第1話-3 薬剤師・南依吹
當真さんは私の横にあるパソコンを指さして、
「まず、今、薬歴をチラ見したでしょー? 投薬を始める前に、これまで書いた薬歴があまり頭に入ってなかったんじゃないかな?」
「はい、そうです……すいません」
さっきから謝ることしかできず、自己嫌悪が強くなる。
「次の投薬から意識してくれればいいよ」
「でも、次に池上さんが来るまでに何かあったら――」
「まあ、そうなんだけど、それくらい難しい患者さんだったらまだ依吹さんには任せないなー。だから今回は私と検討会をしてお終い」
當真さんは私を下の名前で呼ぶ。薬剤師のようなお固い業種でそれは大丈夫なのだろうか、と最初は思っていたが、特に仕事に支障が出るようなことではないし、突き放されるような距離感のままで仕事を続けるよりもよっぽど良いと、最近は思うようになった。
「話を戻そうか。一包化の理由だけじゃないけど、患者さんの状況が最初にわかっていれば、患者さん本人を前にしたときに、本人のどのあたりを見ておいたほうがいいか、とか、質問したほうがいいことは何か、ということがはっきりしてくるね? 今回はそれが不十分だった、と」
「はい、意識できていませんでした」
「じゃあ次。仮に今回、投薬の前に池上さんの薬歴をきちんと頭に入れていたとしようか。こっちの準備が万全なら、池上さんの手の震えはどうやって確認する?」
「どうやって……それは、池上さんに手を動かしてもらわなければわからないと思います」
「そう、それ。手の震えをこの場で見たければ、当然、本人に手を動かしてもらう必要があるんだ。でも投薬のときに『手を動かしてもらえますか?』とストレートに頼むのは、患者さんにとって煩わしいよね?」
「はい、患者さんも『変なことを言われた』と思うかもしれませんし」
「なら、今回はどうする?」
「うーん……」
「ヒント。手の震えを見る大チャンスが一回はあったと、私は思うなー」
さっきの池上さんとのやり取りを、順を追って思い出す。
池上さんが窓口に歩いてきて、私の身の上を色々と訊ねて、こっちからの確認事項に答えてもらって、その後は――
「……バッグから薬を出したときですね! すぐに手を伸ばして取っちゃったから、池上さんが手を動かすところを見れなかったんですね!」
「正解」
當真さんが跳ねるように言った。
「やっぱり想定外のことが多くて焦ってた?」
「はい、私、慌てていて、どうにか無難に投薬を終わらせなくちゃって思って……」
「まあ、やっぱり慣れは大事だね。それはこれから身につけていけばいい。手の震えを見るチャンスは他にもあったかもしれないけど、こっちから頼まずに池上さんに手を動かしてもらえるのは、あのときがビッグチャンスだったと思うよ」
「……あれ? でも、お会計のときも、手を動かさないといけませんよね? どうしてその時に手の震えがわからなかったんだろう?」
「いいところに気がついたね。患者さんによっては、そのときにも確認できるね。でも池上さんの場合は、ちょっと難しかったんじゃないかな」
「――どういうことですか?」
「じゃあシンキングタイムといこうか。私からのヒントは無しで考えてほしいなー」
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