆太と申します」

「あらあ~~滝本さん、お電話ありがとうございます! もう本当に不甲斐ない情けない何もできない娘で、もう貰って頂けるだけでありがたいんですよ。もう役に立たないな~と思ったらすぐに私に言ってくださいね、再教育しますから。もう本当に人の奥様になれるような器じゃないです、咲月は、もう情けなくて!」

 はああああ~~~始まった~~それに声が大きすぎて全部聞こえる~~。

 滝本さんは静かに聞いている。

「子供の頃から何もできなくて、すべて弘毅に劣ってて、私も色々したんですけどね、もう東京に逃げて行って、何してるのか分からなくて、面倒ばかりで」

「あの」

 滝本さんが声を出して、お母さんの言葉をさえぎった。

 あっ……先に言っておけばよかった、お母さんの言葉を遮ると100倍になって返ってくるんです……!

 滝本さんは



「他の誰かと間違えてませんか……?」



 と言った。

 ぶはっ……!! 私は思わず横で噴き出した。

「え?! 何のことですか、相沢咲月の話をしてますよ!!」

 お母さんのターボエンジンが炸裂する。滝本さんは静かな声で


「申し訳ありません、俺が知っている相沢さんと違う方のお話を聞いているようで、確認させて頂きました」


 と言った。

 お母さんは「ならいいですけど!!」と電話をガチャ切りした。

「ちょっと、滝本さん、間違えてるはずないじゃないですか、あれが私のお母さんですよ」

 私は笑いすぎて目元を抑えて言った。

 滝本さんはスマホの画面をハンカチで拭いて、私に返却しつつ




「知ってます。我慢できなくて言ってしまいました。お母様の気分を損ねてしまったかも知れませんね。でも。聞いていて気分のいい物では無かったので」



 とほほ笑んだ。

 ええ……? 分かってて言ったの?

 お母さんは間違いなく電話の向こうでファイヤーしてるけど、どこかスッキリしていた。

 こっちにいる人が、こっちに居た私を評価してくれた。

 私は手を差し出した。そして

「ありがとうございました、スッキリしました」

 と言った。滝本さんはハンカチで手を軽く拭いて

「これからよろしくお願いします」

 と手を握り返してくれた。


 温かくて大きな手。

 安心して、今日はちょっといい地ビール買って帰ろうと心に決めた。

 そしてもし私が起きている間に滝本さんがライブから帰ってきたら、一緒に飲もう。

 そう思った。

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