第23話 真実の暴露
京都駅を出るとまだ五月だとは思えないほどに蒸し暑かった。もちろんのこと桜が咲いているはずもなく木々の葉が青々としている。訪れた時期が少し遅いものの清水寺でお参りをし、同じ場所を巡っていくと当時の記憶が鮮明に蘇っていく。
私が九歳の時に父が亡くなった。働き盛りの父は、会社の車を運転中にガードレールを突き破り谷に落ち突然帰らぬ人となった。その時に車ごと炎上してしまい原因が何かは、結局わからなかった。車両によるものなのか、はたまた父自身が原因だったのか。
優しかった父を亡くし頼れる縁者がいなかった母は、一生懸命に働きながら気丈に私を育ててくれた。いつ眠っていたのだろうか。そのような中でも食事はいつも手作りだった。だからなのか、一人で摂る食事もあまり孤独に襲われずに済んだ気がする。
私が高校三年生になる春休みのこと、母が急に思いついたかのように京都への旅行を言い出した。嬉しかった。父が亡くなってから初めての母娘旅。一泊二日の短い旅。それが母との最後の旅になるとは、その時の私はまだ気付いていなかった。
初日、私たちはレンタルの着物を身に着けて清水寺や八坂神社、夜にはライトアップされた枝垂桜を見に丸山公園に赴いた。萌黄色の着物姿の母は、産寧坂でお店の人に「お帰り」と言われ目を丸くしていたっけ。通りすがりの他の観光客からは、「着物の似合う美人さんっていいね」などと言う声が聞こえた。たぶん母のこと。母は、美しい人だった。その時すでに病魔に侵されていたとは思えないほどに。
その日の夜に母から真実を告げられた。
実の母娘ではないという事実。唐突な真実の暴露に何を言っているのか理解できず、母の顔を見た。母は正座したまま静かに涙を流していた。その涙を見た瞬間、母の言葉が飲み込めた。その夜、布団の中で
翌朝、腫れた瞼に言葉少なげな私たちを見て仲居さんが心配顔をしていたのを覚えている。その旅館を出た後に訪れた嵐山でも、殆ど無言のままだった。渡月橋や川の流れも、立ち並ぶ店の品々も何も心に響かなかった。ただ、観光客の流れの中で母と自分だけが別次元に存在しているように感じた。
京都から戻ったのち母の体調は日々悪化していった。
だから、私がその異変に気付くまでにそれほど時間を必要としなかった。母は自分が不治の病であることを知ったうえで母娘旅を言い出し、その旅の途中で実の母娘でないという暴露までしたのだった。
そして、あの日から二年も待たずして病魔は母を連れ去っていった。末期、美しかった母の変貌にやるせない思いが募ったが、最後の旅立ちは微笑むような安らかな顔をしていたのが救いだった。
その時、私はまだ看護学生だったが経済的に困窮することはなかった。母は、父の残した保険金に手を付けることなく残してくれていた。
だから、路頭に迷うことなく学業に専念でき無事看護師になり今の自分がある。
血の繋がりのない私をとても大切に愛情をこめて育ててくれた母。母の人生は何だったのだろうか。私の犠牲になってしまったのじゃあないかと思ってしまう。
生前、実の母親の名前と生年月日、住所が書かれた紙を渡されたが、探そうとも会いたいとも思わない。ただその書かれた紙は、捨てることができずに今でも木製のオルゴールの中にある。亡くなった母の筆跡だから。
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