五月タイム

短編1/1話

「奥野くんのことが好きです。付き合ってください!」


 ある春の日の放課後、中原美幸は同じクラスの奥野弘平を校舎裏へ呼び出して一大決心の告白を行った。1年生のとき同じクラスで席が近くなり、そんな縁があってか弘平のことを気に掛けるようになったのだ。2年生になり、10クラスある中でまた同じクラスになれたのは奇跡だと思った。いや、運命なのかもしれない。であるならば、想いを成就させるべく行動するのは自然のことのように感じられる。そしてそれはついに決行された。


 ドクンドクンと突き上げるように響く鼓動の中、ギュッと瞳を閉じて頭を下げたままの美幸。そこに降ってきた弘平の言葉は、彼女にとって予想だにしない意外なものだった。


「僕も中原さんのこと好きだったんだ。だから、えっと、いいよ」


 美幸は「えっ」と言ってガバリと上体を起こしたまま固まってしまう。その後のことは覚えていない。この日は分かれ道まで一緒に帰ったのだが、彼女はその間の記憶一切がスッパリと抜けてしまっていた。


   §


 その日の夜、弘平は自室でベッドに寝転びただただ憂鬱な気分に浸っていた。彼の内心を占めるのは「僕はなんであんなこと言ったんだ」という後悔と後ろめたさだ。弘平は美幸のことをそんな目で見たことは一度もない。嫌いではないし苦手でもないが、しかし好きでもなかった。それなのに好きだなどと口走ったのは「美幸の必死さであり自分の同調しやすさなのだ」と、責任を自身の本質から追い出そうとしてしまう、そんな弱い己が見えてしまうのも憂鬱の種になっている。


 そしてもう一つ、彼を憂鬱にしている原因は別の女子の存在だ。2年生から同じクラスになった彼女を、弘平は1年生の頃から好きだった。1年生の頃は接点を持てず、廊下ですれ違うたびただ憧れるように眺めるだけの彼女へ、ようやく手が届くようになった矢先に今回の件である。恋が始まったのではなく、恋が終わったと言えるかもしれない。そうして悶々とした時間の中で自分が何を考えているのかさえ分からなくなり、気づけば朝になっていた。


   §


 あれから半年経って秋になり、弘平と美幸はいい恋人同士としてクラスの中で認識されるようになっていた。学校の休み時間、それぞれの友人と会話する中でもちらりと視線を絡ませて微笑み合う。週末には毎週のようにデートへ出掛け、お互いの家へ遊びに行くこともある。まごうことなき恋人同士だった――少なくとも周囲から見た限りでは。


 弘平はここに至っても、未だ美幸に対して「異性として好き」な気持ちを持てないでいた。情が湧き、離れがたい思いはあるものの、しかしそれだけだった。それだけだがしかし、彼は彼女へ「好きだよ」と語り掛け、唇を合わせる。弘平はその行為に後ろ暗い思いをしないようになっていた。美幸が喜んでくれるならそれでいいような気がする。彼はそうやって偽りの満足感に納得していた。だがそれでも、弘平の中にある本当の思い人への気持は消えないままだ。ふと気づけば彼女を見ている自身を、弘平は知っている。未練がましいとは言えまい。思いを拒絶されたわけでもないのだ。


   §


 いつものようなある日のこと、弘平は美幸に校舎裏へと誘われた。彼は「キスでもせがまれるんだろうか」などと思い、それはそれで悪い気がしない。恋人の距離で隣を歩き、告白されたあのときと同じ場所へやってきた。学校で人気のない場所はそう多くなく、この場所が特別な意味を持つのだと思わない弘平。だから、美幸に告げられた言葉は全く予想だにしないものだった。


「あのね、弘平くん。前に告白したの、あれ、嘘だったんだ」

「は?」


 間抜けな声を出した弘平をそのままに、美幸は続ける。


「友達とやってた、誰かと付き合えるか競争するゲームだったの。ごめんね?」


 弘平にとっての全てが嘘だったと。そして嘘をつき続けてきたのだと。頭の中がぐちゃぐちゃになって呆然とする彼を置いて美幸は走り去った。


   §


 この日、美幸はどうやって自宅にたどり着いたのか覚えていない。始まりの告白をしたあの場所で、終わりの告白をした後の記憶一切がスッパリと抜けてしまっていた。分かっていたのだ。最初から全部。その夜、美幸はベッドにうつ伏せただただ泣いたのだった。

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五月タイム @satsuki_thyme

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