四人の新人 4

 帰宅の足は、恵ちゃんが運転してきた車に乗せてもらうことになった。話をしてみると恵ちゃんとは勤めている薬局だけでなく住んでいる場所もわりと近いということがわかった。同じ市内でも帰る方向が違うシロと上原さんとはラインの連絡先を交換してから別れた。学生の時とは違い、今の私達には週五日かそれ以上の労働時間がある。次に彼女達に会うのはいつになるのか、今はまだ予想もつかなかった。


「まさか、住んでる家まで近いとはねぇ」


 運転をしながら恵ちゃんが言う。家が近いと言っても、詳しい位置を教えてもらうとそこは車を使わなければ少々辛いくらいの距離だ。車社会の中で暮らす人が持つ感覚が垣間見えた。


「あー、やっぱり渋滞。これは帰るまで一時間超えるか……」


 行きの時よりも車の数は激増していた。時刻は夕方の五時に近い。電車の無い地域ならば、都市部に車で通勤で行き来するのが多くの人々のライフサイクルとなっている――今までの人生をずっと東京でしか過ごしていなかった私には、ようやくそういった事情を察したのだった。

 助手席に座っていた私はなかなか前進しない車の窓から、道路際の光景を眺めていた。


「こっちの生活には慣れた?」


「色々驚くことはあるけど、少しはね」


 その一つ――一軒家の表口には大抵、一対のシーサーの像が当然のように座っていて、アパートやマンションにも建物の名前の横にシーサーのイラストが描かれていたりする。この土地の当たり前の風習が、私にとっては驚きと発見の連続なのだ。

 窓の外の看板のいくつかが私の目に留まる。


「シロアリにお困りならこちらの番号へ……」


「ああ、シロアリの業者、わりと多いよ」


「琉明館、空手道場……」


「空手ねぇ、私も小学校のころ兄貴達と一緒に少し行ってた」


「お兄さんがいるんだ」


「上に二人。私は末っ子で三兄妹。依吹は?」


「私には妹が一人」


「妹の齢は?」


「十八」


「うわ、若い。JK?」


「ううん、四月から大学に行ってる」


 もう少し細かく言うならば、行っている大学は夜間部で、大学の他に力を入れていることがあるのだが、一応黙っておこう。


「そういやさ依吹、あの薬局」


「あの薬局って、どの薬局?」


「依吹の薬局のこと。何で『スノー』なんだろうね? ここ沖縄なのに」


「……言われてみればそうだね。そのうち社長に訊いてみるよ」


 『スノー』の名前は正直あまり深く気にしたことがなかった。命名したのは社長だろうから、訊く機会が来れば由来もすぐにわかるだろう。

 恵ちゃんから質問されっぱなしだったので、次は私の番。研修が始まる前に恵ちゃんと非常に親しげにしていたシロこと城間千秋さんとの関係を訊いてみた。


「シロは高校の時に一緒で、校舎に入ってきた黒猫に『シロ』って名前を付けてた天邪鬼があいつ。卒業してからは指定校推薦で九州の薬学部に行った。お互い学校の成績は良いほうだったからね」


「そもそも何で黒猫に『シロ』だったの?」


「それは聞いたことがないなぁ。あいつの家、親が離婚して高校を出るまで母親と二人暮らしだったから、あのへそ曲がりのネーミングもそのあたりが影響してるのかもね」


 人懐っこく、すぐに他人と打ち解ける気さくな印象の彼女だったが、色々と抱えていることがあるようだ。


「そもそもの話なら私もまだ訊きたいことがある。依吹はどうしてわざわざ沖縄の薬局に?」


「私が小さいころ、沖縄から来た薬剤師って言ってた女の人が家に少しだけ住んでてね。それが一番最初のきっかけ。でも決め手は大学の就職説明会に今の薬局の先輩と社長が来てたこと。これはもう、運命的な何かだと思ったよ」


「実家は民宿か何かなの?」


「そういうのじゃなくて、たぶんその人、居候……だったのかな?」


「知らない人間が居候……軽くホラーな匂いがする」


 そりゃあ、にわかには信じられない話だろう。ホラー扱いされても仕方がない。


「その人は今どこに?」


「うちを出ていく時は沖縄に帰るって言ってたとかもしれないんだけど、よく覚えてないんだ。それに、その人の名前も……忘れちゃって」


「母親とか父親はさすがにその人のこと知ってるでしょ? 訊けばどこの誰なのかくらいわかるんじゃあ……」


「それがさ、二人とも、そんな人はいなかったって言ってるんだよね」


「え、何それ? じゃあ依吹の記憶違い?」


「それもないと思うんだ。その人から図鑑をもらったんだ。生薬の子供向けのやつをね」


「物的証拠があるのにそれか。ますますホラーじみてきた」


 『あの人』が家を出るときくれた生薬図鑑が、もはや唯一の手がかりで、繋がりだった。『あの人』は決して幽霊だとか、私の夢で見た人物でもないはずだ。もう一生会えないのかもしれないけど、きっと私はそれを確かめたかったのだ。


「その人、もう沖縄にいないかもしれないけどさ、もしばったり会ったら何て言うの?」


「何を……そういえば、何も考えてない。どうしよう?」


「まだその人が県内に居れば、何年か後にそのうち見つかるかもね。赤の他人でも、自分の親戚の誰かとうっすら繋がりがあったりすることがよくあるから。ま、それがここの恐ろしいところでもあるんだけど……はは」


 恵ちゃんは苦笑いだった。良くも悪くもコネが重要になるということなのだろう。

 私のアパートの近くに到着したころには、やはり出発から一時間を過ぎてしまっていた。住宅街の中にあるそのアパート付近は道幅が狭いので、その区域に入る前の広い道で降ろしてもらった。


「いつかその人と、ちゃんと話、できるといいね」


 車の窓を開いた恵ちゃんは最後にそう言い、六時を過ぎてもまだ陽が高い夕方の空気の中にエンジン音を響かせ走り去っていった。


――四人の新人・了――

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