佐々木慶治はオブザーバー
何も無い呪い。
次の日の放課後、俺は約束通り学校前の駅の下り線ホームで椅子に座っていた。スマホで音楽を聞きながら、昨日の夜家でリストアップした馬渕の買い物リストのメモを見てはポケットに仕舞い、また取り出して見てを繰り返していた。筆や油壺といった道具の値段は既に頭に入っているが、念の為ネットショッピングで値段を確認しておいた。
道具を仕舞う工具箱のことを失念していたので、ホームセンターに寄ることも伝えなきゃいけないよなとか、そうなると寄る店舗が増えるし、どっちから先に回るべきかとか、先程から、いや昨日この買出しの話が決まってからなんか色々と考えすぎている自覚はあった。
俺、緊張しすぎ?
その時、左肩に二回ほど柔らかい感触が走った。驚いて左肩の方を見ると、馬渕が居心地悪そうに肩を竦めて立っていた。どうやら今肩を軽く叩かれたらしい。
俺がイヤホンを外したのを確認すると、馬渕は「すみません」と言った。
「掃除当番で遅くなってしまいました」
「いやいや、大丈夫だよ。電車もまだ来てないし」
「よかった」
「おう」
気まずい沈黙。
「……座れば?」
「あっ……はい」
馬渕は隣に座った。
馬渕も緊張しているんだろう。これは画材の買出し、画材の買出し、変な意味なんてどこにも無いんだ。変な意味って何だ。
やがて電車が来て、俺達はそれに乗り込みボックス席に向かい合って座った。電車が動き出し景色が流れ始める。俺達は無言だった。何か話した方が互いの緊張も解れるんだろうけど、いかんせん緊張で何を話したらいいかわからなくなっていた。これが悪循環ってヤツか。
取りあえず業務的な情報伝達から入ってみよう。
「馬渕、昨日言い忘れてたんだけど、画材を入れて持ち運ぶのに工具箱が必要なんだ。まずはそれを買いにホームセンターに寄るけど大丈夫?」
「あっはい。今日は遅くなる旨は親には伝えてあるので大丈夫です」
「なら良かった」
「画材を入れるのに工具箱なんですか?」
「使い勝手を考えると工具箱が一番耐久性もあるし容量もあるからな。使い始めればすぐ良い理由がわかるよ」
「なるほどなるほど」
電車はスピードが乗り始め、流れる景色も目まぐるしく変わるようになっていった。景色は基本的に田んぼと山だ。やっぱりこの辺の田園風景は綺麗だ。
「馬渕は綺麗な景色を見た時ってどうする?」
「んー、目に焼き付けます。もしくは感動のあまりぽかーんってなりますね」
「いいことだな。そうやって目に焼き付けたものって絶対美術を続ける上でも無駄にならないと思うよ」
「ものを綺麗って思う心は私自身も忘れたくないです」
俺はそれを聞いて次の言葉を言おうかどうしようか少し悩んだが、素直に言うことにした。
「馬渕、初めて美術室に来た時さ、帰りに月が綺麗って言ったの覚えてる?」
「勿論、あの日の月はとっても綺麗で明るかったですよね」
「俺、あの時馬渕ってすげぇって思ったんだ」
馬渕は小首を傾げて頭の上に疑問符を浮かべた。
「俺はあの時、月の光を反射する雪が綺麗だって思ったんだ。別にどっちの方が偉いとかそういう意味じゃないんだけど、あの時月を綺麗って言う馬渕を見て、その素直な感性に感動したし、俺はそういう素直な感性を忘れていたことに気付かされたんだ」
まん丸な目をこちらに向けて頷く馬渕を少し見て、車窓に視線を移し、続けた。
「絵を長く描いてるとさ、色々な美しさを見つけようって、心が多様な視点を身につけ始めるような気がするんだ。それ自体はすごく良い事なんだけど、俺はその中で素直さを見失っていたんだなってあの時気付かされたっていうか。とにかく馬渕は今の自分を大事にして欲しいなって。なんかごめんな、変な話になっちゃって」
「いえ、大丈夫です! そんな、変な話なんかじゃないです」
しかし馬渕は俯いて「でも」と呟いた。
「美術部に入ってから、あまりにも褒められて戸惑うっていうか、慣れないっていうか……とてもありがたい事なのはわかっているつもりなんですが、私は自分がそんなに褒められる人間では無いと思ってしまって、素直に皆さんの気持ちを受け止められないんです。だって私には、何も無いのに」
「それは馬渕が、自分に呪いをかけてるからそんな気がしてるだけだろう」
「何も無い呪い」
「わかってるじゃん。何も無い馬渕まこなんてどこにもいない。感性も才覚もあるけど、馬渕に足りないのは自信だな。自分が持っていないものを数えたってキリないよ。この世はものが多すぎる。持ってるものを数えようぜ」
「先輩……」
「ありきたりな事しか言えなくて、ごめんな」
「え、いえ! 私こそ変な感じにしちゃってすみません」
馬渕はひょっとしたら、俺の想像の範囲を超えた何かを抱えているのかも知れない。それは想像も出来ないから、馬渕の出方を待つしかないけれど。
電車は二十分ほどで西納魚駅に着いた。流石繁華街、人が多い。
人混みの中で馬渕とはぐれないように、横をチラチラ気にしながら駅を出た。出た先は大きな雑居ビルが軒を連ねるアーケード街だ。画材屋はこのアーケードをまっすぐ進んだ先にある。ただ今日は先に駅から少し離れたホームセンターに寄るから、市内循環バスに乗ることに。
「先輩って、西納魚よく来るんですか? なんだか詳しいですね」
「ああ、画材買ったりするし、友達で西納魚の奴がいるからさ。よく来るんだ」
無論佐々木のことである。
『西納モール前』という停留所で降りて、目の前のショッピングモールの中にホームセンターはある。店に入ると、切り出された木の匂いが鼻を抜けていった。
馬渕は自分が背負っているリュックと同じ黄色い工具箱を探していたが見つからず、譲歩して黒地に黄色の持ち手がついた樹脂の工具箱を選んだ。容量的にも問題ないし、思ったより安く済んだから少しほっとした。
「えーと、駅方面に向かうバスは一時間後に来るみたいだ。さっき出ちゃったんだな」
「一時間後ですか……」
バスや電車が一時間おきなのは田舎の最大の特徴であり最大の難点だと思う。
「馬渕、お腹空いた?」
「えーと、そこそこ?」
「じゃあこのモールのファミレス寄って行かないか? 友達がバイトしてるんだ」
「そうですね、一時間やることも無いですもんね」
馬渕の合意が得られたところで、早速モール内のファミレスに入った。佐々木の姿を探してみたがまだ出勤していないようだ。それもそうか。俺達と同じ電車に乗っている筈だから、駅から原付だとしてもホームセンターにいたあたりで佐々木もここに入っただろうし。
そういえば同じ電車に乗った筈なのに、佐々木の姿を見なかったな。ホームにも見当たらなかったけれど、階段の向こうにでもいたのだろうか。
そんな疑問を抱きながらも、案内された席に着席してメニューを広げた。春ということもあり、苺フェアの文字がでかでかと踊っていた。馬渕はそれを見て何故か険しい顔をしている。
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