されどサドルと悟れども

五月タイム

短編1/1話

 日本庭園に面する窓から飛び込んできた野良猫が大暴れしたことで早々に本日の活動を終了する羽目に遭ったのは、地方都市の端っこにある第百五十三高等学校にある由緒正しき部活動、西洋お茶会部である。


 日がまだ十分な高度を保っている時間にあってわずかな肌寒さを感じさせる秋の日、駐輪場へ向かう高崎恵一郎たかさきけいいちろうと幼なじみである櫛田恵美くしだめぐみはその部活の数少ない構成員だ。


 お互いに微妙な距離を保ち、その距離感を楽しむ余裕のない2人は、ぎこちない言葉で先ほどの出来事について言い交わしていた。どの部活も練習やなんかの真っ最中であるこの時間帯、駐輪場に人気ひとけはなく、しっとりと静まりかえっている。


 いな、2人が自分たちの自転車のある区画へ近づくと、布地の何かがこすれるような音と、それに混ざって「んんっ! んんんっ!」と興奮した誰かの息づかいが聞こえてきた。恵一郎と恵美は、それがどういった状況から発せられているのか気づくのに遅れ、彼我を隔てていた壁の端から不用意にも向こう側へ踏み込む。


 と、そこで目にしたものとは――同じ学年の何某なにがしが恵美の自転車にまたがって、サドルに、丹念に、ねっとりと、股間をこすりつけている場面だった。そのあまりにもショッキングな様相に、理解の追いつかない恵一郎は奇っ怪な表情をして活動を停止し、多少なりとも分かってしまった恵美は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げて後退あとじさる。


 そこで我に返ったのは他の誰でもないその生徒だ。バッと頭だけを回転させて2人に向け、息を細く吸いながら「ぁー……っ」と甲高い声を上げ、そして恵美の自転車ごと向こう側へ倒れたのち慌てて起き上がって「ああぁぁああーっ!」と叫びながらどこへともなく走り去った。


 呆然ぼうぜん


 再起動したのはどちらからだったか、それは誰にも分からないが、最初に声を出したのは恵一郎だった。躊躇ためらいがちに「あ、あのぉ……、お、俺の、俺のサドルと交換する?」と切り出したのだ。気の利いた一言だといえるだろう。しかし、事はそんなに簡単ではなかった。


 恵美の中で、本能を揺さぶる電撃的なひらめきがほとばしる。庭園を染めるカエデのように首から上を紅に染め「け、けけ、けいちゃんのサドルって、けいちゃんが、けいちゃんだから、けいちゃんと私が凸凹Xっ!?」などと青春の世迷い言を口にし、しおしおとその場にへたり込んだ。


 隣で脳内暴走した友人にどうにか追いついた恵一郎は、月に届けと跳ね起きたそいつの位置を直しながら、誤魔化ごまかすように「そうじゃないだろっ!」と早口で突っ込む。その言葉は本人の意図から外れて大きく響いた。


 恵美はガバッと跳ね起きると瞳を大きく見開いて「えぇぇえええっ! そっち!?」などと突っ込み返す。恵一郎はどこにそんな反応となる要素があるのか分からないまでも、嫌な展開を危機感というべきほどに感じつつ「なんだよそれ……?」と億劫おっくうな口調で問うた。


 ひどく興奮した様子をする恵美は「そ、それはだって、ほら、け、け、けいちゃんとさっきの彼が凸X凹なんでしょっ!?」とかおかしなことをわめき、後ろへ卒倒しつつブバッと鼻血を吹き出す。恵美の鮮血で胸を紅に染め慌てて恵一郎は恵美を抱きとめ、2人仲良く胸元を赤くして見つめ合い、しかしさすがに血塗れの唇には何ごとも起こらずに保健室へ向かうのだった。


 さて、そんなこんなで奇妙なところから2人は恋の炎を胸にともしたのだが、結局サドルが交換されたかどうかは本人たちしか知らない。

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されどサドルと悟れども 五月タイム @satsuki_thyme

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