第13話 迷い道
ぎゅうぎゅう詰めの電車に息苦しさを覚えながらも何とか梅さんの実家があったと推測される駅の改札を出て少しホッとした。だが、やはり人の混雑は変わらず過去に幾度か来たことのある駅なのだけど何故か方向を見誤ってしまったようで心もとない。
地図を広げて確かめたいけど、誰もが皆まるで競争をして歩いているかのようなこの雑踏の中では立ち止まることも許されない気がする。人の多さに気圧されているような、焦らされているような気分がする。
梅さんのソワソワとした気配も感じてどうしたものかと方向感覚を失ったまま歩みを進めていると、ふとコーヒーの芳醇な香りが鼻先をくすぐった。視線を泳がすと小さな喫茶店がこの街に不釣り合いな古さを醸し出しながら異世界への入り口のように佇んでいるのが目に入った。
雑踏から逃げ出すようにその店のドアを押し開けるとカランカランと乾いた音が響き、存外に若い店員がこちらに視線を向けた。カウンター席に初老の男性が一人静かにコーヒーカップに手を伸ばしていたが他に客の姿はなく店員の「お好きな席へどうぞ」の言葉に促されて、窓際のテーブルを選んで座る。
ほどなく先ほどの店員が水の入ったグラスとおしぼりを持ってきた。テーブルに置かれた瞬間にコトッと小さな音が響く。おしぼりは珍しく使い捨てのものではなくてその温かさと共に何だかほっとする。
次の瞬間、再び小さな音が響いた。
「えっ、」思わず小さく声を出すと店員が2つ目のグラスと一緒におしぼりも置く。
「2名様でよろしいですよね。」と言って軽く会釈をした。
どういうことなのか。
誰かと待ち合わせだと勘違いしたのかそれとも視えているのか。梅さんと目を見合わせて必死でこの状況を把握しよとするが頭の中の混乱は収まらない。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「えっ、え~と、」慌ててメニュー表を開けると梅さんが興味津々でのぞき込む。
流石は梅さん、すでに落ち着きを取り戻している。
「ごゆっくりで大丈夫ですよ。お連れのおばあ様とご注文がお決まりになりましたらお声をかけてください」
今、おばあ様と言ったよね。それって確定だよね。このお兄さんも視えてるってこと。でも、視えてても、、、激しい動揺を必死で隠しながら、
「はっ、はい。でも、あの~もしかして視えてらっしゃるのですか」と覚悟を決めて声に出す。
「はい。こちらはそういうお店なんですよ」と、店員はものありげな笑みを浮かべた。
良く知らない人の顔をあまり見ては失礼だけど、ついその店員を見つめてしまう。最初は若いと思ったが年齢不詳といったところか。高身長にすらっと伸びた手足、涼しげな目元の端正な顔立ち。どこか神秘的な感じがする。
「では、」
その声で我に返り、見とれていた自分が恥ずかしくなる。顔が火照る。
「おやまあ、紗季ちゃんもお年頃だねえ」とからかい気味に言って、梅さんは再びメニュー表に目をやった。
梅さんはフルーツパフェを堪能している。私はサンドウィッチのモーニングセットで、珈琲の香りに癒されている。
それにしてもそういうお店ってどういうことなんだろう。不思議な店だわ。
「ねえ梅さん、このお店って」
「本当に不思議だねぇ。でも、世の中には見えていない世界がいっぱいあるのかもね。現に私たちがそうだもの」
「うん、そう思う。それで相談なんだけど、いっそのこと梅さんの実家の場所を店員さんに聞いてみようかな。」
ガサガサと地図を広げる音が静まりかえった店内に響く。
先程の神秘的な店員に梅さんの実家探しについて相談すると、戦前の地図を見せるように言われた。
地図をしばらく見つめた後、目を瞑って何かをつぶやいている。その姿がまるで呪文を唱えているかのように目に映る。
しばらくして目をゆっくりと開いたその人は静かな口調で、梅さんの実家のあった場所への道筋を説明してくれた。
お礼を伝えて店のドアを開けると入った時と同じくカランカランと乾いた音が響き、その音に重なるように「どうぞ、良い旅となりますように」と優しく囁くような声が聞こえた。
一歩外に出ると喧噪の世界に引き戻された感じがする。振り向くと今までそこにあったはずの店は見当たらず、小さな古い祠がひっそりと祀られていた。
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