第88話 刺青

 荘厳であるはずの王城がまるで亡霊が住う館みたいに不気味で静まり返っていた。ギルガンが馬に乗ったまま入城できるくらいに広い門には憲兵1人おらず、だだっ広いステップもそれは同じだった。壁のランタンは仄暗く室内を照らすが、昼間にしては辺りが暗すぎる。重い雲が垂れ込め、町中に具合を聴きに行った狐達がちらほら帰って来た。


 一階の大広間の装飾は想像しうる限り豪華絢爛であった。金の燭台が並び、頭上にはシャンデリアまである。絨毯は重厚で複雑な縫い模様が施されており、それがだだっ広い部屋のほとんどに行き渡っている。窓と窓の間には絵画。それは代々の王族を描かせたもので素晴らしく写実的で恐ろしいくらいだ。


 「国王が狂ったと皆口を揃えて申します。悪魔を遂には呼び出して取り憑かれたのだと」狐が報告した。


 「街に残っている市民もいるのか?」ギュスタヴが訊いた。


 「はい。そういった人民は知り合いもつたえず身を隠しながら家に息を潜めておりました。通りには悪魔が跋扈し始め、民衆は混乱し、街から逃げ出したのだとか」


また別の狐が言う。「現神聖騎士団長ロベール・ザゼが殺されてから、暴走が始まったと皆言います。悪魔が溢れ出した城から、生き残った軍部が王妃と皇太子を何とか連れ出したのだとか」


 「なるほど。ならばまだ希望はあるな」ギルガンは小さいながらも一領土の主人だった。


 

 「貴様ら何をしている」



 野太い声がした方を見ると、吹き抜けの登り階段の踊り場に初老の男が立っていた。赤い厚手服と布タイツ、黄色い巻髪をくゆらしながら偉そうに立つ姿はこのライムブルクの近衛兵らしい。腰には細剣を携え、表情はギュスタヴ達を伺い不安感に駆られている。


 「君達は悪魔か。そうでないのならここから立ち去るがいい」男はそう言い放った。


「スコッティ。出世はしたのか。近衛兵長くらいにはなったのか」ギュスタヴが言った。


 「貴様なぜ私の名を知って……ああ、まさか……」スコッティは何かに気づいて後退りした。彼を知っている。髪こそ剃り上げてはいるが、あまり若い頃から変わる事ない雰囲気。「何十年ぶりでしょうか。団長、ですか?」


「挨拶はいいだろう。スコッティ。王が乱心したというのは本当か?今どこにいるんだ」ギュスタヴは狐達の群がる中を歩いて階段に歩きながら喋った。


 「王は……王は死にました。物怪に唆されたのでしょう。呼び出したものに殺されたみたいなのです」


 「何。なんと」


 「我々も避難しておりましたが、今し方調査に帰ってみるとこの上で死んでいるのを発見しました。恐らく王だと」スコッティは喉を詰まらせながら言った。


 「恐らく?」


「なんせ人としての原型を留めていないようで」


「支配されたな。欲に溺れて非業の死か」ギルガンも狐を掻き分けながら歩いてやって来た。


「原型を留めていないとは?」ギュスタヴは階段を上り始める。


 「いきません。この上に上がってはなりません」スコッティは上がって来るギュスタヴの胸に手を当てた。


 そんなスコッティの静止を振り切ってギュスタヴは階段を駆け上がった。それにギルガンも騎乗したまま続く。


 城はもぬけの空だったが、玉座に続く階段を駆け上がると、突然何人かのスコッティとやって来たと思われる近衛兵達が集まっていた。


 「何だ。貴様は」兵士達はいきなり現れたギュスタヴを見るなり手を刀剣の柄に当てた。


「どけ」ギュスタヴは構わず歩き出した。


 「何者だろうとこの玉座に入る事はまかりならん」


 「お前達。手を下ろしなさい」ギュスタヴは背後からスコッティが追って来ているのを知っていた。


 近衛兵の若い衆は端へ身体を避け、ギュスタヴに道を開けた。


 「団長。知りませんぞ」そんなスコッティの言葉をもろともせず。ギュスタヴは重厚な両開きの扉を開けた。


 中には既にギルガンがやって来ていた。霊魂の身なので壁でも伝ったか。


 「酷いものだ。この王が全身に入れた刺青は魔法陣だ。彼は自分の体から悪魔を呼び出していたらしい」ギルガンは玉座の周りを歩いていた。


 部屋中が真っ赤で散らかっていた。本棚は倒れ、倒れたテーブルの周辺には割れた花瓶。これ程までに人の肉片があるのかというくらいに王は細切れにされていて、それには刺青が刻まれていた。それが玉座にこびりついていたり、壁に張り付いているものもある。


 「何とまあ……無残な」ベキャベリは鼻と口を押さえた。


 「ギュスタヴ。見ろ」窓の側に立つギルガンが何かを見ながら言う。


 「何だ」


「あの火の手が上がっている森を見ろ。何かと何かが戦っているみたいだな。行こう」



 


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