背に腹は代えられぬ!

 ファミレスを出てバスに乗った。それから駅のひとつ手前の停留所で降り、画材屋に入った。


 カンバスを張る木製パネルがところ狭しと並んでいるせいか、木の匂いが鼻を抜けていった。馬渕は物珍しそうにきょろきょろしている。そんな馬渕に俺は声を掛けた。


「馬渕、取りあえず買うものリストアップしてきたから、順に攻めていくぞ」

「あっ、ありがとうございます! 助かります」


 店内を回って必要なものをカゴに入れていく。まず見つけたのは筆洗器。


「これは何ですか?」

「筆を洗う油を入れる壷」

「あ、そういえば絵の具の色を変える時に使ったやつでしたね。これは?」

「ペインティングナイフ。絵の具を塗ったり削ったり、幅広い用途ががあるから必需品だな」

「ほうほう」


 油彩は必要な道具が多い。馬渕に用途を説明しながら店内を回って必要なものを集めた。


「さて。絵の具はお買い得な初心者セットを買うとして、筆は自分の好きなやつを選ぶんだ」


「どういう風に選べば……」


「今は三から五パターンの太さを買っておけばいいと思う。ものは豚毛とかなら申し分無いけど、今までで結構出費がかさんでるからアクリルを選んでおいた方が無難かな」


「ほうほう、おすすめは?」


 俺は筆を一本手に取った。世界的にメジャーな画材メーカーの筆だ。


「俺はいつもここのメーカーのもの使うけどね。劣化スピードが他のものと違う気がする」


「じゃあここのメーカーのものにします! ……太いのは高いんですね」

「そりゃ毛もいっぱい使ってるからな」


「……背に腹は代えられぬ!」と馬渕は太い筆をカゴに入れた。中々普段使わない言葉だな。


 荷物が多くなると困るので、先程購入した工具箱に画材を詰めて貰った。サイズはぴったりで、馬渕は感動している様子だった。画材屋の店員さんには顔を覚えられているので、「可愛い彼女さんね」などとからかわれたりした。馬渕が硬直して変な雰囲気を助長してしまっていた。




 時刻は十九時を回っていた。俺達は西納魚の駅のホームで電車を待っている。


「なんだか荷物持たせてしまってすみません」

「最初から荷物持ちもするって話だったからな、気にするなよ」


 画材の入った工具箱は結構重い。馬渕はこれを明日学校に持って行くんだろうけど、心配になってしまう重さだ。俺は持ち運び慣れているけれど女の子には結構重いだろうな。


 やがて上り電車が着き、俺達はそれに乗り込んだ。


 十九時を回ると電車も空いていて、難なくボックス席を確保できた。


「いやぁ、今日はありがとうございました」


 馬渕は俺の正面に座るなり深々と頭を下げた。


「大丈夫。それよりこの画材結構重いから、駅から家まで運ぶの気を付けろよ」

「大丈夫ですよ。結構腕っ節には自信があるんです」


 そう言って腕を曲げて上腕二等筋をアピールする馬渕。


「体力テストの結果は?」

「握力二十、ハンドボール投げ十二メートルです!」

「ははは、俺も人の事言えないからな」

「笑われた!?」


 女子の基準は定かではないけれど、確か凛子はもっと上を行く結果を出していた。


「馬渕」


 俺は姿勢を正して馬渕に向き合った。馬渕はキョトンとした顔で俺を見た。


「今日で一旦師弟関係は中断だ」

「え」


 気が付いたら師弟関係という言葉がしっくり来てるあたり、俺も流されやすい性分かも知れないな。


「馬渕にはまだ教えられてないことばっかりの残念師匠だったけど、明日から作品展が終わるまで俺達はライバルだ」


「えっ」


「勿論わからないことがあればいつでも聞いて貰っていい。教えられることならいくらでも教える。一緒に作品展、賞を獲ろう」


「賞を!?」


「安心しろ、俺も去年は一次審査落ちだ。それに絵はいつ誰の心に引っ掛かるかわからないものだ。俺は馬渕の感性を評価してる。可能性は絶対ゼロじゃない」


「…………」


 馬渕はしばらく口を開けっ放しで考えているようだった。しかし数秒後、何かを決意したように口を結んだ。そして、


「はいっ! 私、頑張ります!」と勢い良く返事した。




 それから数日経ち、週が明けても馬渕は美術室に姿を現さなかった。

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