第3話 静かな夜

 スマホのアラーム音が鳴りびっくりして目が覚める。今日は夜勤入りだけど、出勤直前まで寝てるなんてほぼありえない。お日様はとっくに傾いている。

祐樹とのことがあってからここ最近はあまり眠れてなかった。なかなか寝付けず寝ても眠りが浅いのかすぐに目が覚めていた。それなのにどうしたことか昨夜は熟睡だった。


 でも、昨夜って、、、正確には今日のことだが。

 あれは夢? 幻? 現実逃避?

 とうとう、私おかしくなっちゃった?

 でも、あのほうじ茶美味しかった、、、

 妙にはっきりとした感覚が残っている。


 いろいろと気にはなるが時間がない。とりあえずシャワーを浴びて急いでを準備しよう。就業開始時間にはまだ間があるけど早めに入って患者さんの状態把握や主治医からの指示内容の確認などをしておきたい。仕事前のサービス残業みたいなものだと思う。看護師は女の子のなりたい職業の上位だそうだけど、それは現実を知らないのだろう。そういえば前に先輩看護師が○K職場って言ってたのを思い出す。キツイ、キタナイ、それからなんだっけ、忘れた。


 シャワーから出る熱めの湯が体だけでなく心も呼び覚ましてくれる気がする。立ち上る湯気と床や壁をはじく音が心地良い。まだ湿り気の残った肌に無理やり服を身に着け適当な化粧をして部屋を出る。途中コンビニで夜食を買ってから戦場へと向かう。そうそう、ストレス軽減のためのCACAO75%のチョコも忘れずに。


 いつも夜勤入りの時は戦場に出向く気分になる。どうか、急変がありませんように、皆さん落ち着いていますようにと。

 

 幸いなことに今夜はとても落ち着いていた。ナースコールもほとんど鳴らずナースステーション内のモニター音にも変化がない。たまにトイレのために廊下にでてきたり、かゆいから背中に薬を塗ってくれとステーションにやって来る患者さんもいるが平和な夜だった。


 良かったと安堵する反面、こういう時こそ気を付けようと思う。何かが起こる可能性があるから。何かというと患者さんの急変が主だが時には不思議なことも起こる。急にとベッド柵が床にたたきつけられるような音が響き慌てて駆けつけてもベッド柵は定位置にあって当の患者さんはすーすー寝息を立てていたりする。だから、私たちの中では、夜勤帯が終了するまで「何もない夜勤で良かったね」などと口に出してはいけないことが暗黙の了解となっているのだ。口に出すと何かを引き寄せてしまうから。


 午前3時の見回りは静かなものだ。こちらとしても患者さんにはできるだけ眠っていて欲しいので足音を立てず静かに病室のドアを開けペンライトは足元を照らすのみで気配を消して近づき呼吸の状態や点滴などを確認していく。夜中に点滴が洩れていたりするとすごく悲しい。気づかなかったことにしたいと内心思う。だが、今夜はとっても良い夜、静かな夜だ。


 何も異常がなかったことに安堵しながら薄暗い廊下を曲がった瞬間、幸江さんが個室に入っていくのが見えた。

 見えてしまった。

 とっさに踵を返して足音も気にせず小走りでステーションに戻る。


 ステーションでは後輩の絵里ちゃんが電子カルテに看護記録の入力をしていたが私の顔を見るなりキーボードを打つのをやめた。

 「紗季さん、慌ててどうしたんですか。何かあったんですか。」

 思わず幸江さんのことを言いそうになるが何とか言いとどまった。絵里ちゃんはこのての話がとても苦手なのだ。いまここで先ほどの話をすると怯えて朝が来るまで一人では行動できなくなるだろう。そうなると業務が回らない。

 「ううん、違うの。患者さんはとても落ち着いていていい寝息を立てていたわ。ただ私がトイレに行きたくなってね。ごめん、ちょっとトイレへ」と言ってステーション奥にあるスタッフ専用のトイレに行く。


 徐々に窓の外が白み始める。

ここからが夜勤のラストスパートだ。患者さんが起きだすと目まぐるしい状態になる。日勤スタッフが来るまでが一番大変なのだ。ただでさえ業務内容が凝縮された時間帯に少人数での対応。そこに今でなくていいナースコールの嵐となる。


 午前9時半、申し送りも終わりやっと長い夜から解放される。

 「絵里ちゃん、お疲れ様。無事に終わったね」本当はちゃん付けで呼んではいけないとは分かってはいるけど、つい絵里ちゃんと呼んでしまう。少し天然だけど芯のしっかりしている絵里ちゃんはどこか祐樹に似ている。

 「紗季さん、ありがとうございました。ほんと、何もない夜で良かった」と、ほっとした表情で眠たそうな目をした絵里ちゃんが言う。

 「そうね」答えながら夜中の幸江さんの姿が脳裏をよぎる。


とりあえず帰って寝よう。

 

 

 

 


 


 

 

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