第5話 元魔王の日常《2》



 ――全く、恐ろしい子供だ。


 散々に負けたことが悔しいのか、自身の娘に気遣われながらぶすっとした表情で屋敷の中へ戻って行く黒髪の少年を見て、デゴルト=エルメールは一人そう思う。


 数度の手合わせの全てに負けたことが気に食わないようだが……気付いているのだろうか、彼は。

 

 剣の技一つで爵位まで得た自分が、いつからかほぼ手加減をせずに訓練に当たっているということを。

 有効打はほぼ全て撥ねているが、いつも、止めどない冷や汗を掻きながら手合わせしているということを。


 これで、まだ十にも届いていない子供だと言うのだから、末恐ろしい。

 今はまだ、リーチの差も力の差もあるため負けることはないだろうが、彼の体格がもう少し成長すれば、自分は確実に勝てなくなるだろう。


 今こうして勝てているのは、ひとえにユウヒがまだ、身体の出来ていない幼い子供だから、という理由だけだ。

 

 勉強が嫌いなようで、初等部の授業をすっぽかすような悪ガキ具合を発揮していることは知っているが――ユウヒは、間違いなく天才に分類される子だ。


 頭の回転が速く、大人顔負けの思考をしており、要するに教わらなくても・・・・・・・理解出来る・・・・・内容であるため、つまらなくてすっぽかしているのだろう。


 天才に物事を教えることの、何と難しいことか。


 ……まあ、もしかすると親に似た、という点もあるのかもしれないが。

 今でこそ落ち着いているが、彼の父が昔、結構な悪ガキであったことは、長年の付き合いであるのでよく知っている。


 子供の頃、なまじ賢いが故に授業をすっぽかすところは何度も見ており、そういうところはまず間違いなく遺伝したのだろう。


 面白いところで、血の繋がりを感じるものだ。


 そして――自身の娘にも、ユウヒと同じ程の剣の才能があることがわかっている。


 あの、非常に整った剣筋。


 どうやら自らを磨く術を心得ているらしいユウヒとは違い、まだまだ原石の形ではあるが、アレもまた成長すれば、自分など及びも付かないような高みへと至ることだろう。


 娘に危ないことをさせたくないという思いもこの胸には存在するが、それと同じくらいに、剣の道を歩んで来た先達としてその才能を腐らせたくないという思いもまた、強烈に存在するのだ。


 いったい、彼らに稽古を付けてやれるのは、あと何年程だろうか。


「……せめて、それまでに衰えんよう、鍛えねばな」


 デゴルト=エルメールは、子供達の未来に、小さく笑みを浮かべた。

 


   *   *   *



 ――翌日。


 わかった。


 とにもかくにも、今の俺に必要なものは防御だ。


 攻撃は別にいい。何故ならば、俺の貧弱な身体でもナイフで刺せば人は死ぬからだ。

 そんな物騒な話じゃなく、訓練の中の話だとしても、俺が有効な一打を放つことが出来れば、おっさんはしっかりとそれを認めてくれる。


 というか、そもそも今の俺は力が貧弱過ぎるので、攻撃のことなんぞ考えてもほとんど意味がない。

 武器の振りも遅けりゃ、身体の動きもトロい。故に、見えていも反応が一つ遅れる。


 幼児の身体は、『身体強化魔法』を使っても、泣ける程に弱過ぎる。

 全身全霊の力を込めてどうにか有効打を放てるか、といったところなのだが、力の乗った攻撃を放つためには、今の俺は先に防御を固める必要がある。


 俺とおっさんとで同時に木剣を振るった場合、確実におっさんの剣の方が先に俺へと到達するからな。

 いや、何なら俺が一歩速く攻撃を放っていても、同じ結果になるかもしれない。


 俺の身体がデカけりゃあ、もっとちゃんと戦えるのだが……ないものねだりをしても仕方がないか。


 そういう訳で、禁止はされていないので、とりあえず一杯食わせるために防御魔法等で防御の底上げをしたいのだが、前世で使用していた『対物魔障壁』は――。


「……ダメだな」


 案の定と言うべきか、発動しない。


 俺の魔力が、圧倒的に足りないことが理由だろう。

 

 人間の一般魔法士程度の魔力には訓練で伸ばしたが、自慢じゃないが前世では世界一と言われるだけの魔力量を誇った身だ。


 その時に使っていた防御魔法は、一度発動すれば自動で全ての攻撃を防御し、都市を灰に変えるような広域殲滅魔法を食らっても無傷で立っていられるようなシロモノだった。勇者には紙みたいに斬り裂かれたが。


 無論、その分バカみたいに魔力を消費するので、俺がアレを使えるようになったのは魔王になってから数年経った頃くらいなのだ。


 ……作り変えるか。


 今の俺が使えるところまで性能をダウンさせた場合、引き出せる防御性能は一割が限界だろうが……それでも、ないよりはマシだろう。


 ――と、そうしてこの身体に合った新たな防御魔法を脳内で構築していると、我が妹がトコトコとこちらに近付いてくる。


「……にぃ」


「何だ、我が妹よ」


「……あそぼ」


「ダメだ。お前の兄は今、忙しい」


 俺の言葉にリュニは、異論ありげな様子で口を開く。


「……ぜんぜん忙しそうじゃない。ゴロゴロしてる」


「おう、よくわかってるじゃねーか。ゴロゴロするのに忙しいんだ」


 実際は防御魔法の術式の組み替えを行っている訳なので、別に怠けてはいないのだが……テキトーにそう答えると、リュニは俺が寝転がっているソファの前に無言で立ち続ける。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「……ハァ、わかったわかった。わかったからそんな顔すんな。今起きるから」


 ため息を吐き、根負けした俺がソファを立ち上がると、我が妹は満足そうに――と言っても、表情の変化はほとんどないのだが――コクリと頷く。


「……ん。フィルも待ってるから、早く」


「りょーかいりょーかい。んで、何で遊ぶんだ?」


「……めいたんてーごっこ。にぃが犯人」


 めい……あ、名探偵か。


「お、おう、渋いとこで来たな。トリックとかはどうすんだ」


「……にぃが考えて」


 あ、俺が考えるのね。


 いや、確かにトリックは犯人が考えるものだろうけども。



   *   *   *



 我が家の、それなりに広い中庭。


「クックックッ……名探偵どもよ。この大怪盗ユウヒの財宝の隠し場所、お前達に見つけられるかな?」


「……すぐに見つける」


「よーし、がんばるぞー!」


 大怪盗の俺を前に、名探偵幼女二人がむんと気合の入った様子を見せる。


 我が家では、こんな感じのごっこ遊びをすることが多い。


 こういうのなら、俺も遊んでやれるしな……二人とも性別が『女』なので、幼女が好むような可愛らしい遊びに誘われると、割と困るのだ。


 俺に拒否権はないので、何だかんだ全部付き合わされるんですけどね。


 ちなみに、リュニのリクエストは名探偵ごっこで俺が犯人役というものだったが、あんまり本格的にやり過ぎても彼女らには難しいと思ったので、俺が怪盗で物を盗み、家のどこかに隠したからそれを名探偵達が探す、というゲーム性に変更した。


 決して、それっぽいトリックが思いつかなかったとか、そういう事実はない。


 財宝は、俺が魔法で造った、簡単なガラス細工のフィギュアだ。


 微笑ましそうにこちらを眺めていた親父が、俺が砂から数秒程でフィギュアを生み出す様子を見てあんぐりと口を開けていたのが視界に入り、ちょっと笑ってしまった。


 まあ、これくらいはいいだろう。危険性のある魔法じゃないしな。


 ――魔法は、主に二つの工程で成り立っている。


 すなわち、『術式構築』と『魔力制御』である。


 まず最初に魔法の形を組み上げ、そこに魔力を流し込むことで現象として顕現させられるようになるのだ。


 構築した術式に流し込む魔力が足りなければ、魔法は失敗するし、逆に多くなっても失敗するか暴発する。

 その威力を変えたい時は、術式の構築段階で設定しておく必要がある訳だ。


 ただ、そんな難しく考えずとも、慣れてしまえば感覚だけで発動させられるようになるのが魔法というものだ。

 そこは訓練次第であり、如何に素早く、呼吸をするのと同じように魔法を発動させられるか、というのが優秀な魔法士かそうでないかを見分ける目安になる。


 そしてその基準で行くと、俺は超一流の魔法士だがな!


 フッ、これでも世界の半分を統べた魔王。そんじょそこらの魔法士には……今の俺だと、普通に負けるかもしんねぇ。


 世知辛い。


 そうして俺が世の儚さを嘆いている間にも、リュニとフィルは鉢植えの中や木の後ろ、芝の中などを探し始め――ドスン、という鈍い音が耳に届く。


「あ、おい、大丈夫か?」


 見ると、ビッタンという擬音が似合うような恰好で、リュニがぶっこけていた。


 ……子供の身体は、転びやすいからなぁ。


「……うぅ……」


「ほら、泣くな。どこか怪我したか?」


「……泣いてない」


 じんわりと目端に涙を溜めながら、そう答えるリュニ。


 頭は……打ってなさそうだ。


 ただ、こけた拍子に擦りむいてしまったらしく、両肘に大きな擦り傷が出来上がっている。


「ハハ、おう、そうだな。泣かなくて偉いぞ、リュニ。――まずは傷口を洗おう。ばい菌が入っちまう」


「……ん」


 水魔法で水球を空中に生み出すと、リュニは大人しくその中に両肘を突っ込み、傷口を洗い始めた。


 と、そこでこちらの様子に気が付いたらしく、フィルが近寄ってくる。


「うわ、痛そうだね……よーし、えい!」


 そう、唐突に両手を前へと伸ばし――次の瞬間、リュニの両肘の傷が淡く発光し・・・・・、まるで時間が巻き戻っていくかのように、小さくなっていく・・・・・・・・


「――なっ」


 目を剥き、固まる俺。


 数秒し、光が消え去った時、そこには子供の綺麗な肌だけがあった。


「ふぃ、フィル……お前、魔法が使えるのか・・・・・・・・?」


「え? うん、勿論使えるよ? ユウヒも使えるでしょ? ――あれ? 何で使えるんだろう……」


 不思議そうな様子で、首を捻るフィル。


 ……今のは、回復魔法である。


 平和である故か、こちらの世界では俺くらいの年齢の子供のための学校が存在し、そこでフィルと共に魔法の授業も受けているのだが、彼女は最近になって魔力操作がスムーズに出来るようになった、という段階で、使える魔法も本当に初歩のもののみだったはずだ。


 にもかかわらず、それなりに専門的な知識が必要となる回復魔法を、何も知らずに成功させる?


 いや、擦り傷程度ならば、専門知識がなくとも何とかなるのかもしれないが……。


「なんかね、リュニのお怪我を見てたら、治せそうな気がしたの。そしたら、治ってて……何でだろうね?」


「……痛くない。ありがと、フィル」


 自分でもよくわかっていない様子できょとんとしているフィルに、リュニが礼を言う。


「うん、どういたしまして、リュニ」


 リュニの頭を撫で、ニコッと笑う幼馴染を見ながら、俺は思考を巡らす。


 ……フィルに、天才的な魔法の素質があるのか。


 それとも、もしかすると――。


「さ、お宝探しの続きしよっか!」


「……ん。まだゲームは終わってない」


「……そうだな。フハハハ、探偵ども、早く我輩の財宝を見つけないと、夕飯の時間になってしまうぞ?」


「……ん。がんばる。ざいほーはたんてーのもの」


「どんな財宝なのか、気になるね!」


 俺は、浮かんだ思考を隅に追いやり、そのまま幼女達と一日を過ごしたのだった。

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