第4話 迷子

第4話-1 迷子

「それで、病院ごとにもらった薬をきっちり分けておきたいから、お薬手帳を全部別にしてるのよね。これと、これと……」


 患者の玉那覇さんが気分よく喋りながら、私の目の前に五冊のお薬手帳を並べていった。


(国試の勉強でこういう患者さんが出てくる問題を何回も見たけど、手帳を分けて持ってる人って本当にいるんだ……)


 机上の空論にしか存在しないと思っていた患者が目の前に現れて、私はぽかんとしていた。

 お薬手帳は受診した病院はどこか、処方薬は何か、といった情報を一冊の手帳に集約することで、薬の飲み合わせなどの確認をできるようにする、という役割を期待されて日本中の薬局で利用されている。だから手帳は一冊にまとめるのが原則だ。玉那覇さんのように複数のお薬手帳を併行して使用すると、病院の受診のときにいずれかの手帳の持参を忘れた場合、その病院での処方薬しだいでは飲み合わせが悪いせいで健康を害しかねない恐れがある。要するに、このような手帳の使い方はマズいのだ。

 私は玉那覇さんにお薬手帳の使い方について説明する。もちろん極力気分を悪くすることのないように注意を払いながらだ。


「一冊にしないとダメなの?」


 やはり正しい使い方をよく理解されていなかったようだった。

 幸いにも手帳の中を見ると、定期的に通院しているのは薬局の傍にある銘里記念病院を含めて二カ所だけで、後は風邪を引いたときに住居近辺のクリニックを突発的に受診している、といった状況だったので、銘里記念病院専用で使っていた手帳にもう一方の病院の最新の処方内容を私が手書きで書き込んだ。


「この一冊だけを薬局に出してもらえれば、薬剤師が薬の飲み合わせが大丈夫かどうかをチェックできるので、ぜひそうしてもらえればと思います」


 「こうしてください」といった形の押しつけのような指示ではなく「こうすればあなたにとってメリットがある」というように伝えて、納得感を持ってもらうようにする――今までこういったコミュニケーションの取り方は何度も学習してはいたのだが、ようやく最近になって実践できるようになった。習うより慣れろ、だ。


「お大事になさってください」


 玉那覇さんの対応を終えて待合室の時計を見ると夕刻を指していた。六月に入った沖縄はこの時間になっても外が明るく、仕事中に窓から見える日差しの様子では時間の経過を感じにくい。仕事で慌ただしくしているのであればなおさらだった。

 玉那覇さんを最後に、待合室の患者はゼロになった。


「玉那覇さん、あちこち病院に行ってたみたいですけど、病院によく行くような患者さんでもお薬手帳の使い方がよくわかってない人っているんですね。びっくりしました」


 隣の席にいた事務の川満文江かわみつふみえさんに話を振る。三五歳で二児の母親の川満さんはこの薬局ができた当初から在籍しているベテランだ。


「患者さんも悪気があってやってるわけじゃないし、何でもかんでも話してくれるとは限らないから、他の薬局でも気づかずにここで発覚、ってことが時々あるんだよねぇ」


 そんなことを話しているうちに薬局を閉める時間が近づいていたのだが――ここで薬局に入ってきた患者がいた。

 マスクをした男の子が一人。背格好からして、小学生かどうかというくらいの年代の子だった。保護者らしき同伴者はいないようだ。


「これ」


 彼が受付の川満さんに手渡したのはお薬手帳だけだった。

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