第2話 蝋燭と導師様
世話役は部屋を出るとまっすぐに導師様のお部屋がある上階に向かっているようだ。廊下は迷路のように入り組んでいるが、導師様の部屋には何回か面談で連れて行かれているので、大まかな方向は流石に分かる。
階段を上ると、さすがに緊張で手が汗ばんできた。ご褒美だと良いのだが、罰を受ける何かをしただろうか。大股で歩く世話役の後ろを早歩きでついて行きながら、ここ数日の行動の記憶を反芻する。
ノッカーに金細工の縁取りがある扉の前で世話役が止まった。世話役がノックしながら、「導師様、98番様をお連れしました。」と声をかける。
ドアが少し開き、中から側仕えらしい女性が顔を覗かせる。世話役と小声でやり取りした後、こちらに向かって「どうぞ。」と小さく促した。世話役が扉の前に控えたことを確認し、側仕えについて入室する。初めて入ったときは部屋の中にまた扉があることに戸惑いがあったが、今は気にしていない。前室を突っ切り、執務室の扉の前で深い礼の姿勢をとる。
「導師様、お呼びの98番です。」
側仕えの女性が奥に呼びかけると、すぐに入室許可があり、扉が自然に開いて行く。この先には1人で入らなければならない。
「失礼いたします。」と丁寧に声をかけ、入室すると、扉が閉まった。ご丁寧に鍵まで自動でかかる。僕が知っている限り、鍵が自動なのはこの部屋だけだ。僕たちの部屋はそもそも部屋を区切る扉がないので出入りは自由だし、世話役の部屋の鍵は世話役たち自身が常に腰に下げている。
閉まった扉の前で、執務机の方を向いて再び礼の姿勢をとる。薄暗い室内に目を慣らそうと下を向いたまま何度か瞬きをすると、導師様が立ち上がる音がした。
「98番、こちらにいらして、お座りなさい。」
導師様の青い衣装に縫い付けられたビースがキラキラと蝋燭の明かりを反射している。袖が長いドレスを纏った導師様が艶やかに微笑んだ。僕はぼぅっと目を惹きつけられながら、指さされた丸椅子に腰掛けて姿勢を正す。
導師様が僕の対面に置かれたソファの淵にそっと腰掛け、肘掛の片側に軽く体重を預ける。部屋の中は薄暗く、複数の蝋燭が壁際に並んでいる。サイドテーブルに置かれたくすんだ金の燭台の蝋燭は、うっすらと紫色に染まっていた。心なし炎まで紫に見える。蝋燭の炎に目を奪われていると、導師様がため息をついたのが聞こえ、慌てて姿勢を正した。
「其方の心に、感情の揺らぎを感じたので、こうして呼んだのです。」
ヴェールに隠れて表情はほとんど見えないが、導師様は目を伏せたまま、僕にそう告げた。しっとりとした声が耳を打ち、無意識に震えが走る。
「本日の午後のこと、何か禁止されている行為を考えていたのではなくて?そう、希望とか興味心、感動かしらね。うふふ。」
導師様はいつも人の心を見透かすのだ。僕は何も返事ができないまま、罰を恐れ、ただ固くなっていた。導師様以外のものを綺麗だと感じることは不敬であると分かっていたにも関わらず、何故か今日は壁の美しさに心惹かれてしまった。そう、その塀の向こうに興味を持ってしまった。空が綺麗だと、あの空はどこまで続くのかと感情を揺らしたのだ。罰として地下に閉じ込められれば、しばらく光を見ることができない。
「良いわ。もうそんな時期だもの。其方を罰するために呼んだわけではないの。」
導師様の唇が軽く弧を描く。艶やかな瑞々しい色合いに目を奪われる。もう何も考えることはできない。全く動けないまま僕は導師様を見上げて問いかけた。
「で、では、どのような・・」
「進級させたいの。其方の感情の揺らぎの振幅は私たちにとって有益だもの。まだ年齢が足りないことは分かっているけれど、ふふ、優秀だわ。」
導師様の仰ることがほとんど理解できないが、ひとまず褒められていると感じ、気分が一気に上向く。頬と耳の先端が少し熱い。
「あ、ありがとうございます。」
罰せられる可能性も考えていたので、焦って立ち上がり、軽い礼の姿勢をとる。
導師様は笑みを深くしながら、軽く手を振り、着席を促した。
「良いわねぇ。世話役たちでは、こんな強い感情は得られないもの。ちょうど不足していたのよ。ちょっとした欲張りさんがいるから・・あの人にも困ったものね。」
内容は理解できないが、導師様が満足げに笑うので、僕も嬉しくなる。
「明日から其方を最上級組に進級させるわ。中央塔でのお仕事に励んでちょうだい。詳細は世話役に。」
「はっ。確かに承りました。失礼します。」
扉を開けてくれた側仕えに目礼して部屋を出る。閉まりかけた扉の隙間から燭台の薄紫のロウソクを吹き消す導師様の姿がちらりと見えた。
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