第2話 そうですね、結婚しましょう(滝本視点)
「いつから私が同人書いてると知っていたんですか……?」
近所のファミレスで相沢さんはアイスコーヒーを一口飲んだ。
その目は完全に怯えている。
こんな表情もできるのか。
俺、
「黒井さんは会社でどんな感じですか?」
ワラビさんと名乗った女の子も一緒に店に来ていた。
初めて接触するし警戒されて当たり前なので、それに文句はない。
俺は
「締めきりを必ず守ってくれる素晴らしいデザイナーさんです」
と答えた。黒井さん=相沢さんが「えへへ」と嬉しそうにほほ笑んだのと、ワラビさんが爆笑するタイミングは同時だった。
「黒井さん、仕事だと締め切り守るんだ、あははは!!」
「ワラビちゃ~~ん?!」
相沢さんがワラビさんを睨む。こんな表情もするのか。俺はまた思う。
相沢咲月さんは、うちの会社では『美人・クール・仕事は完璧』で有名な人だ。
だからこうして近くでくるくる変わる表情を見ていると楽しくて仕方ない。
まあ俺も会社ではクールキャラなので、今は表情を崩さないように気をつけている。
「会社では完璧にしてますよ……ね?」
相沢さんが俺のほうを見て言うので、静かに頷いた。
「じゃあ何でオタバレしちゃったんですか?」
ワラビさんは頼んだチョコパフェを食べながら言った。
相沢さんも身を乗り出して
「私、会社でミスしてないと思うんですけど……」
と眉をひそめた。そうだ、相沢さんは会社で何一つミスをしていない。
ただミスをしたのは、コミケの会場で、だ。
「あの、iPadカバー……うちの会社の試作品ですよね」
「え?」
相沢さんは、かばんから大きめのiPadを取り出してひっくり返し「あ」と一言いった。
そこにはうちの社名と共に『AIZAWA』とテプラで名前が大きく貼ってある。
「黒井さん、めっちゃ書いてありますよ、気にしたこと無かったですけど、めっちゃ書いてありますよ!」
ワラビさんは爆笑した。
「これ……表面に紙とペンが挟めて便利なんです……」
相沢さんは茫然としながら言った。
「いやいや、なんでiPadあるのに紙とペンが必要なんですか、ログインして書きましょうよ」
ワラビさんは素でつっこむ。
「やはりそう言われる方が多くて商品化はしなかった。だから試作品が社内に数個しかないはずなんです」
俺は説明した。
「アップルペンシルとボールペン、二か所さしてある!」
ワラビさんは笑い続けているが、相沢さんは少し眉をよせて不満げな表情で
「これ、すごく便利なんです。ログインしてアプリ立ち上げてる間に頭から消えちゃう絵とか、言葉とか、ありますよね」
「無いですよ~~」
ワラビさんが高速でツッコむ。あ~~る~~の~~~! と相沢さんは挟んでいた紙を見せてくれた。
そこには美しい絵と、走り書きで解読は難しいが、色々な言葉が転がっていた。
相沢さんは作家さんだから、きっと俺が想像するより脳の回転が速いのだろう。だから立ち上げる時間さえ惜しいのだ。
それに俺は嬉しかったんだ。
このiPadカバーを発案したのは俺で、みんな爆笑したのに、相沢さんだけが「すごくいいと思います」って言ってくれたから。
それはお世辞だと思っていたが、名前までテプラで貼って今も使ってくれてるなんて、正直感動的だ。
「俺が相沢さんを初めてコミケ会場で見たのは去年の冬コミです」
「え……?」
相沢さんは落ち着かないのか、手元の紙に絵を書き始めていたが、一瞬で顔を上げて青ざめる。
「あの……伝説の……?」
ワラビさんが目を大きく開いて言う。伝説……というか
「相沢さんは顔にiPadカバーを広げて乗せ、椅子を並べて熟睡してました」
「ぎゃはははは!!」
ワラビさんが爆笑する。相沢さんは頭を抱えた。そして弁明するように
「前日入稿を手伝っていたんです、そしたら突然フリーズして……本当に大変だったんです」
「いえ、その顔に乗っていたiPadで相沢さんを認識したので」
ああ……そうですか……、相沢さんは深くため息をついた。
ワラビさんはグイと身を乗り出して口を開いた。
「え? じゃあずっと前から知ってて、でも会社では一言もバラさず、半年近く待って、今日プロポーズですか、おめでとうございます!」
「いやいや……バラさず秘密にしててくれたのは本当だけど、どうして一足飛びにプロポーズ?」
相沢さんが高速でつっこむ。
俺はそれを聞いてコホンと咳をして背筋を伸ばした。
「俺も事情があって、なるべく早く結婚したいんです。表向き真面目な会社員なので告白されるけど……ボカロPしてることとか、ドルオタな事は言えなくて断ってる」
「わかります、言えないですよね」
相沢さんが目を閉じて頷く。
「ひとり暮らし歴が長くて、一人で生活できるのに、誰かと暮らすことに意味が見いだせない」
「超わかります。え? 何年ひとり暮らししてるんですか?」
相沢さんが身を乗り出してくる。
「高校出てすぐなので12年です」
「私も10年です。全部出来ますよね、分かります」
会社では遠くから見ていた相沢さんが目を輝かせて自分のことを語ってくれる状況が、実はすごく嬉しいけど、言葉を整えて選ぶ。
悟られないように会社にいるような冷静な顔を作って続ける。
「会社でしっかり仕事してて、趣味を大切にしてて、自己が確立している相沢さんなら、シェアハウスするみたいな結婚ができるんじゃないかと思って」
「シェアハウスみたいな結婚……!」
相沢さんの目がキランと輝いた。そしてスッ……と右手を出してきた。
「私と結婚しましょう、滝本さん。同僚でオタク仲間でシェアハウス婚。一人で生きられるからこそ、二人で生きてみましょう」
……!!
俺は相沢さんが言った言葉にハッとした。
一人で生きられるからこそ、二人で。
俺はまさにそう言いたかったんだ。自分の中に言葉が無かっただけで。
目の前にあるのは細くて柔らかい、ちゃんと女の人の手で一瞬触れることに緊張したが、相沢さんのほうからキュッと握ってくれた。
心の奥から安堵と共に声が出た。
「よろしくお願いします」
俺たちの繋がれた手の下で、ワラビさんが「シェアハウス婚……? なにそれ……ただの同居人と何が違うんですか……?」と呟いている。
相沢さんは椅子に座りなおしてワラビさんに向かって言った。
「結婚してる所が違うじゃない」
えええ~~~? 違いますか? それ~~とワラビさんは叫んでいるが、俺はとにかく交渉が成立したことに安堵していた。
だって俺はiPadカバーをバカにしないで受け入れてくれた時から、ひそかに相沢さんが好きだったんだ。
会社でもこっそり見ていたし、もちろんTwitterもフォローして見てて、今日のスペースも確認済。
こっそり来てみたら「偽装結婚したい」なんて言ってるから、思わず一歩前に出てしまった。
上手く話を運べて良かった。
冷静な表情をしているけど、俺の手は机の下で震えている。
相沢さんにとって俺はただのシェアハウス婚する相手で、恋愛感情なんて全くないと分かっていても、俺はなんでもいい。
俺はずっと、近づくタイミングを狙っていたんだ。
だから本当は踊り出したいほど嬉しい。
眉毛ひとつ動かさずにほほ笑んでいるけど、それくらい嬉しい。
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