第8話 月下の対峙

 マリアは帰り道に、寂れた2つの小屋を覗いて、しばらく食事が喉を通らない気がした。その実帰ってすぐに、観湖庵の女将には昼食はいらないと言って、すぐに部屋に引き取った。


 ベッドに寝そべると、天井がグルグル回った。今でも思い出す。


 瓶詰めの赤黒い液体。白くて濁った液体。何かの皮。毛皮もあった。綺麗な木の作業台に置かれた鋸やじょうご、よく切れそうなナイフ。それらが錆や染みひとつなく手入れされているのが逆に不気味で嫌だった。


 昔の記憶で父と狩人の家に遊びに行った記憶はあるが、何か違う。野生動物を、食べるために捕まえるのと、ただ単に人を満足させるための嗜好品の加工に使うのは絶対違う。


 マリアは回っていた脳がピタリと止まり、小雨のような悲しみと、燃えたぎる怒りが込み上げてきた。


 あいつらは言っていた。人間の身体がそろそろ必要だと。


 何をするのかしら。いつ?今夜かも知れない。集落に押し入って人をさらったりころしたりするのかしら。そうはさせない。


 マリアは夕飯をたんまり食べた。黙って食べ続けるので、女将はぽかんと見ていた。しかし、何があったかは訊かなかった。


 夜更、マリアは防具を着込んで剣を持ち、足早に観湖庵を出た。今夜は湖に満月が映り込み、月が2つあって一層明るかった。


 マリアは湖を回り込み、何かがいないかと辺りを見回しながら歩いた。



 「おい」ヒソヒソ声。「どの家を行く?」


「あそこがいい」3人の内1人が指さした。「あの家には女と老人しかいない」


「若い女か?」


 「ハタチそこそこで健康的だ」


「そりゃいい。新鮮で沢山の血液が手に入りそうだ」


3人は暗い藪から抜き足で道へ現れ、怪しい足つきで家に近づいて行く。その家は、他の家から少し離れていた。


 1人がそっと家の玄関ね蝶番に手を伸ばした。施錠はされていないようだ。3人は今にも入らんと扉を囲んだ。


 「あんた達」


突然聞こえた声に、3人は驚いた。身体が小刻みにびくつき、目を剥いて辺りを見回した。しかし誰もいない、そう3人が思った時、湖に反射した月に逆光になった黒い影が、湖の柵の前に現れた。それは3人の真後ろだった。


 「何をしようとしていたの」


3人は答えなかった。暗がりにいるのは女だ。彼らはそう思うと同時に、他に人がいるんじゃないかと思った。


 「あなた達、許せないわ」マリアは抜刀した。「金輪際悪さをしないと誓って、この地域から去るって言うなら考えるけど」


 しばらくして1人が笑い出した。


 続いてもう1人笑い出す。


 3人とも、マリアを小馬鹿にしたような笑い声を上げ始めた。


 マリアは何も言わなかった。その代わりに足を踏み込んだ。暗闇は見える。父と真剣で真っ暗な中斬り合った。


 真ん中の相手の肩を切った。左肩だ。思ったより俊敏で掠っただけ。


 「うぎ」3人は散るように避けた。しかしマリアの返す刀がまた真ん中にいた者の足を捉え、次は右太腿を捉えた。


 「ぎゃあ、痛え」斬りつけた者はうずくまり、足を抑えた。


 その時、左右から閃光が瞬いた。両脇にいた2人は既に詠唱を始めていたらしい。術を使う相手との実戦経験がなかったマリアは、攻撃に集中し過ぎた。


 左側から火炎放射。それは危なげに後退して回避した。顔や胸が熱気を襲う。後ろ髪が少し焼ける匂いがした。


 その最中、炎に照らし出された奴らの正体を見た。両脇の術の使い手は、あの後頭部が出っぱった2人だったが、真ん中の斬りつけた者、うずくまる者は人間だった。髪を剃り上げて、真っ黒に日焼けした、体格がしっかりした人間の男だ。彼が鍛治をしているのか。


 マリアはそれに気を取られていると、目の前が明るくなり、星が視界を奪った。目が眩んで見えなくなったのだ。


 それと同時に気づくと身体が宙に浮いていた。一瞬だった。右側の者の放った爆風で吹き飛ばされ、自分がどうなったかに気づいたのは、湖の中へ落ちた時だった。



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