第3話 我が家へようこそ

 私が一瞬で滝本さんを受け入れたのには理由がある。


 数年前、研修を終えた新人の女の子が妊娠して会社を辞めた。

 入社して二か月で? 会社は騒然となったけど、滝本さんは冷静だった。

「おめでとうございます。こういう事はタイミングですよね」

 そして彼女を出産後フリーランスとして再雇用、今じゃ完全な戦力になっている。

 なにより出産して一度やめても、戻って来られる場所なのだと他の女性社員が思えたことも大きい。

 

 その場の感情に流されないで、冷静に実力や未来を見て、得を取れる人なんだなーと当時の私は思ったのだ。

 そして何より「いいな」と思ったのが、一人暮らし歴12年ということだ。

 長くなりすぎると他人は受け付けないし、それより短いと感覚に足りない。

 会社での冷静な滝本さんと、ちゃんと生活してる滝本さん。

 

 そんな人、偽装結婚というか、シェアハウスするのに最適じゃない?


 と一瞬で打算が働いた。 

 もしお互いに無理だと思ったら、バツイチになればいいだけ。

 離婚が多い昨今、それは変じゃない。

 完全に未婚だと「良い人居ないの? 結婚も良いものよ」って延々言われるけど


『一度結婚して離婚すれば、してみたけどダメだった証明になる!!』


 結婚してみたけど、向いて無かったんですよ~って言い訳も可能。

 やっぱり結婚は人生最大の免罪符だわ。

 鼻歌歌いながら掃除をしていると、玄関がカラカラと開いて大学時代の親友、町田杏子まちだあんずが転がり込んできた。



「もう……無理……ほんと……足が痛い……疲れた……」

 

 そして、はああ~~と靴を脱ぎ捨てて、廊下に転がった。

 予定時刻より30分以上遅刻。やっときたか。

 私は台所に行って冷たいお茶を持ってきた。

 杏子はお茶を一気に飲みプハ―と息を吐いた。


「はあ~~、落ち着いた。さっちゃん、久しぶり。いやあ、前に来た時の事、忘れてた。こんな辛かったっけ」

「久しぶり~。てか坂道は変わらないから、変わったとしたら杏子の体力じゃない?」

「間違いない、体力は落ちた。でもこの坂やっぱエグいよ~~」


 ああ~~と再び杏子は廊下に転がった。

 いつも来ないのに、今日はなぜか行く! と連絡をしてきたけれど、やはりこの状態。

 でも仕方ないのだ。

 うちに来る人が倒れこむのには理由がある。



 私が住む家は、勾配26%の坂を2キロ登り続けた山の頂上にある。


 

 元々親戚の持ち物なのだが『もう無理!』と、その人は都内のマンションに引っ越した。

 そして、広すぎる庭と家のメンテナンス&固定資産税を払うことを条件に貸してくれている。

 18才で大学に行くために上京してから10年、ずっとここに一人で住んでいる。


「大学の時もさあ、一軒家にひとりで住んでるっていうから騒ぎに行こうと思ったのに、着いた時点で疲れて酒も飲めない」

「坂の下のコンビニで6缶入りのビール買うからでしょ」

 私が苦笑すると

「飲みたいじゃん、飲もうと思うじゃん」

 と廊下に転がったままの杏子は嘆いた。

 それはそれで良かったのだ。学校近くの部屋を借りていた人たちは、みんな勝手にたまり場にされて迷惑そうだったから。

 私の家は「いつ来ても良いよ?」と言ったのに、最初に坂を味わうと、もう皆来ない。

 急斜面すぎて、道路にはすべて滑り止めの〇が掘られている。

 

「だから宅急便で送ろうかって言ったのに。重いよ?」

 私は大掃除で出た古い同人誌や本を渡した。杏子は中を見て

「おおお……この作家の同人誌はめっちゃ貴重だよ……それにこの表紙! もう絶版だから!」

 杏子は出版社に勤めているので、珍しい本を集めるのが大好きなのだ。


 写メって見せたら取りに行く! と言ったのは良いけれど、この疲れ具合で持って帰れるのだろうか。


「いやあ、結婚なんて一生無理って言ってたさっちゃんが同居するっていうから、お祝い持ってきたのさ」

 杏子は小さな包みを私に渡した。

 開けて見るとそれはネイルオイルだった。

「こんなオシャレなもの、使えないよ……すごく良い匂い……」

 私はクン……と香りを嗅いだ。すごく上品で優しい香りだ。

 杏子は自分の爪をツンツンと触りながら

「担当してる漫画家さんが、ペンタブでへこんだ爪が一晩でキレイになるって」

 と言った。

「今日から使うわ」

 私は大きく頷いた。

 漫画はオールデジタルで書いてるんだけど、ペンタブを強く握りすぎて爪がへこんでいる。まあ仕方ないか……と思ってたけど、効くならそれは良い。

 私はさっそく爪に塗りながらお礼を言った。

「んで、相手はどんな人なの?」

 杏子はお代わりしたお茶を一口飲んでいった。私は「同僚」と音速で答えた。杏子は何度も首を振りながら

「いや、そうじゃなくてさ……じゃあ、似てる芸能人は?」

 ええ……? 滝本さんが似てる芸能人……? あ!

「満月の夜に見るススキみたいな人」

「人じゃ無くね?……でもまあ、静かな方なのね」

「朝でも昼でもなくて、夜みたいな人。静かに正しい人」

 これはきっと会社のイメージ。でもオタクの滝本さんを見ても、印象は『夜』。やっぱりブレない。

「さっちゃんにお似合いかもね。今度紹介してよ」

 杏子は本をリュックに入れて立ち上がり、次はトレッキングシューズで来るわ……と笑いながら出て行った。

 

「さて、と」


 私は最後の仕上げの雑巾がけをするために二階に上がった。

 埃だらけだった二階はピカピカになった。

 あけ放った窓から電車がトトン……と進む音が聞こえてくる。


 実は今日から、滝本さんが我が家に同居するのだ。


「結婚しませんか?」

 と言われたとき、私は

「とりあえず、一度、うちに住んでみませんか?」

 と提案したのは、それに適してるからだ。

 この家は二世帯用の作り、お風呂もトイレも二階と一階にある。

 だからシェアハウスのような使い方も出来るが、玄関は一つ。

 顔を合わせるんだけど、生理的に最初は厳しい所がクリアできる。

 滝本さんは「それは良いアイデアですね。では明後日からお邪魔します」とコミケのあとに去って行った。

 あの後も何度か会社で顔を合わせたけど、会釈する程度で、前と何も変わらない。

 その切り替えの素晴らしさに感動していた。

 会社で他の人を目で追ったのは初めてだ。

 お昼も社食で滝本さんを探してしまった。

 滝本さんはスマホ画面を見ながら素うどんを食べていた。お値段、120円。

 分かる、イベントでお金使いすぎたんだよね?

 私もイベント後一週間は、めっちゃ安いものを食べる。

 印刷費がすごいのよ、同人誌って!! 

 

 会社でチラリと見かけて楽しかった滝本さんが、うちに来る。

 私は少しワクワクしていた。

 窓の外、物音が聞こえて、私は階段を下りた。来たかも。冷たいお茶を持って行かないと!



 玄関を開けて、私は絶句してしまった。

「え……本当に、それで来たわけじゃ……ないですよね?」

「なかなか素晴らしい坂ですね」

 滝本さんはなんとリュックを背負って、自転車で我が家に来ていた。

 自転車と言ってもロードバイクと呼ばれる種類だろう、タイヤが細く山を登れるようなもの……いやでも、この坂は普通の坂じゃないと思うけど!

 この近辺の人はだれ一人自転車に乗らない。正直最初の一歩さえ踏み出せないと思う。

 坂を下って駅までは1分くらいで行けそうだけど……。

 滝本さんは自転車を壁に掛けて、トコトコと家の奥の方に歩いて行った。そしてポケットからハンカチを取り出して汗を拭きながら

「登りながら思ったんですけど……ああ、やはり見えますね」

「え? 何が?」

 私は思わず滝本さんの横に並んだ。

 すると物凄く遠くに小さく観覧車が見えた。あれはきっと山の向こうにある小さな遊園地のものだ。

「俺の実家あっちのほうで、小学校の遠足で乗ったんです。いやあ~、なんか楽しいですね」

 私は茫然とその言葉を聞いた。

 今までずっとここに住んでたのに、全然気が付かなかった。滝本さんはうーん……と背伸びをして



「景色が素晴らしいですね。こんな凄い所に住んでも良いんですか? あ……瀬田川も新山線もキレイに見えますね。美しい」



 私は唇を噛んだ。

 そうなの。

 実は、思ってたけど誰にも言えなかった。

 みんなこの家に続く坂を嫌がるから言えなかったけど、私はこの家から見える景色が大好きなの。

 10年間誰も言ってくれなかったのに、滝本さんがそれを言うんだ。

 やっぱり、すごく静かで正しい。

 私は横を見て言った。

「二階です、どうぞ」

「ええ! 二階を俺が使っていいんですか? 最高の見晴らしなのでは……」

 滝本さんは嬉しそうに私の後ろを付いてきた。

 

 この人となら本当に結婚しても大丈夫かも知れない。

 私はそう思った。

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