悪いな、俺今年から原付なんだ。

 自分の姿をよく見て、自分を表現することで何か見えたらいいなと。これは俺が自分の姿を見続けたいナルシストとかそういうことではなく、結構色々な往年の画家が何枚も自画像を残したことからフィーリングを受けた、俺なりの自分の探り方だ。


 描き方は静物デッサンと大差ない。鏡を見ながら構図を決めて、形を取って、描き込んでいく。自画像、特に顔は結構パーツの位置関係が難しいのでなかなか時間がかかる。俺も今日明日かけてじっくり完成させよう。


 自分の姿をよく見るのなんて、朝髪を直すときと自画像を描く時くらいだ。自画像を描くことで自分はこんな顔をしていたのかって描く度に発見があるのは面白い。往年の画家が自画像に凝っていたのも頷ける、妙な面白さだ。


 自分を知るにはまず見た目からというのもあるかも知れない。俺はそもそも自分の見た目に無頓着なところがあるからなんとかしないとな、とも思ったりする。


 だが見た目に気を使うというのは何をどこから手をつければ良いかもよくわからない。


 そう思うと美術部の他の面々は結構見た目綺麗にしてるよなぁ。


 部長は言わずもがな、元々の顔の造形もさることながら、制服の着崩し方もなんだかイケていて男の俺から見ても今っぽいし格好いい。凛子もいつもボリュームある長髪を綺麗に結ったりアレンジしていて小奇麗にしているよなぁと思う。馬渕もなんだかんだいつも可愛らしい髪飾りをしているし、私服も……可愛かった。


 俺、ひょっとして出遅れてる?


 私服はティーシャツにチノパンばかりだし、髪の毛は無難なツンツン頭だし、制服だって周りに合わせてなんとなく着こなしてるだけなんだよな。まぁ俗に言う地味系男子。もう少し何かに気を使うべきなんだろうけど……何から? どこから?


 雑誌でも読んでみるべきか。しかしああいうのは俺に似合うのかイマイチわからない。


 そもそも自分に似合うものを着ることが出来るというのがお洒落でありイケている証拠なんだろう。俺には何が似合う?


 ……そんな時のための自画像デッサンだというのか、荻野目進よ。


 俺は、とんでもない閃きをしてしまったかも知れないな。


 自画像を進める手に自然と力が入る。ここを乗り越えたら制作と共にお洒落にも気を配れる男子になってみせるぞ。


「先輩、集中しているところ悪いのですが……」


 声を掛けられ驚いて振り返ると馬渕がコピー用紙を持って立っていた。


「おう、どうした馬渕」


「構図はだいたいこんな感じかなと決めたのですが、下塗りの上にどう進めていけばいいかわからなくて」


「そうだな、今回からは色を考えないといけないから難しいか。そうだなぁ、俺は全体的に形と色を同時に進めてしまうな」


 馬渕が頭に疑問符を浮かべるのが見えたので、もう少しわかりやすい描き方を提案するか。


「あとはこのテレピンって書いてある瓶があるだろ? これは絵の具を薄める溶き油なんだけど、これでそれぞれの対象のベースの色を溶かして、うっすらと形を取ってから進めていくっていうのがあるな。馬渕にはそっちの方がわかりやすく進めていけるかもな」


「ほうほう」とテレピンの瓶を手に取り蓋を開けてみる馬渕。目を丸くした。


「なんだか良い匂いですね!」


「初めてテレピンの理解者が現れた……」


 俺は驚愕した。凛子にも両親にも理解されなかった、この芳しい香りの良さをわかる人間が現れるなんて……数ある溶き油の中で最も好きな匂いで、最近はこれしか使っていない。


 俺の発言にキョトンとする馬渕を見て、説明を続けなければいけないことを思い出した。


「あ、すまん。それで、溶き油はこの小さい油壺に入れて使うんだ。油壺はパレットに取り付けられるようになってるんだ。それで手元ですぐ絵の具を薄められるから。オーケー?」


「オッケーです!」


 馬渕は再び敬礼すると、足早に自身のイーゼルの前に戻っていった。


 さて、俺も自画像デッサンに戻るか。




 その後、自画像を描きつつ馬渕の質問に時折答えたりして、下校時刻を迎えた。今日は部長がいるから鍵を返すのは部長だ。


「部長もたまに一緒に帰りませんか?」


 そう声を掛けてみると、部長は首を横に振った。


「悪いな、俺今年から原付なんだ」


「いつの間に免許取ったんすか!」


「春休みにね、原付なら大学入ってからも役立ちそうだし。それに後輩達の仲睦まじい様は中に入って取り持つより外から眺めてにやにやしたいタチなんだ」


 にやりと俺と馬渕を見る部長に、あえて冷ややかな視線を送ってみた。


「変態……」


「自覚済みですよっと。じゃ、お前らも気を付けて帰れよ」


 部長はそう言うと、人差し指で鍵を回しながら去っていった。


 俺と馬渕は顔を見合わせ、どちらともなく歩き始めた。


「部長さんって、面白い人ですよね」


「馬渕、もう察しているのか。あの人はな、変態なんだよ」


 馬渕は「へんた……」と固まった。女の子に気安く発する言葉では無かったかな。


「そ、そういえば近藤先輩は最近見えませんが、制作の準備ですか?」


「ああ、凛子か。そうだと思うぞ。あいつも自分の世界に入り込むと結構ソレばっかりになる奴だから、今頃作品のイメージでも考えてるんじゃないか?」


 馬渕にとっては唯一の女子の先輩だから、やっぱり気になるんだろうな。


「先輩は、作品のテーマとか決めました?」


「んんー、実は決まっていないんだな、これが。それを探したくて今日自分を見つめる意味を込めて自画像デッサンとかやってみてるんだけどさ」


「気がつけばもうあと十日くらいですね」


「正直焦ってくるわな」


 馬渕は顎に指先を置いて少し考えると、何かを閃いたように俺の顔を見た。


「そういえば去年の、あのお魚の絵のテーマは何だったんですか?」


 先日馬渕に見せた、あの因縁の絵のことだ。馬渕はえらい感動していて、こちらとしては少し救われたが。あの絵のテーマか。


「あの絵のタイトルは『空白』で、テーマは『虚無感と悲しみの境界線について』だった。正直恥ずかしいからあんま言いたくないんだけどさ」


「かっこいい……」


 何故か瞳をキラキラさせて感動している馬渕。いやタイトルとテーマを言っただけなんだけどね。面白い奴だよ本当に。


「じゃあ、じゃあですよ。私が何か言うのは大変おこがましいとは思うんですけど、今年は爽やかというか、前向きなテーマで一枚描いてみてはどうですか? あの絵もとっても素敵だったんですけど、先輩の明るい雰囲気の絵も見てみたいなぁ、なんて」


「前向き、ねぇ」


 目から鱗な意見だったので俺は思わず感心してしまった。


 前向き、と言われて真っ先に浮かんだワードがあった。でも、これを言ってしまったら少しどころじゃなく恥ずかしいし、何より今これを口にしてその方向で確定してしまったらなんとなく自分にやれるのか不安になる気がするので止めておいた。


「そういえば、俺はあまり前向きなテーマで絵を描いたことがないな」


「レアな先輩が見られちゃいますかね?」


「まぁほどほどに期待しておいてくれ」


「はい!」


 まだそういうテーマで書くとも言っていないのに、なんてポジティブな奴なんだ。


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