俺は狙ってないけどな?
頭でこねくり回すのはもうやめだ。シンプルにいこう。奇を衒ったってそこにいるのは俺だ。俺が描くものから俺が消えることはない。シンプルに、伝えたいことじゃない、『俺』を表現するんだ。やれることをやろう。取りあえず今はこの自画像デッサンを完成させるんだ。
今日は美術室は俺と馬渕二人きりだ。隣から鼻がもたつくような心地よい油彩絵の具の匂いがする。部長は昨日の内に水彩画を仕上げ作品展の作品制作に戻った。
鉛筆を一心不乱に動かし、画用紙の中の顔を俺に近付けながら、俺は色々なことに思いを巡らせた。例えば朝焼けと夕焼けだったら俺はどっちを描きたいと思うか。例えば家から見える山々から覗く朝焼けを描くとして、俺は恐らくそれを見ながらコーヒーを飲んでいるんだろうけど、その時の気持ちと空気感を表現するにはどういった配慮が必要かとか。
澄んだ空気が描きたい。澄んだ気持ちを表現したい。
そうだな、きっと満月の光とそれを反射する雪、どちらを美しいと思ったからってとやかく言われるものではなくて、そう思った自分を大切にしなきゃいけないんだ。美しいと感じることができる自分を褒めるべきなんだ。少しずつ頭の中にあったもやもやした霞が形を作って俺に言葉を与え始める。
もっとわがままになろう。カンバスの中でくらい自分を惜しげなく表現したっていいじゃないか。いや、本来表現するべきなんだ。俺は何を恥ずかしがっていたんだろう。何を思って格好つけていたんだろう。
バカになろう。
もっと、もっとバカに。
それは絵のことだけじゃない。
「馬渕、制作中ごめんな」
手を止めず俺は馬渕に声を掛けた。
「はい、どうかしましたか?」
一瞬手を止め、呼吸を置いてまた手を動かし始めた。
「俺、馬渕のこと好きみたいなんだけど、好きでいていい?」
馬渕が勢いよく起立したのか、椅子が倒れる音がした。
「え? そ、それ、え? ど、どういう」
「今回の作品展の結果が出たらもう一回言うから、その時まで考えておいてよ」
「へ、へぇい」
馬渕は椅子を立たせてまたちょこんと座った。
正直、手汗がすごい。しかし宣言してしまったら心が固まった感じがして不思議と視界がスッキリと開かれた。出会って二週間少々でとか、師匠としての面目がとか、頭の中でどれだけ否定したって、自分にしっくり来てしまったものはもうどうしようも無いのだ。
俺は馬渕まこという女の子を好きになった。
自分に素直になれば怖いものなんて無いと思えた。
やがて俺の自画像デッサンと馬渕の初の油彩画は完成した。馬渕はやはり色の感覚が優れている。タッチこそ拙いが、それを補って余りある色彩構成になっていた。
「馬渕の色の感覚はすごいよ。これは絶対自分でも大事にして伸ばすべきだと思う」
「ててて、照れますなぁ!」
「馬渕、リラックスリラックス」
「…………」
馬渕は何か言いたげに目を泳がせていた。まぁリラックスと言われても難しいわな。俺が驚かせちゃったんだし。
「とりあえずこの林檎食べようか」
「へぇい」
馬渕がさっきからライブを盛り上げる歌手のような返事しかしない。それにしては覇気が無いけど。
机を挟んだ俺達は無言で林檎を切り分けた。俺が皮を剥いてやると、馬渕は手を震わせながらそれを受け取って口に運んだ。
「馬渕、突然だけど明日は部活を休もう」
「へっ?」
俺は林檎を飲み込んだ。それにしてもこの林檎いつ食べても美味しいな。
「馬渕、油彩用の画材が無いだろ? デッサン用の鉛筆も。やっぱり本格的に自分の作品を作ることになるわけだから、ちゃんとした画材は持っておくべきだと思うんだ。だから明日は画材を買いに行って欲しいと思うんだけど、どうだろう?」
「そうですよね、先輩のを借り続けるのも悪いですもんね」
「ただ、油彩の道具って結構高いんだ。その辺は大丈夫かなって」
「お年玉使ってないのでその辺は多分……どのくらいかかりますか?」
「お年玉とか可愛いこと言うなよ……」
「えっ!」
馬渕が顔を真っ赤にして驚いていた。つい思ったことが口から出てしまった。
「ごめん、そ、そうだな、欲張っても二万あれば足りると思う。馬渕がどのくらい貰ってるかはわからないけど」
馬渕は紅潮した顔を手で仰ぎながら「なんとかなります」と言い、そこで何か思いついた。
「あ、画材屋さんってどこにあるんですか?」
「ちょっと遠いんだ、西納魚の駅から十分くらい歩いたとこ」
「おぉ、西納魚ですか。場所わかるかな」
「……俺も一緒に行こうか? 買うものとかも俺は大体わかるし。画材重いし荷物持ちにもなるよ」
さっきの発言があったばかりだから少し言い出しづらかったけれど、それでも私情と直近の問題は天秤に掛けられるものではないと思う。馬渕も少し悩んでいる様子だったが、最終的には俺と同じ答えに辿り着いたのか、「お願いします」と頭を下げた。
林檎を食べ終え下校時刻を迎えた俺達は美術室の鍵を返し、駅まで一緒に歩いた。
「そういえば馬渕の友達って部活とかやってないの?」
いつも部活終わりの帰り道は一緒だ。
「あぁ、友達で仲が良い子は茶道部の子と帰宅部でアルバイトをしている子なので、部活があると一緒に帰る友達は今のところいないんです」
「茶道部か」
運動部の一部だけしか部活動が活発ではない学校の中、茶道部は特に緩いというか、いつ活動しているのかよくわからない部活筆頭だ。月一回お茶会があるという噂は聞いた事があるがそれがいつなのかはよくわからない。
馬渕は「いやいや実は」と言いながら伸びをした。
「私は話すのがとっても下手せいか友達を作るのが苦手で、周りのキラキラした女の子達と何をどう喋っていいのかわからなくていつも挙動不審になってしまうんです。なので高校で上手くやっていけるのかとても不安だったのですが、なんとか友達と呼べる人ができて世の中捨てたもんじゃないなって思うんです」
「あぁ、わかるな。俺も友達とか作るの得意じゃないから、今友達でいてくれてる人には感謝の念が強いな」
佐々木にしても、時々話しかけてくれる同級生にしてもそうだ。
「だからなんですかね」
馬渕は視線を落とした。
「……先輩との関係性が変わるのは怖いです。そりゃ知り合って二週間そこそこですけど……先輩も私の生活の中の一部になってるので」
「なるほどね」
心拍数が上がるのを感じた。どう言ったらいいかわからないけれど、心臓が重く、痒い感じがする。頭にまで心臓の音が響きそうだった。落ち着け俺。
「答えは急がないから」
それから俺は無理矢理話の流れを変えて、馬渕から借りた『プリズンウィッチ』が意外と面白くて最近ずっと見ているという話題を繰り出した。馬渕もその話題転換にほっとした様子でまたマシンガントークを始めた。それを聞いていたら駅までの道のりはあっという間だった。
馬渕と別れ上り電車に乗り込んだ。
「おっ」
「あっ」
凛子がボックス席に一人座りスマホを弄っていた。「お疲れ~」と笑顔で手を振る凛子の正面に何気なく座る。
「素材の買い出しか?」
「おうおう~西納魚のホームセンターの帰り。明日から美術室篭もりだぜ」
「ついに凛子も本格始動か。部長もそろそろ美術室篭もりかな、なんか聞いてる?」
「部長は今週末から篭もって完成させるってさ。てか見て見て、この部長のスタンプめっちゃシュール」
凛子が見せてきたスマホの画面には八頭身の黒いネズミが複雑なポーズをする、チャットのスタンプが映っていた。部長俺にはスタンプとか使ってくれないのに。
「俺と部長の間の距離を実感したよ。俺にはスタンプ無い……」
「ふぁっ!? いや、多分部長は男同士でスタンプ連打はあんまりってタイプなんだよ!」
凛子が慌ててフォローを入れてくれた。俺も今度部長にスタンプせがんでみよう。
「あ、話は変わるけど俺と馬渕は明日部活休むから。馬渕の画材を買いに行くんだ」
「ほうほう。私もーって言いたいけど、油彩の画材はわかんないから行っても邪魔かなぁ」
「いやいや凛子は明日から美術室篭もりだろ?」
「ジレンマ……最近まこりん撫でてない」
手を震わせながらこの世の終わりのような顔をする凛子。馬渕は魔剤か何かなのか?
やがて電車は地元に着き、俺達は下車して歩き始めた。凛子の買い物した荷物を持ってやると、驚くほど重かった。
「凛子はさ、自分はどうやって今の自分になったと思う?」
「どしたのいきなり」
いつか凛子としてみたいと思っていた、才能と可能性に関する話を振ってみたつもりだ。凛子は人差し指を唇に当てて少し考えた。
「まず父さんの中で優秀な精子が母さんの卵子にずずいと入って行ってー……」
「そこからじゃない」
いつも通りだけど、はちゃめちゃな奴だな。
「んー、難しいことを聞くねぇ今日の進は。どうやってって、やれる事をやってたら今の自分に辿り着いた感じじゃない?」
「なるほどね。凛子ってよく『可能性は未知数』って言うじゃん? 俺はその言葉が結構好きなんだけど、どういう意味で言ってんのかなって」
「そのまんまの意味だよ?」
「具体的に」
本当に感性で生きてる子だよこの子は。
「具体的? 本当に難しいことを聞くねぇ。そうだな、『無限の可能性』とはちょっと似てるけど違ってさ、自分の努力と執念次第で進む道も、そこでどこまで行けるかも変わってくるっていうか、なんか『可能性は未知数』って思ってれば自分の努力に委ねられる気がするから頑張れるような気がするんだよね。『無限の可能性』は受動的な気がするんだよね。無限と言いつつ用意されたものを選んでるっていうか。あくまで個人の感想だけど」
「凛子って本当面白いよなぁ」
「まぁウチらエスワン狙ってるからね?」
「俺は狙ってないけどな?」
久しぶりにそのネタ聞いたな。凛子は俺の返答を聞いて少しシュンとしていた。
「あくまでニュアンスの問題だけど、俺も凛子の意見には概ね同意だな。可能性は未知数。自分の、人の可能性を見限ったらそこで終わりだよな」
「そうそう、それは最悪。やっぱり人間いつまでも自分の可能性を信じていなきゃ」
「いいこと聞いたわ、ありがとうな」
そんな話をしていたら凛子の家の前に到着した。凛子に荷物を返すと、「重っ!」とどこから出しているかわからない野太い声を発していた。
凛子の背中を見送って、俺も家に向かって歩き始めた。
人間の可能性は可視化出来るものじゃない。俺は、俺達は自分を信じる力でどこまで行けるんだろう。佐野先生に気付かされた自分の怠慢、馬渕に突き動かされた情熱、凛子に渡された課題。今日は色々な事があった。
俺の可能性は、俺に掛かっている。
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