荻野目進はオイリーマン
典型的女王様系黒髪美女教師。
佐々木慶治という友人とは一年の付き合いになるが未だにどこか読めない奴だ。長身でふくよかな体型だがスポーツ課目では俺以上の活躍を見せる、いわば『動けるぽっちゃりさん』で女子からも『ささぷー』の愛称で親しまれているクラスのちょっとしたマスコット的存在。本人がそれに関してどう思っているのか、いつもはぐらかされてよくわからないが絶対に悪い奴ではないと思う。
そんな佐々木とは一年生の時、選択課目の美術で知り合って時々話すようになり、今年のクラス変えでお互いつるむ友人もいなかったからなんとなく行動を共にするようになった。佐々木はどこか落ち着いた雰囲気を持っていて、一緒にいて疲れない丁度良い距離感を把握しているように感じる。向こうが俺をどう思っているかはわからないが、こうして横でくだらない話をしてくれるということは嫌われてはいないのだろう。
「春だなぁ」
購買への道すがら、廊下の窓の外を見つめてそう言った今日の佐々木はどこか物憂げ。
「どうしたつまんなそうな顔して。春のアニメが不作だったか?」
そんなことを尋ねてみると、佐々木はため息をついた。
「違うんだ荻野目。いい線ついてる作品が割りと多くて寝不足なんだ」
「ほう。雰囲気いいアニメあったら教えて」
佐々木はアニメや漫画、ライトノベルやゲームなどの文化をこよなく愛している。時々おすすめを聞いて見てみたりするのだが、佐々木とは趣味が合うのか結構ハズレがない。佐々木におすすめされたタイトルをスマホのメモ帳に書き込む。そうこうしている間に購買へ到着。
焼きそばパンとメロンパン、牛乳という鉄板セットを無事手に入れ教室へ戻る。席に座り焼きそばパンの封を開けながら俺達は世間話を続けた。
「そういえばさ、なんか後輩とか同級生とか、女の子の世話というか師匠? を任されちゃったっていう内容のアニメとかってある?」
「師匠、という展開はともかく世話なら結構あるな、現時点でも数作浮かんだ。ライトノベルならごろごろあるんじゃないか?」
ライトノベルか……疎いオタク文化の中でも特に疎いジャンルだな。
「それがどうした」
「いや実はさ、美術部で後輩の面倒見るようにって佐野先生に押し付けられちゃって」
「あの典型的女王様系黒髪美女教師にか」
「よく噛まずに言えたね?」
「まぁ悪い子ではないんだろう?」
「勿論。ただ面倒見るって言っても美術って結局己との対話だろ? 俺に何を教えろっちゅーねんって思っちゃってさ」
手の動かし方が十人十色で違うように、絵の雰囲気も皆違うし、そこに合わせた上達方法も変わってくる。俺にどう教えろというのだ。
そんな感じのことをぼやく俺を尻目に佐々木は牛乳であんぱんを流し込んでから口を開いた。
「でも、それがわかっているだけ荻野目は十二分にその後輩に教えることがあるだろう」
俺が疑問符を頭の上に浮かべていると、佐々木は続けた。
「荻野目がこうすればうまくなる、という確固としたやり方が全ての人間に当てはまると思ってる人間だったら、その後輩は恐らく絵を好きになれないだろう」
「ああ」なんとなく伝わった気がした。
「もっと自信を持て」
ありがたい言葉だ、素直にそう思った……矢先、ご機嫌な鼻歌が俺達のもとに近付いてきた。何故か佐々木を『ささぷー』と呼ばない唯一の女子だ。
「進、ささきゅん何話してるの?」
そして俺のご近所さん、凛子だった。
「荻野目の人生相談に乗ってた」
「進はいっつも人生について悩んでるね……?」
哀れみの目で見ないでくれないかな凛子さんや。俺が可哀相な子みたいだろ。
「違うよ、美術の世界の多様性を受け入れるってのは何たるか語ってたんだ」
誇張表現では無い。はず。哀れみの視線をなんとかしようと思ってそんなことを言ってみたのだが、悲しいことに凛子には逆効果だった。
「進はちょっと考えすぎなのよ」
目を逸らしながら肩をぽんぽんされた。可哀相どころか引かれた気さえする。無情。
「まぁざっくり言うと美術部の新入部員についてだな」
佐々木がばっちり話の軌道を戻してくれた。
「あーまこりんか。まこりんならさっきからそこにいるけどそこら辺の話題?」
「は?」と扉の方を見ると、確かにそこに馬渕がいた。小さいけど、小さい故に高校では目立ってしまっている。
「凛子お前気付いてるなら声くらい掛けてやれよ……」
「いや掛けたよ? 進に用事みたいだったから今呼びに来たんじゃん」
呼びに来たつもりだったのかよ……と凛子のマイペースさに呆れながら俺は残った牛乳を飲み干して遠目に見ても震えているとわかる馬渕の元へ向かった。
「お、荻野目先輩!」
俺を見つけるや否や安堵の表情を見せた馬渕。上級生の教室に来るというのはやはり緊張するものだ。俺も三年の教室はなかなか行けない。しかしそんな勇気を出してまで来たというのは何か緊急の用事があってのことなんだろう。
「ばば、ばふ、場所を移してもいいでしょうか?」
確かにここだと馬渕が緊張して話にならなそうだ。俺達は美術室に移動することに。
特別教室棟への渡り廊下に差し掛かると人気もまばらになり、馬渕の緊張も解けたようだった。「ふぅ」と小さなため息が聞こえた。
歩きながら馬渕が話し始めた。
「先程佐野先生に入部届けを出したら話をされまして」
ロクなことなさそうな案件だなぁと思いながら続きを待つ。
「春の作品展に出品しなさいと命令を受けまして」
「……は?」
本当にロクなことじゃなかった。
「それでそれで、その『高校芸術祭』についてスマホで調べたんです。そしたら全国規模の大きな作品展って聞いて、それで!」
「不安になって俺のところに来たと」
馬渕は辿り着いた美術室の扉に手をついて「はぁぁ~」と大きなため息を漏らした。
あまりにも話が突飛な上に非現実的過ぎて正直俺もため息をつきたかった。あの教師は本当に美術が何たるかをわかっているのだろうか。とりあえず美術室に連れ立って入る。
馬渕をその辺の椅子に座らせる。ちょこんとかしこまったように座る馬渕はまだ完全には美術室の雰囲気に慣れていないようだった。
作品展の規模自体はそれほど問題じゃない。馬渕はゼロだ。規模の大きい作品展、全国から集まった多種多様の作品に触れることはむしろ馬渕にはプラスになるだろう。ただ見に行くだけなら全然良いと思う。問題はもっと根本的なところにあって。
「馬渕はどんな絵を描きたい?」
「……えっ」
そう、馬渕はゼロだ。先日のデッサンでもまだ一に遠く満たない限りなくゼロに近いゼロなんだ。自分のスタイルも見えていないしそもそもやりたい技法もわかっていない。そんな子に今から作品展に出す絵を描けだって? あの教師は本当に大丈夫なのだろうか。
「ま、まだ美術とか芸術とか見始めたばかりなので、なんとも」
「だよな」
予想通りの返答が来た。これは一度佐野先生に抗議をするべきだ。横暴が過ぎる。
****
「馬渕は『考えさせてください』と言った。決して『無理』と言わなかった。無理と思わないことにはどんどん挑戦するべきであると判断した。だから命令をした。荻野目は優しそうに振る舞っているつもりかも知れないが、馬渕の実力を潰しにかかっているようにしか見えないな」
「育てるつもりがあるから作品展は来年から挑戦しても良いのではと提案をしたんです」
放課後の美術準備室。俺と佐野先生は二人で話をしている。部長と凛子は今日から作品制作に取り掛かるため各々の活動に入り始めた。馬渕は一人デッサン中。
「そもそもいきなり作品展に出すレベルの作品を作るのが難しいと一番理解してらっしゃるのは先生の方なのではないですか? なんで今回こんな横暴な手段に出たのか理解に苦しむんですが……」
「私が言ったのはいきなり『大作』を制作できる人間は稀、ということだ。何も馬渕にいきなり総理大臣賞を取れなんて言っていない。ただ作品を作って出品しなさいと言ったんだ」
佐野先生は椅子の上で脚を組み直した。
「私は先日の馬渕のデッサンを見て『この子ならできそうだ』と思ったからそう声をかけたまでだ。馬渕のあの集中力と丁寧な姿勢は現在の美術部の中でも群を抜いている。お前もそう思っただろう荻野目。荻野目はただ不安なだけ。ゼロの馬渕を一へ導く自信が無いだけだ」
何も言い返せなかった。佐野先生が図星を突いてきたからだ。
「……俺は油彩しか教えることができませんが」
「それでいいんだ荻野目」
佐野先生が腕を組んでにやりと不敵な笑みをこぼした。悪魔のような笑顔と言うのは本当にこのことだと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます