天才画家ってヤツですか!?

 俺がどうしたいか。俺が馬渕とどうなりたいか。


 そんな深刻に悩むことではないかも知れない。でも俺には今回の件は俺と馬渕の関係を変えかねないことのように大きく思えた。


 取りあえず帰って一息ついてから、自室に乱雑に置かれた画集や画材を整理した。よくよく見るとこの部屋汚いな。本当に今日来させないでよかった。


 整理のつもりが掃除に発展し、深夜にまで及んだ。


 午前一時。たまたま中学生の時買った画集を見つけ読みふけっていると、ドアがノックされた。「どうぞ」とドアの外に聞こえるように声を上げると、入ってきたのは父さんだった。父さんは部屋の中を見回し、整理されていることに気付くと「おぉ」と小さく言った。


「進が部屋の掃除なんて珍しいな。春の作品展に向けて気持ちの整理でもしてるのか?」


 そう言われると、女の子が来ることを気にしてこのようなことになっている自分がひどく小さく思えた。だが俺は父さんには本当のことを話しておこうと思った。我が家の家庭は割りと仲が良いのだ。


 馬渕が明日来ること、それについて戸惑って佐々木に相談してアドバイスを貰ったことなどをかいつまんで話すと、父さんは何故か嬉しそうに聞いていた。


「どうしたんだよ父さん、にやにやしちゃって」


「いや、進が芸術以外の青春もちゃんと送ってるんだと思うとなんか嬉しくなってな」


「青春?」と俺が問うと、父さんは特に答えることもなく続けた。


「その馬渕さんって子はどんな人なんだい?」


「まだ一週間くらいしか関わりを持ってないから深くは知らないんだ。ただ俺が見てもわかるのは、超がつくくらい真っ直ぐな奴ってことかな。あと小さい、これは見た目の話だけど」


 父さんはベッドに腰掛けると腕組みをして「そっかぁ」と相槌を打った。


「家に凛子以外の女の子が来る日が来るなんて想像もしてなかったな。明日仕事で馬渕さんの顔が見られないのが残念だよ」


「父さん、なんか勘違いしてそうだけどちゃんと話聞いてたよね?」


「だって気になるじゃないか、息子に懐いてくれた女の子がいるなんて」


 懐いたという表現は馬渕に失礼かも知れないが、なんだかとってもしっくり来ている気がしてしまった。


「さて、進が部屋でゴソゴソしてた理由もわかったし、朗報も聞けたし俺は寝ようかな。進も明日があるんだから早く寝たほうがいいぞ」


「ああ、わかった」


 父さんが部屋を出たのと同時に、俺も画集を仕舞って寝ることにした。

 さて、明日はどうしようか。



****



 駅の待合室でぼんやりしていると、馬渕と連絡先を交換していないことに気付いた。待ち合わせの時間と場所を決めて安心してしまって、大事なところを失念していた。これでは馬渕に何かあった時連絡が取れない。降りる駅さえ間違えなければ、小さな駅だしすぐに会えると思うのだが。


 しかしそんな心配はやはり杞憂だったようで、待ち合わせ時間になったら寸分の遅れも無く馬渕は現れた。シャツワンピースにレギンスというカジュアルな服装だ。俺は小さく手を上げて馬渕を迎えた。


「よっ」


「こんにちは! 今日はよろしくお願いします」


  深々と頭を下げる馬渕。


「いやいや、そんなにかしこまるなよ」


「いえいえ! 昨日母に今日のことを話したら先輩には敬意を云々指導を頂いたので。本来なら今日の流れも異例中の異例と知りまして、なんか申し訳なくなっちゃって……でも私のわがままを快諾してくださった先輩にはとっても感謝しています!」


「いやいやだからかしこまり過ぎだって。もっと普通でいいから」


「いえいえ」


「いやいや」


 やっぱり馬渕も緊張しているんだ。話し方や挙動の固さからもそれが伝わってきた。


 ずっと駅で立ち話していても絵は見せられないので「そろそろ行くぞ」と俺は歩き出した。すると馬渕もちょこちょこと後ろをついて来た。


 歩きながらチャットができる通話アプリでの連絡先を交換した。馬渕のアイコンは何やら佐々木が好きそうな可愛らしいアニメ調の女の子のバストアップだ。ステータスメッセージは「ぐむぅ! 美術は楽しい!」とあった。何か色々突っ込みたいが、とりあえず今広がりそうな話題としては……。


「馬渕ってアニメ見るの?」


「はい! アイコンは好きなアニメの女の子なんです」


「へぇ、ちなみにこのアイコンのアニメは?」


「あ、これは一年位前にやっていた魔法少女のアニメで……」


 それから馬渕の魔法少女トークが始まった。幼少期に魔法少女にハマるきっかけになった朝のアニメ、最近のシリアスさを増していく魔法少女アニメに対する苦言と分析、その中でも唯一良かったアイコンの魔法少女アニメの魅力。口が休むことが無かった。


「……なんですけど、プリズンウィッチは主人公のカレンの前向きさが、いかにも私が好きで憧れる魔法少女そのもので、昨今の深夜アニメの魔法少女モノとは一線を画しているというか。恐らく私みたいな魔法少女を夢見る層も意識して作られたんだと思いますけど、とにかく面白くて……」


「馬渕、着いてしまったぞ」


「ほぁあ!」


 馬渕の叫びがこだました。


「まぁどうぞ。ちょっと汚いかも知れないけど」


「すみません……すみません、お邪魔します……」


 階段を上がり部屋に通す。馬渕のマシンガントークのお陰で俺も少し緊張が解けたような気がする……が、馬渕はずっと頭を垂れて震えていた。


「馬渕、大丈夫か? まぁ座れよ」


 馬渕は震えながら座布団にぺたんと座った。少し怖い。


「大丈夫じゃないです……」


 だろうな、震えてるもんな。原因は察しがつくけれど。


「馬渕にも夢中になれるもの、ちゃんとあるじゃん。なんか俺安心した」


「ちが、違いまして……その……」


 馬渕はやっと真っ赤な顔を上げた。


「うぅ、先輩が話しやす過ぎるのがいけないんです」


「そうかそうか」


「うぅー」


「お茶とかコーヒーとかしか無いけど、何か飲む?」


「あっじゃあお茶でお願いします」


「わかった。適当にくつろいでて」


 と、馬渕を残しお茶を淹れに台所へ。適当な茶菓子も見繕って二階の自室に戻った。


 部屋に戻ると、馬渕は俺の本棚に興味津々な様子で、本棚の前に立って難しい顔をしていた。「馬渕、麦茶持ってきたから置いておくぞ」


「あっはい、ありがとうございます。先輩って漫画とかはあまり読まないんですか?」


 なんとなく馬渕の隣に立って一緒に本棚を見つめてみる。確かに漫画は殆ど無いな。


「漫画は凛子や佐々木から借りるので事足りてる感じだな。本屋でカバーデザインが気に入ったものは買っちゃうけど」


「なるほどー近藤先輩ってどんなの読むんですか?」


「凛子の趣味は結構謎が多いんだよな。『雰囲気が合うもの』が基準らしいんだけど、めちゃくちゃ男臭いバトル漫画読んでると思ったら少女漫画にキュンキュンするとか言い出したり、社会派? なのかよくわからんけど固い雰囲気の漫画も読んでたりするしな。雑食なんだ」


「ほへー私も今度おすすめ聞いてみようかなぁ。私は少女漫画に偏りがちなので」


「いいんじゃないか。実は今日凛子も誘ったんだけど先約があって駄目だったんだ。また部活の時にでも話してみれば」


 これは実は事実で、午前に凛子と部長にそれとなく今日の予定を聞いていた。結果は二人とも遊びに行くだとか、買い物だとか、予定が入ってしまっていた。それで色々諦めた。


「主に並んでるのは画集だな。あんま色々見られると俺が影響受けた画家がバレそうで少し恥ずかしいけど……勉強になると思うし見てみてもいいぞ」


「これは……」


「いきなりそれを手に取るとはお目が高いな」


「なんか……なんかすごい、表紙だけで迫力とも退廃的とも言える……すごいですね」


「そうか、怖いって言うかと思ってた。この画集は中学の時友達に見せたらドン引きされた」


「正直少し怖いです」


「気になったなら開いて見ていいぞ」


 馬渕は先程座っていた座布団に再び座り、画集をめくり始めた。


 ゆっくり、ゆっくり画集を捲る馬渕。時折手が止まって眉間に皺を寄せたり、覗き込んでみたり。馬渕がどういった感情を抱きながらこの画集を見ているかはわからない。傍から見ている立場の俺には、それはピンと張った糸のどこにマッチの火を当てられるかわからないような、少し不気味な緊張感が与えられた。


 画集は二部構成になっている。一部は絵画の写真が一ページずつ載っていて、二部は載っていた絵画の詳細や解説だ。解説ページに進んだ馬渕は突然目を丸くして声を上げた。


「この画家さんは今も活動されてる方なんですか? 一枚一枚とても最近なんですね」


「ああ、今まさに現役だよ。ていうかその画家は俺と同い年なんだ」


「えっ」


 画集から顔を上げた馬渕は口も目もまん丸だ。


「天才画家ってヤツですか!?」


「海外のイベントでもガンガン作品発表してるし、そう騒ぐ大人も多いな」


 天才画家、という表現が少し引っかかったが馬渕も深い意味なく発したのだろう。

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