第4話 プレーンオムレツ

 「こんばんは」マリアは静かに観湖庵の押し戸を開けて中へ入った。


 「わ」


「わ」


受付の老婆が驚いたので、マリアもそれに驚いてしまった。


 「何か」唐草模様の頭巾を被った老婆は険しい顔で、マリアを全身見定めるように見ながら言った。


 「ここはお宿でしょうか」


 「そうだよ。なんだい」


「一泊したいのですが」


「一泊?お嬢ちゃんどこから来たんだい」


「どこから」マリアは返答に困った。老婆は自分を子供だと思っているらしかったからだ。


 「お金はあるのかい?」


「お金はあります」マリアはあまり自分でお金を使った事がなかった。


 しばらくして老婆は落ち着いたのか、マリアを大人で、客であると気付いたらしかった。前金でお金を払うと、軋む廊下を歩いて部屋へ案内してくれた。


 部屋はベッドと椅子くらいしかなく、それらと荷物が置ける棚の間は無意味に広々としていた。ベッドのシーツはあまり綺麗ではなく、部屋の隅にはよく分からない羽虫がいた。頭上のランタンの内側にはその羽虫が2、3匹閉じ込められてひっくり返っている。


 「お客はあんただけだから、すぐご飯はできるよ。降りて来な」老婆はぶしつけに戸を閉めた。


 マリアは1人で宿をとる感慨に耽りながら、一つしかない窓から外を見る。恐らくこの闇の向こうに水が広がっているのだろう。かすかな煌めきが見え、水の揺らめく音が聞こえる。湖を挟んで向こうの民家の光までかなり遠く、行くにはかなりの時間がかかるだろう。


 マリアがまた廊下を軋ませながら食堂を探していると、どこからともなく良い匂いがした。いつも狐達が作ってくれる料理も美味しいけれど、それとは違った匂い。なんだろう。


 マリアは匂いに誘われて家庭的な刺繍のされたのれんの部屋に入る。


 「あ、あんた駄目だよ。ここは台所だよ」


 先程の老婆が驚いていた。手には浅い鉄の手鍋を持っていたが、卵が混ざってふわふわになった物が乗っていた。


 「それは何ですか?」


 「あんたからかっているのかい。オムレツだよ。食堂で待な」


 マリアはまた歩き出し、受付を横切って部屋に入り、長いテーブルを見つけた。その端に寂しく腰掛けていると、また違う扉から老婆が現れ、いくつかの皿を運んで来た。


 献立は先程のオムレツ、大麦パン、山羊の乳のバター、よく分からない魚の燻製に、根野菜のスープだった。


 「お婆さん食べないんですか」マリアは口一杯に物を詰め込みながら言った。


 「私はあんまり食べないんだよ」女主人もこれ程ここの食事を美味しそうに食べる客はあまり見た事がなかった。向かいに座って、肘を付いてマリアを見ていた。はてどんな家庭に育てばこんなケモノみたいな食事をするのかね。


 「この魚は湖で取れたんですか」


「最近は魚も獲りに出られなくなってきたのさ。それで終わり。さっきの地震、聞いたろ?」


「ええ」


「あれは湖から起こっているのさ。だから船を浮かばせられなくなってきたのさ」


「何で湖から地震が?」


「分からないよ。このルードの村のみんなが知りたがっているさ。厳密に言うと、1日に何回か、湖で爆発が起こるんだ」


「爆発?」


「そうさ。食べ物が野菜しかなけりゃ、私も商売をやめなきゃならなくなるねえ。それどころかみんな死んじゃうかもね。この村は湖で成り立ってきたから。野生の動物を狩るって言っても限界があるし」


 「それは困りましたねえ」


「湖には昔から水神様がいるって言い伝えがあるから、怒っているのかもね」老婆も久しぶりにじっくり人と話をしたような気がした。


 「水神様が怒る?なぜ?」


「あはは。分からないよ。湖に頼りすぎた人間にかねえ」


 「そうでしょうかねえ。何が原因か探りましょうか」マリアは神妙な顔で呟いた。もはや食事は終わっていた。


 「あはは」老婆は嬉しそうに笑った。「よろしく頼むよ」

 

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