今は自分を信じようぜ。

「あれ、馬渕どうした」

「あ、やっぱり先輩だった。私も今日制作をしようと思いまして。教務室に行ったら鍵は既に貸し出してるって言われたのでここで先輩が来るの待ってました」


 そういえば鍵を開けず持ったまま佐野先生と話し込んでしまったな。


「悪い、準備室で佐野先生と話してた。今開けるから」


 鍵を開け、連れ立って美術室に入った。なんだか久しぶりなせいか馬渕が美術室にいるのが新鮮な感じがする。美術準備室から俺と同様にイーゼルとカンバスを持ち出しセッティングをしている馬渕を見ながらそんなことを思った。そんな思いは一旦仕舞って、俺は馬渕にひとつ提案をした。


「馬渕、今回制作した作品は作品展を見て回るまでお互い見ないことにしてみないか?」


 馬渕はそれを聞いて「おっ」と少し楽しげな表情をした。


「いいですね、面白そうです。乗ります!」




 そうして午前九時に俺と馬渕の作品制作が始まった。


 俺は描く対象を決めていた。スケブを取り出し、あるページを開きカンバスの横に置いた。それをよく見て目に焼き付けると、今度は目を閉じて色の構成を考える。何分そうしていたかはわからないけれど、ある程度決めたら目を開いて絵の具をパレットに出し、勢いよく手を動かし始めた。


 午前十時にはだいたいの構図が浮かび上がってきた。色を失敗しないように、慎重に絵の具を混ぜながらカンバスに重ねていく。それでも塗ってみると納得いかない箇所もあり、時折ペインティングナイフで削ったりしていた。


 正午。昼食時だが真剣になりすぎて空腹を感じないので昼食をスルーして陰影と背景をぼんやり進め始める。それは馬渕も同じようで、何も言わず筆を洗う音だけが美術室に響いた。


 そのまま描き続け午後三時、ついに限界に達したのか馬渕のお腹の音が聞こえてしまった。そこで俺も緊張の糸が切れた。


「俺もご飯食べようかな」

「う、す、すみません」


 馬渕は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。


 手近にあった机を合わせて二人でその机を挟み昼食をとりはじめた。お互い今日はコンビニご飯だ。


「進捗はどうですか?」


 俺はパンを飲み込んだ。


「多分今日中には形になると思う。そっちは?」

「私も多分今日中には」

「下塗りすらしてない状況からだろ? 早いな」


 馬渕は少し恥ずかしそうに頬を掻きながらはにかんだ。


「抽象画に挑戦しようと思いまして。ほら、先輩の部屋で見た画集のような」

「それだって早いよ。馬渕の抽象画か、見るのが楽しみだな」

「私も先輩の絵を見るの、楽しみです」


 そう言って笑った馬渕は続けた。


「手探りで少し苦しみも感じますが、それも充実に感じます。不思議ですね」

「後半戦も頑張ろうぜ」

「はい!」


 そうして昼食を終えてまたカンバスの前に戻り、それから数時間。


 例によって遮光カーテンを閉め切っているので外の様子はわからないが、恐らく真っ暗になっているだろう、そんな中。


「ふー」


 午後七時を回った頃、俺の作品は完成した。乾かしながら明日までまたいで描こうかとも思ったが、勢いに乗って完成まで駆け抜けてしまった。出来栄えは……どうだろう、俺はあまり描かないタイプの作品になったからよくわからない。


 しばし作品を見つめておかしいところが無いか見ていると、正面に座った馬渕も描き上げたようで、「はー」と聞こえてきた。


「お疲れ。じゃ、片付けるか」

「はい、お疲れ様です」


 お互い作品を見せないように注意しながら片付け、美術室を出た。


「なんか、完成ってあっけないですね」


 教務室に向かう道すがら、馬渕がそんなことを言った。


「完成だって思っても、なんとなくこれでいいのかな? とか思うんですけど、でも自分を信じようって気持ちも働いたりして、複雑な心境のまま終えました」

「案外そういうものだよな。俺もそうだな」

「もっと完成だー! ってなるものかと思ったんですけど、案外違うんですね」

「凛子はそういうタイプだから、人によるんじゃないか?」


 鍵を返却して、昇降口を出た。徐々に暖かくなってきた夜風が俺達の間を通り抜けた。


 俺はまだ釈然としていなさそうな馬渕の背中を軽く叩いた。


「ほらっ今は自分を信じようぜ。結果は一ヵ月後だ。それから一喜一憂すればいいじゃん」

「……はいっ!」


 駅で馬渕と別れて電車に乗ると、スマホに通知が何件かきていることに気付いた。部長と佐々木からそれぞれ来ていた。


 まず佐々木に制作が終わったから明日は遊べる旨を伝えた。佐々木からは「了解」の簡素な返事が来た。それを確認すると部長からのチャットを見てみた。


 犬と思しき動物が馬の被り物をしたシュールすぎるスタンプが送られてきていた。「どうしたんですか」と送ると、「近藤が『進が俺の愛に飢えてる』って言ってたから」と返ってきた。突っ込みどころしか無いが、「嬉しいです」と送っておいた。部長にはドン引きされた。理不尽だ。


 それから俺は馬渕にチャットを書いて送った。


「今日はお疲れ様。そしてありがとう。馬渕に色々教えることで俺も成長できたと実感できたよ。俺は頼りないかも知れないけどこれからもよろしくな。また美術室で」

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