近藤凛子は押しかけワイフ

赤裸々にな!

「さて、吐いて貰おうか。土曜日のことを……」


 月曜の昼休み。教室で仁王立ちした凛子は椅子に座らされた俺に向かってシャーペンを勢いよく突きつけると、


「赤裸々にな!」


 くわっと聞こえてきそうなくらい、身に迫ったように目を見開いた。佐々木はそんな凛子と俺を見ながら「いけいけ近藤ー」と気だるげな拍手を送っている。ちょっと佐々木さん、先日圧倒的に俺の味方といえそうな電話したばかりじゃないですか。


「赤裸々ってなんだよ」


 俺がそう問うと、佐々木がスマホをいじりながら答えた。


「ぐぐった結果、赤裸々は……体に何もつけていないさま、まるはだか」


「佐々木、俺はそういうことが言いたいんじゃない」


「包み隠しのないこと、あからさま。この場合は後者の意味が適しているな」


「いや流石にそれはわかるから!」


 凛子が痺れを切らし地団駄を踏んだ。


「男子、無駄話をしない! 今は進の赤裸々をなんとかしないと!」


「凛子さんや、俺は紛れも無く制服を着てるからね?」


 一部に誤解を受けそうなとんちんかん発言は控えていただきたい。


「とにかく! 進とまこりんがいつの間にそんなに仲良くなったのか、二人きり絵の具臭い部屋で何をしていたのか、そこを聞かなきゃいけないの!」


「俺イチオシの画集見て馬渕おすすめのアニメ見ただけだけど」


「あーもう!」


 凛子は再び地団駄を踏んだ。凛子が大声を出すたびにクラスの皆が驚いたようにこっちを見てくるから静かにして欲しいのだが。


「超楽しそう! 私もまこりんとアニメ見たかった!」


 やはり怒りのポイントはそこだったか。俺は馬渕が来る旨を伝えずに凛子に用事の有無を聞いただけだったからな。少々言葉足らずだっただろうか。


「まこりんが来るって知ってたら絶対まこりん優先したのに!」


「まぁ来週にでもまた遊べばいいんじゃね?」


「来週は作品制作してると思うから無理……」


 今度は肩を落とした凛子。本当に表情豊か過ぎて見てて飽きない奴だ。


「制作終わったら絶対皆で遊ぶんだからね! また二人でこそこそ遊んだら……」


 再びシャーペンを俺に突きつけた。


「栞先生の高そうなお茶をさりげなく進が飲んでること、言いつけるからね!」


「生命の危機だな?」


 凛子の方が飲む頻度高いじゃんかよ。


「わかったならよし!」


 そうして俺は無事解放された。凛子は「興奮したら近くなったじゃん」と年頃の女子らしからぬ問題発言を置いてトイレに走って行った。


 佐々木はその後姿を見ながらぼそっと言った。


「面白い奴だよなぁ」


「かれこれ十六年まったく本質がブレないのはあいつの強みだな」


 俺は妙な精神疲労を飛ばそうとひとつ伸びをした。




 俺と凛子の両親は俺達が産まれる前からの付き合いで、俺達は記憶が定かでない頃から一緒に遊ぶ仲だった。互いの家は徒歩一分も離れておらず、よく一緒に公園やら互いの家で絵を描いたり積み木で謎のオブジェを作ったりして遊んでいた。俺はその頃から絵を描くのが好きで、凛子は積み木でオブジェを作るのが好きだった。互いの両親はそれを見ていて俺達に才能を見出したのか、二人一緒に隣町の絵画教室に通わせ始めた。立体作品を作る基礎になるのも、立体的に対象を捉える視点を養うデッサンだ。凛子の両親は娘の才能を娘自身の実力にしたくて、わざわざ芸術誌で勉強して絵画教室に通わせることを決め、また俺の親にも勧めてくれたのだった。


 そうして立派に美術に夢中な少年少女になった俺達だが、やはり月日が経つにつれて互いのタイプというか、性質の違いに気付き始めてきた。凛子は直感で自分が美しいと思ったものを勢いで作るタイプ。俺は頭でこねくり回して閃きを待ちじっくり作品を作るタイプ。凛子はどう思っているかわからないが、俺は凛子のようなタイプの芸術家に憧れるし、羨ましいと思ったりする。そっちの方が目と心と手が近い気がするからだ。


 たとえ幼い頃服が真っ黒になるまで泥団子をぶつけられた記憶があっても、苦手だったブロッコリーを「克服しなさい」と山のように食わされた記憶があっても、凛子と幼馴染として仲良くしているのはそういった凛子のブレない姿勢や性格に強い憧れがあるからだと思うのだ。お陰で今はブロッコリーが大嫌いだけど。


 中学生の時あまりにもいつも凛子といるから、周りに「付き合ってるんだろ」とよくある冷やかしをされて、二人で「本当に付き合ってみるか?」と話し合ったこともあった。でもお互いそういう目で見られないままキスをしようとして結局大爆笑してしまったということもあった。今思うとあれも中々すごい体験だ。


 あの時キスしてたらどうなっていたんだろう、と思う時もあったりする。しかし、なるべくして現在があるんだろうから、あまり深く考えはしない。


 こういうことに考えを巡らせると浮かぶのは、土曜日の帰り際に馬渕の手を思わず握った自分についてだ。俺はあの時確かに思っていたんだ「このまま行かせちゃいけない」って。でもその気持ちを浮かばせた情念はどういったものなのかは霞がかっていてイマイチ見えない。


 まぁ今はそういったことを考えるより目の前の作品制作と馬渕のスキルアップに重きを置いていかなければいけない。放課後美術室に向かう道すがら、俺は心の中でそんなふわふわした思いの正体をたぐり寄せようとしたり、足元を見たりして、結局どれも中途半端なまま歩いていた。辿り着いた美術室の前には鍵を開けようとしている部長と、馬渕の姿があった。


「あ、部長鍵ありがとうございます。うっかりしてました」


「いや、いいんだ。制作がなんだか煮詰まっちゃってさ。今日は初心に帰って軽く水彩画を描いてみようかと思って」


 部長も煮詰まることがあるんだ。いや、人だし当たり前だろうと思うけれど。それでもテーマすらまだ決まってない俺よりは前進してるしすごいよなぁ。部長の強みは計画的かつ冷静に作品を制作できる職人肌なところだと思う。


「あ、それともお邪魔だったかな?」


 部長は俺と馬渕を交互に見てにやりと笑った。部長の困ったところは自分の事はほとんど話さない割りに他人の色恋沙汰が好きすぎるところか。


「なんでそうなるんですか、早く入りますよ部長」


 部長は一瞬つまらなそうな顔をして、美術室の扉をガラガラと開けた。俺と馬渕は部長に続いて美術室に入った。


 早々に自分の準備に入っている部長を見て、手持ち無沙汰におろおろする馬渕に俺は声をかけた。


「馬渕、早速だけど今日から油彩の練習をしようと思う。大丈夫かな」


「あっはい! お手柔らかによろしくお願いします」


 馬渕、いつも通りだな。いやいつも通りじゃなきゃ俺が困るけど。


「あ、馬渕さんやっぱり油彩に挑戦することにしたんだ」


 部長が対象になる静物を選びながらそう声を投げかけてきた。


「はい、今日初です」


「油彩は水彩より自由が利くし、自由に楽しむといいよ」


「ありがとうございます!」と頭を下げる馬渕に部長は微笑を投げかけ、また静物を選びに戻った。俺も馬渕の描く対象を選ばないと。


「馬渕は描きたいものとかあるか?」


「林檎……ですかね?」


「なるほどわかった」


 それから俺は林檎を中心とした構図が取れるように、木の枝と円筒形の石膏を選んで、白いクロスを被せた机に配置した。そして馬渕をイーゼルの前に座らせ、あらかじめ木枠に張ってあった小さめのカンバスをイーゼルにセットした。馬渕が息を飲むのがわかった。


「まぁそんなに気張らずにな。今日は俺の道具貸すから、気軽に描いてみてくれ」


「えっお借りしていいんですか? 絵の具減っちゃいますよ」


「別に大量に持ってるからこの程度のサイズのカンバスに使う絵の具が減っても痛くも痒くもない。筆折らなきゃなんでもいいよ」


 とはいっても油彩はデッサンとは少し話が違う。その辺を説明しておかなければならない。


「まずカンバスに下塗りをしておこう。それでそれが乾く間に構図のアイディアをこのコピー用紙に描いておくと効率がいいぞ」


「直接描くんじゃないんですね」


「そうする人もいるけど、初心者はまず王道の描き方がいいな。だいたい最初に下塗りとして塗られるのは黄土色とかオレンジなんだけど、馬渕は何色を下地にしたい?」


 馬渕は少し考えたが、王道に従うことにしたのか「オレンジで!」と勢いよく返事した。


「油彩は乾かしながらゆっくり制作するものだから、今日明日全部使って完成を目指そう。俺も横で自画像デッサンしてるから、詰まったらいつでも声掛けてくれ」


「わかりました!」と敬礼する馬渕。本当に拍子抜けするほどいつも通りだな……なんで俺は少し焦りを感じているんだろうか。俺だっていつも通りのテンションで接している筈なのに。


 とりあえず自分が描きたいものを探る意味も込めて、俺は自画像デッサンをすることにした。

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